獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ラストステージ:SGKMKパクリ事件 その2

2021-07-18 01:23:58 | 対話ブログ

●曽根俊矢(2021年1月31日 23:45)
曽根俊矢です。

SGKMKさんのコメントに心を打たれました。
ストレートな心が説得力となって、わかりやすく胸に響きました。
そしてSGKMKさんの仰るとおり、SGIは日本と違う日蓮の扱い方で布教していますね。
謗法と自分でいいながら、会員に禁止しながら、もっともらしい言い訳を付けて謗法をやっていますね。
めちゃくちゃですよ。
根幹の事を平気で真逆にしてしまう創価を信じれるのは、ある意味逆に凄いと感じます。

そして、遠山に怒っている会員も、長沢の事を忘れてますよね。
いい包められ変に納得してしまい、今回も時間が経てば忘れるのでしょうか?

日本国内でも、海外でも創価に未来はありませんね。
大作の欲で作った組織は、大作と共に滅びていくしかないですね。
いつまでも騙されるのは、貧乏くじを自ら引きにいくようなものだと理解してください。
人の真心を奪い踏みにじった創価を宗教だなんて私は思いません。憎むべき詐欺行為の犯罪宗団です。

●signifie(2021年2月1日 01:33)
創価学会員と創価学会をやめて日蓮正宗の信者になった人たちの言い争いは、ネット上でもあちこちで行われています。その言い争いの内容はというと、大抵は互いの本尊は偽物だと悪口を言い合っているだけで、互いに現実の話には決して触れないところが、創価学会員さんと創価学会をやめて日蓮正宗の信者になった人たちはよく似ているなと思います。どっちの本尊が本物なのか?そんなことわかるわけがないし、創価学会と日蓮正宗以外の人にとってはどうでもいいことを、いい大人が延々と罵り合っているんです。創価学会は90年経って衰退の一途。日蓮正宗は大石寺ができて731年も経つのに、80万人程度の信者しかいないのが現実です。創価学会も日蓮正宗も目的は広宣流布です。日蓮は末法の本仏で、その末法の本仏の教えを世界に広めることが人類救済の唯一の方法だという同じ目的を掲げているわけですが、やっていることは互いを否定しあい罵り合ってばかりいるという現実です。創価学会員も創価学会をやめて日蓮正宗の信者になった人たちも、そうした現実については一切語ることはありません。そりゃそうですね。自分が信じる宗教の現実の話をすれば、どちらも何も言えなくなるからでしょう。まるで暗黙の了解でもあるかのように、現実の話には触れなくて、本尊がどうたら、題目がどうたらと、屁理屈をこね回しているだけのようです。
私は今の日蓮正宗についてはほとんど知りませんし、全く興味もないので、特に何かを言うつもりはありません。日蓮正宗は宗教だと思っています。ただ日蓮正宗は創価を破門する前までやってきた悪事の数々について何一つ謝罪したことがないのはおかしいんじゃないかと思っています。ただそう思っているだけです。日蓮正宗は今後も創価に利用される前の感じで細々と続いていくのだろうと思います。つまり日蓮正宗は730年続いてきた中で、たまたま創価学会という詐欺集団に、お金でほっぺたをひっぱたかれながら60年間いいように利用された日蓮系のお寺だということです。しかし創価学会に関しては、どう考えても宗教ではなく悪質な詐欺でしかないと確信しています。創価学会の現実がそのことを証明しています。そして創価学会が近いうちに消滅するのは時間の問題でしかないとも思います。
で、そんな創価学会員と日蓮正宗の信者が、互いの痛いところ(否定しようのない現実)に目を背けながら、もうすでに30年間も同じような内容(お前んとこの本尊は偽物だ)で互いを罵り合っているというのが現実です。
例えば今60歳の創価学会員と創価学会をやめて日蓮正宗の信者になった人たちは、この30年間ずっと互いに不毛な内容で言い争いを続けているんですね。創価学会と日蓮正宗以外の人にとっては何とも思っていないというか、そんなこと知りもしないし、たとえ知ったとしてもどうでもいいことなんですよね。かといって私が「そんなこといつまでやっても無駄ですよ。30年間やり続けてもまだわからないんですか?」などと言っても聞く耳を持つわけないだろうし、私もそんなことに関わる気などさらさらありません。馬鹿らしいにもほどがありますからね。
私がこのブログでやろうとしているのは、創価に騙され続けて不幸になっている学会員さんに、創価は宗教ではなく詐欺だと気づいてもらって、1日も早く創価から抜け出して幸せな日々を取り戻していただきたいということです。なので、創価学会員と創価学会をやめて日蓮正宗の信者になった人たちを相手に日蓮教学の是非について議論する気などさらさらありません。そんなくだらないことに時間を使うほど暇じゃないということです。それだけに創価学会員と創価学会をやめて日蓮正宗の信者になった人たちの言い争いをみる機会があると「何の根拠もなしに互いに『自分は正しくてお前が間違いだ』と罵り合ってるだけなのにいつまでもようやるなあ」と感心します。言うことがあるとすれば「似た者同士の相手を否定する前に、自分の現実を見たらどうですか?」っていうことぐらいです。

●たらこ唇の天使(2021年2月1日 01:50)
SGKMKさま、皆々様:
 
 シュリハンドクのアニメ、深い感慨とともに見ました。そもそも釈迦仏法は、創価学会にあっては、50年前は「腐ったご飯」でしたが、潮出版社が手塚治虫の『ブッダ』を出した30年ほど前には、「利」善美の理念のままに、学会の収入につながるってんで、「腐ったご飯」でも活用するに至ったんですよね?ほんとに御都合主義です。それはまあ良いとして、「謗法払い」で失われた文化財の多さを思えば、正宗といい学会といい、せめて全日本仏教連合会に対してだけでも謝罪するのが筋だと思います。

 5年ほど前から、何食わぬ顔で、創価大学は仏教系の学術大会などに会場を提供してやり、その席上、出席した伝統仏教教団の僧侶や、仏教系大学の教員らへ、
        「これからは仲良くやりましょう!」
などと笑顔ですり寄りつつあるようです。伝統仏教の僧侶や大学教員は、なまじお寺育ちで寛大な人が多く、性善説に立ちつつ、「そうですよね…」なとと答える人が多い、と漏れ聞いております。こういうのをしかし、「宋襄(そうじょう)の仁」というのでしょう。
 
 創価大学附属の仏教研究所の所長さんK博士は、確か真宗寺院の息子さんでいらしたはず。ある日奥様が寝室を覗いたら、冷たくなっていらした由。痛ましいことです。惜しまれます。決して学会みたいに仏罰だなどと無慈悲なことを言うつもりはございません。彼自身が自分の歩んで来た道に良心の痛みを少なからず感じており、それがいつしか病を招き寄せたのでありましょう。お浄土でどんな顔で御先祖さま(育ったお寺の歴代住職)に対面したのでしょうか?

 むろん阿弥陀さまも御先祖らも、彼が創価に身を投じたことを受け容れてはくれましょう。なにしろ、「寺族」でさえ、大学教員のポストを手に入れるのは難しいのですから。へらへらと札束を手にすり寄って来る創価の誘惑に、若き日の彼が膝を屈してしまうまでの苦衷も、私は充分に理解できます。でももう少しどうにかならなかったのかな?という思いはございます。
 
 ちなみに彼の訃報は、国内よりも先に、知人の多い海外(ドイツや台湾など)でまず話題になり、創価側も隠し切れなくなって1、2日後に発表したと記憶しております。長年尽くした職場からこのような扱いをされて、お浄土のK博士もさぞ胸を痛めていらっしゃいましょう。譬えは悪いけれど……これじゃあ、吉原の花魁が病死すると、裏門からそおっと「投げ込み寺」(浄閑寺さん)へ送られた情景を思い浮かべざるを得ません。使うだけ使ったらポイか?という憤りをさえ覚えます。


解説
SGKMKさんの問題の記事を、曽根俊矢さんやたらこ唇の天使さんが絶賛しています。
パクリ事件が判明した今読み返すと、笑ってしまいます。
SGKMKさんは内心、してやったりと思っていたのでしょうか。