獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ラストステージ:獅子風蓮の登場 その14

2021-07-01 03:56:59 | 対話ブログ

●signifie(2021年1月26日 03:52)

獅子風蓮さん、たくさんコメントしてくださりありがとうございます。
ただ、申し訳ありませんが、獅子風蓮さんがコメントをすればするほど、獅子風蓮さんが何を言いたいのかわからなくなるばかりです。それは私だけではなくて、おそらくこれを読んでいるみなさんの多くがそのような感想を持たれているのではないかと私は思います。そして獅子風蓮さんはそのこと気づいておられないのかもしれませんので、その理由を少し説明させていただきます。

今回の獅子風蓮さんの長いコメントの最後に

どの部分が一貫性がないと思われたのでしょうか?教えていただけると幸いです。

と書かれていますね。つまり獅子風蓮さんは自分のコメントに一貫性がないとは思えないと言いたいのですよね。もし一貫性がないとしたらどの部分か?と。今回、獅子風蓮さんがコメントすべきはこれだけでよかったのではないでしょうか。
それを獅子風蓮さんは曽根俊矢さんに対して

『少し冷静になってください。なんでもシニフィエさんの意見が絶対正しいと、そこに依存することは良くないと思います。曽根さんが自分の頭で考えて自分の言葉で発したコメントには、誠実に対応していきたいと思います。
〉私の考えを書こうと思いましたが、シニフィエさんのコメントと同じ事の繰り返しになるのでやめておきますね。シニフィエさんが私の言いたい事を言ってくださっています。
シニフィエさんのブログのコンセプトは、「自分の頭で考えろ。他人のいうことをむやみの信じるな。このシニフィエのこともむやみに信じるな」だったと思うのですが……』

と言われています。どうも気づいておられないようですのではっきり言いますが、これは曽根俊矢さんに対しても私に対してもとても失礼だと思います。

>私の考えを書こうと思いましたが、シニフィエさんのコメントと同じ事の繰り返しになるのでやめておきますね。シニフィエさんが私の言いたい事を言ってくださっています。

という曽根俊矢さんの言葉を、獅子風蓮さんは「曽根俊矢さんはシニフィエの言うことが絶対に正しいと思い込んで依存している」と決めつけていますよね。
しかもその後に「少し冷静になってください」と曽根俊矢さんを諌めているんです。私に依存していると思ってもないことを一方的に言われた曽根俊矢さんが傷つくのも当然です。私だって心外ですよ。しかし獅子風蓮さんは、自分の発言が曽根俊矢さんを傷つけたとは思いもしてませんよね。思っていたら最初からこんなこと言うはずないですもんね。曽根俊矢さんは私の考えに共感はしてくれていても、決して依存などしていませんよ。すでに曽根俊矢さんご本人がそのことについてコメントされていますが、問題はこれに限らず獅子風蓮さんのコメントはこうした「勘違い」と「決めつけ」で埋め尽くされているということです。だから獅子風蓮さんにどこからどう説明していいものかわからないでいます。言ったところでまた勘違いされて決めつけられて長い長いコメントを返してくるんじゃないかと思うと気が重くなるんです。

もし私が獅子風蓮さんに対して「少し冷静になってください。あなたは創価学会を脱会した今でもなお池田大作に依存してるじゃないですか。違いますか?」とこの場で言われたらどう思いますか?私の言いたいことがわかりませんか?

もう一つ例をあげます。
これも曽根俊矢さんの

コメントを拝見して率直に感じた事は、創価の中枢に同窓の方がいらっしゃって、その方の身を案じて創価に未来があって欲しいと考えていられるのかなぁと。大変恐縮ながら、獅子風蓮さんの優柔不断な部分がそんな所に出ていて、スタンスがよくわからない、獅子風蓮さんの考えている事を理解できかねるので誤解が生じてくると考えます。

というコメントに対して獅子風蓮さんが

前にコメントした内容ですが、繰り返します。私は、現在の創価学会の組織は、学会員の貴重な時間とカネの搾取のシステムの上に成り立っており、公明党という政治勢力を支配することで、日本の政治をもゆがめ、社会に害毒を与える存在でしかないと思っています。ですから、シニフィエさんから創価学会に未来はあるかと問われて、「結論、今のままでは、創価学会に未来はありません。」と、答えたのです。

と返事をされていますよね。これが曽根俊矢さんへの回答になっているのかどうか私には理解できませんが、それはともかく、すでに曽根俊矢さんが指摘されているように、もし「結論、創価学会に未来はありません。」であれば獅子風蓮さんのスタンスは誰にでも理解できますが、そこに「今のままでは、」が挟まっているのことで真逆の意味になっています。つまりこれを普通に解釈するならば「今のままでは創価学会に未来はないけれども、場合によっては未来があると考えている」という意味に私も受け取ります。つまり獅子風蓮さんは「創価学会も今後のやり方によっては未来がある」つまり「創価学会は宗教である」というスタンスだと言っているように受け止められる言葉なんです。たいていの人はそうとらえるのではないかと思うし、曽根俊矢さんもそのことを指摘されています。しかしながら獅子風蓮さんはその前に「私は、現在の創価学会の組織は、学会員の貴重な時間とカネの搾取のシステムの上に成り立っており、公明党という政治勢力を支配することで、日本の政治をもゆがめ、社会に害毒を与える存在でしかないと思っています。」とはっきり言われているんです。これって一貫性がないと言われても仕方がないのではないでしょうか。だから曽根俊矢さんは遠慮がちに

大変恐縮ながら、獅子風蓮さんの優柔不断な部分がそんな所に出ていて、スタンスがよくわからない、獅子風蓮さんの考えている事を理解できかねるので誤解が生じてくると考えます。

と言われているのだと思います。ここでの「優柔不断」という言葉は決して獅子風蓮さんの言うような心外な言葉ではないと私は思います。逆にこんなに優しく気を遣って言ってくれている曽根俊矢さんに対して「少し冷静になってください。なんでもシニフィエさんの意見が絶対正しいと、そこに依存することは良くないと思います」などと、よく言えるものだなと思いました。これには驚きました。私も

獅子風蓮さんのコメントを読ませていただいて感じるのは、獅子風蓮さんは良し悪しは別にして創価学会を宗教だと考えているのではないかと思いました。確かに獅子風蓮さんは創価学会を言葉では否定しているようですが、戸田や池田をどこか肯定しているというか、そこになると突然トーンが落ちてしまうようですね。だから獅子風蓮さんが創価学会をまだ宗教だと思っているのではないかと思って「獅子風蓮さんは創価学会を宗教だと思っているのですか」とお尋ねしたんです。

と説明をして、あらためて「獅子風蓮さんは創価学会を宗教だと思っているのですか」という質問をさせていただきました。
そうしたら、

何回もお答えしますが、「結論、今のままでは、創価学会は詐欺だと思われてもしかたありません。創価学会に未来はありません。」創価学会内部の良心的な部分が、大きなダメージを受けるのを承知の上で、過去の犯罪と現在の詐欺的な組織悪に向き合い、本来の宗教的な団体に再生することを願っています。

と、やはり「今のままでは、」をつけて答えられていたので、要するに獅子風蓮さんは今でも創価学会を宗教だと思っているということなんですよね。しかも「本来の宗教的な団体に再生することを願っています。」とはそういうことですよね。創価が宗教でなければ再生とか未来とかの話ではないですからね。
にも関わらず、すぐそのあとに獅子風蓮さんは

「獅子風蓮さんは創価学会を宗教だと考えているのでしょうか?」という質問については、答えを保留させてください。「創価学会は宗教ではない」と言い切ってしまうのは、今も創価学会内に残って、苦しみながらも自分の信仰と向き合っている会員に対し、冷たすぎると思ってしまうのです。

とあります。この意味が私には全くわかりませんでした。「結論、今のままでは、創価学会は詐欺だと思われてもしかたありません。創価学会に未来はありません。」と言っておきながら、「『獅子風蓮さんは創価学会を宗教だと考えているのでしょうか?』という質問については、答えを保留させてください。」って、いったいどういう意味なのかがわからないのです。無理やり解釈すると「創価学会は本当は宗教なのだけれども、今のようにとんでもない悪事を続けている限りは詐欺だと思われても仕方がない。なんとか昔のような立派な宗教として再生することを願っている」と意味に私などは受け取れます。つまり結論として「私は創価学会を宗教だと思っている」という意味だと思います。このように言っているのに「保留させてください」その理由は「冷たすぎると思うから」です。やはり訳がわかりません。誰か私にもわかるように説明してくれませんか。

「冷たすぎる」って何なのか私には理解できません。もう全然わけがわかりません。創価を宗教だと信じて生きてきて、それでもいろんな矛盾に苦しんでいる学会員に「創価学会は宗教ではない」と言うのは「冷たすぎる」と思うから「少なくとも自分は創価が宗教ではないとは言い切れない」と言う意味でしょうか。まるでぺこぱのギャグみたいですね。
例えば獅子風蓮さんが「答えを保留させてください」と言われる理由が「創価は宗教ではないと思っているが、学会員さんには気の毒で言えない」ということでしょうか?それとも「創価が宗教か宗教ではないのか自分でも本当にわからないので、回答を保留させてください」という意味なのでしょうか?このブログで自分の考えを保留することに一体何の意味があるのでしょうか?私は獅子風蓮さんへ「学会員に対して創価が宗教か宗教ではないのかはっきり言え」などと言っているわけではありません。「獅子風蓮さん自身はどう思うのか?」をお尋ねしているだけです。それがわからないとこれから話をするにもしようがないからお尋ねしているんです。私が質問している意味をわかってもらえていないのかなあと思いました。獅子風蓮さんが創価を宗教と思っているのか思っていないのかで話が全く違ってくるということが獅子風蓮さんにはわからないのでしょうか?
それとそこでなぜ「冷たすぎると思うから言い切れない」という発想になるのかがわかりません。なぜその答えを「保留させてください」となるのか私にはわかりません。たとえ獅子風蓮さんがこのブログで「創価は宗教ではないと思っています」と言ったところで、どこの学会員さんが「それはあまりに冷たいじゃないか」と傷つくのでしょうか?このブログにコメントしてくれているみなさんのほとんどが自分の学会員時代の経験を通じて「創価が宗教ではないことがわかった」と言っているんです。このブログには4万件以上のそうした声が集まっているんです。そんなブログで獅子風蓮さんひとりが創価を宗教だと思うか思わないかを「保留させてください」と言うことの理由として「冷たすぎるから」と述べる意味がわからないんです。それとも他の人が何と言おうが、自分だけは真面目な学会員が傷つくような発言はできないというのでしょうか。いや、できないならできないでいいんです。ただここでは獅子風蓮さんと建設的な話ができるようにするためにも、獅子風蓮さんは創価を宗教だと思っているのかいないのかがわからないと話が成立しないのでお尋ねしているだけのことです。できないのであればこれ以上ここで話を進めることができないというだけの話ですからね。もともと冷たいとか冷たくないとか、保留するとかしないといった話ではないと私は思うのですが、いかがでしょうか。

普通に「私は創価学会を宗教と思っている」あるいは「私は創価学会を宗教と思っていない」とこのブログで言うことを、なぜ「冷たいと思うから」というわけのわからない理由まで持ち出して拒もうと(保留)しているのかがわからないです。
しかもその前後に、獅子風蓮さん自身が創価のことをボロクソに言っているにも関わらずです。獅子風蓮さんがこのブログで「私は創価学会を宗教とは思わない」と発言したからといって、どれだけの学会員が傷つくと思っているのでしょうか?それよりも、その前に今回のコメントで獅子風蓮さんはすでに曽根俊矢さんをかなり傷つけてしまっているんですよ。それは獅子風蓮さん的には構わないんでしょうか。おかしいと思いませんか?獅子風蓮さんは自分の発言の自己矛盾がわかりませんか?これが獅子風蓮さんの言う一貫性ですか?

獅子風蓮さんは

でも、このシニフィエさんのブログで発言してきたことは、十分に内容を固めてから書いていますので、「一貫性がない」といわれるのは心外です。

と言われていますが、「十分に内容を固めてから書いています」にも関わらず、一貫性のあるなし以前に、すでに曽根俊矢さんを傷つけてしまっている現実についてよく考えて欲しいと思います。

獅子風蓮さんは

私は、現在の創価学会の組織は、学会員の貴重な時間とカネの搾取のシステムの上に成り立っており、公明党という政治勢力を支配することで、日本の政治をもゆがめ、社会に害毒を与える存在でしかないと思っています。

とはっきり言われています。このことは言えても「創価は宗教ではない」と言い切れないのはどういう根拠があるのでしょうか?前者の方が学会員さんはよほど傷つくのではないかと私は思うのですが。

一例として「東村山女性市議転落死事件」についてとりあげましたが、高倉教授のブログの引用を長々としてしまい、シニフィエさんをはじめ、多くの方には煩わしかったことと思います。
でも、はじめてこのブログの内容を読んだ方は、どう思われましたか。
こんなひどいこと、許していいのか、と思いませんか。
なんとか、事件の解明に協力したいと思いませんか。

これは獅子風蓮さんが学会員に対して「創価学会が何をしてきたのかという事実に目を向けてください。創価はこれほど恐ろしいことをやってきたんですよ。こんなことが許されていいんですか。早く気づいてください」と何としても言いたい熱い気持ちの表れではないでしょうか。そんな熱い気持ちがある一方で、「創価は宗教ではない」と言うことは「真面目に活動してきた学会員さんにとっては冷たすぎると思うから自分は言い切れない」と言っているんですよね。これのどこに一貫性があるというのでしょうか?このブログで私からの「創価を宗教と思いますか?」と言う質問に対して答えることよりも、学会員さんに東村山女性市議転落死事件や香川大学の高倉教授が創価から受けた被害について知ってもらうことの方が、よほど学会員さんは傷ついてしまうと思うのですがいかがでしょうか?

繰り返しになりますが、「創価学会を宗教とは思わない」と学会員さんには冷たすぎて言えなくても「現在の創価学会の組織は、学会員の貴重な時間とカネの搾取のシステムの上に成り立っており、公明党という政治勢力を支配することで、日本の政治をもゆがめ、社会に害毒を与える存在でしかない」と言えるのはどういう理由からですか?私にはわけがわかりません。どこに一貫性があるのでしょうか?

このシニフィエさんのブログで発言してきたことは、十分に内容を固めてから書いていますので、「一貫性がない」といわれるのは心外です。

とまで言われる根拠はどこにあるのでしょうか?「十分に内容を固めてから書いています」がこれですか?

「申し訳ありませんが、獅子風蓮さんがコメントをすればするほど、獅子風蓮さんが何を言いたいのかわからなくなるばかりです」と最初に言いましたように、もう少し内容を整理して、一貫性のあることを簡潔に書いていただけないでしょうか。

どの部分が一貫性がないと思われたのでしょうか?教えていただけると幸いです。

ということですので、一例をあげさせていただきました。

他にも二律背反のことを平気で言ったり、私や皆さんの言葉を完全に履き違えたりしているところがたくさんありますが、話が長く複雑になるだけですので、ここまでにします。勘違いは誰にでもあることなので仕方がないにしても、そして自分の何気無い言葉で他人を傷つけてしまうこともあるでしょう。私が「獅子風蓮さんの話は一貫性がないので理解できない」と言ったことに獅子風蓮さんは傷ついたのかもしれません。そうであれば謝ります。ただ私は獅子風蓮さんの話に一貫性がないと感じ、理解もできないので、なぜ理解できないのかを一部ではありますが具体的に説明させていただきました。もし、獅子風蓮さんが「いや、自分の話は一貫性がある」と思われるのであれば、それをわかるように説明してください。ただしいずれにせよ「少し冷静になってください。なんでもシニフィエさんの意見が絶対正しいと、そこに依存することは良くないと思います。」などとあからさまに人を傷つけるような発言は厳に慎んでいただきたいと思います。よろしくお願いします。


解説
シニフィエさんは私に「一貫性がないので判断に苦しみます」と批判しました。
文章を書く人間に対して、「一貫性がない」というのは、最大の侮辱です。
そこで私は「どの部分が一貫性がないと思われたのでしょうか?」と聞き返しました。
それに対して、シニフィエさんは、「一貫性がない」という発言の根拠をあげることなく、曽根さんに対する私の発言が失礼だということを言いつのります。
そもそも曽根さんがショックを受けたという私のコメントは1月25日のもので、シニフィエさんが私を「一貫性がないので判断に苦しみます」と言って批判したのは、1月24日のことです。
順番がおかしいのです。
その後、シニフィエさんは、私が「創価学会は詐欺だと言われてもしょうがない」と言いつつも「創価は宗教ではない」と言い切れないことを批判し、それをもって「一貫性がない」と言っています。
しかし、私が「創価学会は詐欺だと言われてもしょうがない」と言いつつも「創価は宗教ではない」と言い切れないのは、私の主張であり、別に前言を翻した訳ではありません。
つまり、シニフィエさんは、私の質問に対して、きちんと反論できず、見当違いの批判を繰り返しているわけです。
一種の印象操作でしょう。