獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ラストステージ:獅子風蓮の登場 その17

2021-07-05 04:43:11 | 対話ブログ

●獅子風蓮(2021年1月26日 18:49)
獅子風蓮です
連投をお許しください。
曽根俊矢さん、コメントありがとうございました。

私がいいたい事をコメント欄に打ち込み、確認したら、シニフィエさんのコメントといい回しは多少違いますが、言っている内容は同じと認識して、シニフィエさんのブログをシンプルに読みやすくする為に、シニフィエさんの言っている事が私の言いたい事と、コメントを訂正するのは、私はシニフィエ教の信者のようになってしまうのでしょうか?
心外でしたので、率直にコメントしましたが、獅子風蓮さんに不愉快な感情を与えてしまうのを承知で、恐縮ながらストレートにお尋ねさせて頂きます。
この部分のコメントは、安易だと思いました。
傷つきました。

誤解があったらいけないので弁解させてください。私は曽根さんのことを「シニフィエ教の信者」などと呼んだことは一度もありません。どこかでそのような言葉に接したのを、私の言葉と混同したのではないでしょうか。

私の「少し冷静になってください。
なんでもシニフィエさんの意見が絶対正しいと、そこに依存することは良くないと思います。
曽根さんが自分の頭で考えて自分の言葉で発したコメントには、誠実に対応していきたいと思います」という発言は、それ以前に、曽根さんが発言した内容について、述べたものです。

曽根さんは私のこの発言の直前にこう書きました。
「日蓮信仰で心が救われる人が居るからいいという考えは、非常に危険だと考えています。
日蓮正宗も創価と手を組み発展した経緯から、社会に非を認め謝罪することから、再スタートしなければならない事があるはずだと考えますが、そこはスルーしている姿勢が信仰者としてあるまじき事だと思います」と。

これを読んで、あなたは、創価にいたときは「広宣部」にいて、さんざん宗門にひどいことをしておきながら、日蓮正宗は「社会に非を認め謝罪する」べきだなんて、よく言えたものだな、と心の中で思いました。さらに、その後の「そこはスルーしている姿勢が信仰者としてあるまじき事だと思います」という発言は私に向けられた発言ととらえ、腹が立ちました。

曽根さんがブログ「罪の声」を立ち上げて、創価時代に「広宣部」として行ってきたことを書いているのは、自分の過去の行いを「罪」と認識しているからではないのですが、そのような謙虚で正直な曽根さんがこんな発言をするのはおかしい。どうも、興奮して頭が混乱しているのではないかと思い、「少し冷静になってください」と書いたのです。

曽根さんのコメントの直前、シニフィエさんが
「そもそも日蓮の教義の特徴は、人間の不幸の原因は間違った宗教にあるとするところです。同時に自分(日蓮)の考えだけが正しいというとんでもなく独善的な考えが特徴で、中でも日蓮正宗では仏教なのに教祖である釈迦をさしおいて自分(日蓮)こそが世界を救う力のある末法の御本仏だと言ったことになっています。それが本当だとしたら、私に言わせれば日蓮はただの悩乱坊主です」

という発言をしていますが、そのようなシニフィエさんの意見に引きずられて、日蓮正宗に対する憎悪の感情が生まれて、先のような発言が生まれたのかと思い、

「なんでもシニフィエさんの意見が絶対正しいと、そこに依存することは良くないと思います。
曽根さんが自分の頭で考えて自分の言葉で発したコメントには、誠実に対応していきたいと思います」と書いたのです。
そこのところは曽根さんも理解して、「私の感情的な所も見抜かれていて、理解してもらう事で腑に落ちる事は、私の性分です」と書いておられたのだと思うのですが、いかがでしょう。

私が、コメントの最後の方で、「私の考えを書こうと思いましたが、シニフィエさんのコメントと同じ事の繰り返しになるのでやめておきますね」という曽根さんの発言を引用したことが、誤解を与えてしまったようなので、この引用は取り消します。

そのあとの「シニフィエさんのブログのコンセプトは、「自分の頭で考えろ。他人のいうことをむやみの信じるな。このシニフィエのこともむやみに信じるな」だったと思うのですが……」という文は取り消しません。
ここは、非常にに大事なポイントで、シニフィエさん自身が語っていたブログのポリシーだからです。
私もいたく共鳴したポリシーでした。

獅子風蓮さんの事を優柔不断と言ってしまい私は謝りたいと思います。
優しさなんだと受け入れて、獅子風蓮さんの今後のコメントを拝見していきます。
生意気ですが、このようにしか表現の方法を知らない曽根を許して下さい。

いえいえ、私の方こそ、最後に余計な引用文を挿入したことで、曽根さんを傷つけてしまったこと、お詫びします。

本当は短気で怒らせたら怖い獅子風蓮でした。

 

●曽根俊矢(2021年1月26日 20:24)

曽根俊矢です。

先に、シニフィエさんのブログを私の感情で汚してしまい大変申し訳なく思い、1番したくない事だったので危惧していた事が、やはりコントロール出来なかった自分に嫌悪します。
シニフィエさん。
大変失礼しました。ごめんなさい。

しかし、シニフィエさんの優しさにもう少し甘えます。別スレありがとうございます。

さて、獅子風蓮さん。
感情的な獅子風蓮さんの方が私は生意気にも、親近感を覚え、話しやすく思います。
文学がない中卒の私の文章をここまで解読して頂き、頭のいい人には憧れをもちます。
考えた事は、言葉を端折ると誤解が生ずる。
だから、この議論は自身のブログでやるべきではないのかと悩みました。
しかし、シニフィエさんのブログを汚しておいて、ケツをまくるの気が引けていましたが、この場をお借りして、時間がかかっても納得するまで話し合いたいと思っております。
どうかよろしくお願い致します。

そこはスルーしている姿勢が信仰者としてあるまじき事だと思います
との私曽根な発言に

社会に非を認め謝罪する」べきだなんて、よく言えたものだな、と心の中で思いました

という感情を獅子風蓮さんに抱かせたのは、心外でした。
社会に非を認め謝罪する」べきと思うのは、日蓮正宗しか、世界を救えないと豪語するコリコリの日蓮正宗信者に向けて発言したのですが、このコメントに獅子風蓮さんが感情的になるならば、獅子風蓮さんも、コリコリの日蓮正宗信者なんだなとの答えを求めた発言です。
しかし、対話を重ね獅子風蓮さんの日蓮信仰者の創価に対する考え方、正宗の考え方の大まかな部分に対して理解出来た手応えを感じています。
説明するまでもない事だと思いますが、対話をするにあたり、このような小さな事を放置して対話を進めたら、どんどんお互いの心は離れ反発し合うのみだと考えているからで、獅子風蓮さんの誠意のこもったコメントにモヤモヤは一旦無くなりました。
それは、私が創価、正宗に対する考え方と獅子風蓮さんの考える創価、正宗の考え方の違いが見えてきた事によります。
この前提を大切にしながら、色々な事を獅子風蓮さんから学びたいと私は願っております。
それは、私のブログコメント欄か、メッセージのやり取りで希望しています。
このような私に、誠実に向き合っていただいた獅子風蓮さんとの出会いに感謝します。
実は、獅子風蓮さんの最新のブログにヘコミましたとの一言に、責任と自己嫌悪を持った事を告白して終わりたいと思います。
これからは、仲良く話して、また喧嘩のようになっても、誤解を解く努力は惜しまず対話を求めています。
シニフィエさん、大変ありがとうございます。
そして失礼をお詫びします。

 

●曽根俊矢(2021年1月26日 20:38)

曽根俊矢です。

最後にスレ違いでシニフィエさんと、皆さんに不愉快を与えてしまうかもしれませんが、獅子風蓮さんのコメントに頭に血が昇り、シニフィエさんのブログを汚してしまい、失礼だった事を謝罪させてください。
皆さん、大変に申し訳ありませんでした。ごめんなさい。
曽根の文句は曽根に言ってください。
曽根ブログコメント欄に遠慮なくお願いします。
シニフィエさん。
またブログを汚さないように気軽にコメントさせて頂きます。
シニフィエさんに感情します。
ありがとうございました??