獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:文芸部員だった雪風さん登場(5)

2022-04-11 01:39:08 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)


■私の創価後遺症            投稿日: 2016年5月16日

前スレが一週間しないうちにコメントが160を超えてしまいました。
早く更新しなければ~(笑)
これじゃ更新しなくなった白いブランコさんのブログと同じになってしまう~(笑)
おかげさまでアクセス数も順調に伸びています。1日6000~7000アクセスです。少なく見積もっても、毎日1000人の人が見てくれています。どこの誰だかわからないただのおっさんのブログに、どこの誰だかわからないたくさんの人が毎日たくさんのコメントを寄せてくれていて、それをどこの誰だかわからない1000人以上の人が毎日まいにちこのブログを読んでくれているんです。なぜか?それは「創価学会は詐欺だ」ということにとても大きな関心を持っている方がたくさんいらっしゃるということです。このブログに書かれていることが、創価脳がしきりに言うように、単なる中傷やデマだとしたら、絶対にこんなアクセス数になるはずがありません。皆さんの話がまぎれもない事実を述べていて、それを読んだ方が自分のことのように、そして創価が詐欺だと思うのは自分だけじゃなかったんだという驚きをもって見てくれているからだと思います。
創価に洗脳された人というのは、創価を疑うことに言い知れぬ罪悪感と恐怖感を植えつけられています。創価の教学とは、会員をそんな人間にするための便利な道具なんですね。「これしかない」「これだけが絶対に正しい」「このほかはみんなカス」「これ以外を信じているやつもみんなカス」「これを信じさえすれば幸せになれる」「誰よりも幸せになれる」「どんな困難が起きても、悠々と乗り越えていける境涯になれる」などと、夢のようなことを植え付けていきます。一方で「これを一度でも疑えば、たちまち地獄に落ちる」「死んで生まれ変わっても決して成仏できない」「自分の子や孫までもが不幸になる」などと、徹底的に脅しまくります。脅すだけではない。自分で自分を脅すようになるまで徹底して植え付けます。だから「創価は詐欺だ」と気付いて脱会しても、どこか後ろめたさや「バチが当たるんじゃないか」あるいは、ちょっと悪いことが起こっても「やっぱりやめたバチが当たったんだ」と、なかなか妄想から離れられないというのが現実です。もう全然信じてないつもりでも、何か危機的なことに出くわした時に、思わず題目が頭をよぎってしまう。それ「脱会してもあるある」ネタですよね。それは脳に刻み込まれたシワみたいなもので、脱会したからといって、すぐにシワが伸びるわけじゃありません。でも思わず題目が出てきたときには凹みますよ(笑)。そんな残念な自分も、みんなで笑い飛ばして前に進みましょう。
教学というのは一見、仏教のことを学ぶんでいるかのように思いますが、結局は創価を疑うだけで恐ろしいいことが起きるんだという恐怖心を徹底的に植え込むために学ばせます。教学試験というのは、より多くの会員を恐怖で縛り上げ、思考停止にして、脱会者を防ぎ、何も考えないでお金を貢ぐような奴隷を増やすために行われているのです。私も中学一年の夏と、学生部の時と、男子部の時に教学試験を受けました。昔は助教授だとか教授補だとか、わけのわからない資格を与えられて喜んでいましたが、覚醒してからわかるのは、どれだけバカになったかの度合いを示すものだったんですね。男子部の頃には青年教学○級とかに形が変わりました。その時は誰でもいいから、統監に名前のある会員なら片っ端から教学試験を受けさせろという「戦い」が活動でしたね。会員を互いに洗脳しあって、思考停止を強化させて、創価奴隷を増殖させていたんです。あなおそろしや~。
ってことで、今回のテーマは「私の創価後遺症」ってことで、ちょっと痛いですけど、みんなでここに吐き出し切って笑い飛ばしてしまいましょう。
完全非活になったのに、もう信じてないのに、脱会してるのに、詐欺だとわかったのに、なぜかまるで活動家時代と同じようなリアクションをしてしまって凹んでしまう瞬間。あるでしょ~私もありますよ~(笑)それとかアポなし訪問を受けた時に、「昔の自分もこんなに恥知らずのマジキチなことを平気でやってたんだ」と自分を見るような気がして落ち込んだり。あるでしょ。
いわゆる思い出したくもない黒歴史の傷跡が今でもふとした瞬間に表に出てきてしまうこと。みんなの前で自分のやっちまったを暴露しましょう。カミングアウトしましょう。どうせみんな似たようなこと体験してるんです。そしてそんなもん、一つも悩むことなんてないんです。みんなで笑い話にして、替え歌にして、川柳にして、ギャグにしてポイしちゃいましょう!それではよろしくお願いします。


■『対話を求めて』は創価の名誉を毀損する犯罪行為なのか?   投稿日: 2016年5月22日

ご存知の方もいらっしゃいますが、白いブランコさんのブログは閉鎖こそされていませんが、誰がどんなコメントをしても、まったく返事がありませんでした。私もしつこいくらい声をかけてきましたが、まったく反応はありません。そして今度は私が最後のコメントをしてから5日経っても誰のコメントもアップされなくなりました。今までは1日経った頃にはアップされていたので、横から失礼というHNの方が言われていたように、すべてのコメントが自動的にアップされるような設定で、白いブランコさんは見てないのかとも思ったんですが、もしかしたら読んでて意図的にアップされてないのかもしれませんね。何れにせよ、白いブランコさんはもうブログで何かをする気はなくなったということを、こうした沈黙で伝えておられるのだろうと思います。と言いますか、もう何をどう思われてもかまわないということなんでしょうね。それはそれで端からとやかくいうことではありませんので仕方ありません。しかしながら、そうなるとyさんからのその後の報告、つまり私のブログが創価の名誉を毀損する犯罪行為として訴えられるのかどうかを弁護士や法務局や警察に相談して、法的にはっきりさせた上で報告すると言われていましたが、白いブランコさんのブログがあの状態では、数ヶ月かかるというyさんの努力も水の泡になりますし、私もyさんから犯罪者呼ばわりされたままほっぱらかされたんでは気持ちのいいものではありません。
そこでyさんにお伝えしたいのは、この問題は白いブランコさんではなく、このブログの信用問題ですので、yさんの調査結果がはっきりしましたら、すぐにこのブログに報告をしていただきたいということです。
そこで今回のテーマは「『対話を求めて』は創価の名誉を毀損する犯罪行為なのか?」ということにして、皆さんからのご意見のまとめの場にしたいと思います。
ことの成り行きを知らない方にざっと説明しますと、何度も言ってきたことではありますが、このブログは創価に騙され利用されて不幸になっているにもかかわらず、学会員さんがその当事者であることを気づかずにいるのを見過ごせないからこそ、こうして「早く気づいてください」と声をかけているんです。そうしたことが犯罪行為なのかどうかは、わざわざ弁護士に相談するまでもないことは当然なのですが、yさんという方がどうしても法的にはっきりさせなければ気が済まないと、わざわざ白いブランコさんのブログを通じて言われましたので、現在その報告待ちの状態です。yさんからは数ヶ月かかるので待っているようにということでしたので、こうして待っているのですが、白いブランコさんのブログが誰のコメントも受け付けなくなっているようですので、このブログに報告していただけるように、スレッドを立ち上げました。
yさん、よかったらこのスレッドのコメント欄に途中経過でもお話ししていただけるとありがたいです。
よろしくお願いしますm(_ _)m
下の写真は上の内容とは関係ないですが、時事ネタとして貼っときます(笑)
東京都の学会員さんは創価から言われた通り舛添要一に投票したんですよね。自分で考えて入れたわけじゃないですよね。そしてその結果がこれですよ。民主国家の選挙というのは、他人から言われて入れるものではありません。有権者が自分の考えによって投票するのが民主主義の大前提です。公明党が舛添氏を推薦したから学会員は「公明党のいうことだから正しい。創価の言うことだから正しい」と信じて、自分では考えずに言われるがまま投票したんですよね。今度の参院選でも創価の言う通りに公明党の票を集めたら功徳があると信じて動いてますよね。原発再稼働を推進するんですよね。自衛隊が外国で人殺しをするのを応援するんですよね、自分の功徳のために。


■私が創価シャッターを開けた理由         投稿日: 2016年5月27日

以前、と言っても私がすっかり覚醒してからの話ですが、民音のチケットを兄夫婦からもらったことがあります。兄は私がジャズが好きなのを知っていましたので「行くならあげるよ」ということで行くことにしました。創価脳の兄夫婦は全国の学会員さんと同じように、毎回ノルマで民音のチケットを義務的に買っているわけで、特に兄夫婦はジャズと言われても何の興味もないので、私にくれたというわけです。妻に話すと「え?ほんとに行くの?」とびっくりしていました。つまり「よくまあキモい洗脳集団の中に行けるもんだ」と思ったそうです。私としては、キモい洗脳学会員の中に入っていくことよりも、好きなジャズのコンサートが聴けることの方が大きかったので、それほど気にもせずに一人で行きました。
結果、妻が正解だったと思い知りました。会場はそこそこ大きなコンサートホール。そこに集まっていたのは強烈な加齢臭を放つ後期高齢者でいっぱいでした。「今日は多宝会の全国集会か?」と、ここですでに来たことを後悔しました。どう見てもジャズを聴きたくて来た人たちではないということが誰にもわかる。もちろん高齢者の方でもジャズは聴きます。そりゃそうです。でもジャズに限らず民音のコンサートは客層が明らかにチグハグだというのは業界の常識なんですよね。若い頃、ハウンドドッグのライブにじいちゃんばあちゃんたちが来ていて、演奏が始まった途端にゾロゾロと帰って行ったのを見て、とっても恥ずかしい思いをしたことを思い出しました。そしてさらに驚いたのは、興業者もそんな客層だとわかっているので、ジャズのコンサートなのに曲ごとに司会者が解説をして、ジャズの基礎知識を説明したりします。ほとんど敬老会のアトラクションでした。で、もっと驚いたというか、気を失いそうになったのが、アンコール曲でなんと創価学会婦人部愛唱歌「母の曲」を演奏し始めるじゃあ~りませんか(笑)もうそこらじゅうのおばあちゃんたちが大きくうなづきながらの大合唱です。私は完全に打ちのめされました。ノックアウトです。このコンサートに何も知らないで来た外部の人はどう思ったんでしょう。考えただけでも鳥肌が立ちます。司会者が「こんばんは」というと、ものすごい勢いで「こんばんは!」と返してきます。この異様な一体感はまさに会館での会合のノリそのもの。今から体験発表や学会歌の大合唱でも始まるんじゃないかといった勢い。外部の人がいたら確実にドン引きだったでしょうね。悪い夢でも見たとしか思えない。
で、そんなことを思い出したので民音のHPを見てみると、なんとその時と同じジャズのコンサートが開催中ではあ~りませんか(笑)。創価は芸術文化がどうのと表向きは言ってますが、結局は学会員がノルマで強制的にチケットを買わされる仕組みがあるから成り立っているようなもので、こんなもの文化でも何でもないどころか、悪どい金儲けでしかありません。功徳があるからといって聖教新聞を無理やり何部も買わせて、ゴーストライター本も買わせて、民音のチケットも買わせて、美術展のチケットも買わせて、二束三文で買い叩いた僻地に作ったペット霊園のような貧相な墓を百万円以上もぼったくって買わせて、御本尊もバージョン変えて買い替えさせて、選挙では交通費自腹で県外まで票取りさせる。全部「功徳があります、福運がつきます」と言えば、面白いほど言いなりになる。創価のやっていることはこうした悪どい金儲けだということに、お金を出している学会員が気づかない。気づかせないように、いろんなことを仕掛けて脅して思考停止にさせる。そのための「宗教のようなもの」です。宗教ではありません。ぱっと見は宗教のような詐欺です。
創価脳は私たちの疑問には絶対に答えない。都合の悪いことは平気でスルーする。というのが、皆さんの実体験の報告でもはっきりしましたね。答えない=答えられない=都合が悪いってことなんでしょうけど、じつは都合が悪いと感じるよりも前にシャッターが下りてスイッチが入るのではないかと思うときがあります。創価の矛盾を指摘されて、そのことを考えてみた上で、これはちょっと都合が悪いぞと判断してシャッターが下りるのではなくて、何かしら反論めいたことを言われていると感じた途端に、考えることをやめてシャッターを下ろしてしまう。と同時にスイッチが入って攻撃モードに移る。だから相手が何を言ってるのか理解する余裕なんかないんだろうなと思います。そんな風に仕立て上げられている。だから、こっちがどんなに噛み砕いて、わかりやすく、小学生でもわかるように話しても、もう既に話し始めた瞬間にシャッターが下りてるわけですから話にならないのは当たり前なんですよね。
仏教には 色即是空 空即是色 という有名なお経がありますが、
創価脳は 批判即シャッター シャッター即スイッチ なんですね(笑)
あの民音のコンサートホールでは、創価シャッターで閉ざされた異様な空間に一人飛び込んでった私が大バカ者だったんです。
創価学会というのは、精神的に徹底して閉ざされた空間です。社会の常識など通用するわけがありません。そんな人たちにまともに話をしようなんて考えるのが土台無理なんですよね。
批判即シャッター シャッター即スイッチ
創価脳の家族と対話を試みるには、このシャッターとスイッチをどうやって発動させないで自分で考える機会を作るかにかかっているように思います。
ということで今回のテーマは「私が創価シャッターを開けた理由」ということにさせていただきます。つまり何が自分のシャッターを開けさせたのか、振り返ってお話ししていただけると、今現在、大切な家族のシャッターをどうやったら開けることができるのか悩んでいらっしゃる方にとって参考になったり、励みになったりすると思うんです。
完全に「創価は絶対に正しい」と信じて疑わない「単純明快完全創価脳タイプ」と、「創価にもいいところもあれば悪いところもある」という「自分大好きチョイ活創価脳タイプ」では、シャッターの開き方も違ってくると思います。で、思うのは、意外と「単純明解完全創価脳タイプ」よりも「自分大好きチョイ活創価脳タイプ」の方がシャッターが錆び付いていてタチが悪いのではないかと、自分の経験上思ったりもします。
要は自分にとっての覚醒のきっかけが何だったのかということを、今一度振り返ってみて話してください、ということです。おそらくこれまで皆さんにお話ししていただいたこととかぶるとは思いますが、もしかしたら創価シャッターを開くための大きなヒントがあるかもしれません。みなさん、よろしくお願いします。

 


解説
対話ブログが非公開になったため、コメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮