フランクル『夜と霧』再読。
フランクルは精神科医。ナチス強制収容所に収容された時の体験を記しています。
初めて読んだのは学生の時。
それからほぼ30年、先日NHK『100分de名著』を見て、再度読む気になりました。
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/14_frankl/
前回私が読んだのは、本当にこの本だったのでしょうか? 全く記憶にない世界が広がっています。
私がこの本を理解するには、30年が必要だったのかもしれません。読み進めるうちに、少しづつ自分の中に何か新しいものがひっそりと生まれ、それは未だに私の中に残っているのでした。
『行動的に生きることや安逸に生きることだけに意味があるのではない。そうではない。およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。
おおかたの被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるか、という問いだった。生きしのげられないのなら、この苦しみのすべてには意味がない、というわけだ。しかし、わたしの心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。すなわち、わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない』
『ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない...生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ...生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない...だれも、そしてどんな運命も比類ない。どんな状況も二度と繰り返されない...人間は苦しみと向き合い、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない。だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない』
ほとんど宗教です。人間は非人間的な苛酷な環境にあっても、ここまでの高みに到達できるものなのか。
フランクルは強制収容所という体験からこの本を記しましたが、現代を生きる私たちにも、苦しみの中でどう生きるべきなのかを指し示してくれる本です。
訳本には、霜山徳爾版と池田香代子版がありますが、池田版を強くお勧めします(霜山訳は判りにくい)。
フランクルは精神科医。ナチス強制収容所に収容された時の体験を記しています。
初めて読んだのは学生の時。
それからほぼ30年、先日NHK『100分de名著』を見て、再度読む気になりました。
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/14_frankl/
前回私が読んだのは、本当にこの本だったのでしょうか? 全く記憶にない世界が広がっています。
私がこの本を理解するには、30年が必要だったのかもしれません。読み進めるうちに、少しづつ自分の中に何か新しいものがひっそりと生まれ、それは未だに私の中に残っているのでした。
『行動的に生きることや安逸に生きることだけに意味があるのではない。そうではない。およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。
おおかたの被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるか、という問いだった。生きしのげられないのなら、この苦しみのすべてには意味がない、というわけだ。しかし、わたしの心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。すなわち、わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない』
『ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない...生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ...生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない...だれも、そしてどんな運命も比類ない。どんな状況も二度と繰り返されない...人間は苦しみと向き合い、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない。だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない』
ほとんど宗教です。人間は非人間的な苛酷な環境にあっても、ここまでの高みに到達できるものなのか。
フランクルは強制収容所という体験からこの本を記しましたが、現代を生きる私たちにも、苦しみの中でどう生きるべきなのかを指し示してくれる本です。
訳本には、霜山徳爾版と池田香代子版がありますが、池田版を強くお勧めします(霜山訳は判りにくい)。
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