獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:文芸部員だった雪風さん登場(17)ブログは無期限休止へ

2022-04-23 01:34:47 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)


■ありがとうございました        投稿日: 2016年7月15日

皆さん、管理人の私が止むを得ずブログをほったらかしにしているにもかかわらず、たくさんのコメントをしていただいてありがとうございます。今回のことでいろんなことを考えたり、学ばさせていただきました。
その中の一つに、このブログの管理人である私が、管理ができない状態になると、やはりこんな風になるんだなと、管理人の仕事の重要性を再発見しました。
これまで何度も言ってきましたが、私は聖人君子でもなければ、このブログの管理人として中立な立場であることに価値を見出しているものでもありません。もしかしたら私は感覚的にも思想的にとても偏っているかもしれないし、この場が誰でもコメントできるネット上にあるという性質上、コメントされる方だって実際にどんな考えを基本にコメントしているのかを確実に把握する手立てはありません。
例えば「私は実は三宅洋平くんのサポートスタッフです」と言ったらどうしますか?私は三宅洋平くんの選挙フェスサポートが忙しくて選挙期間中はこのブログをほったらかしにしながら、それでもこのブログで改憲勢力をあからさまに批判することだけはやってきた人間なのかもしれませんよ。先日からの騒動をいいことに、管理人であるにもかかわらず、自分のブログの騒動を収束させようともしないで、創価公明だけではなく、ひたすら自民党や日本会議のことも批判してきましたから、「実は私は三宅洋平のスタッフです」とここでカミングアウトしたとしたら、皆さんのコメントもこうはならないでしょう。
何を言いたいのかというと、ブログというものは管理人不在では、あっという間にいろんな人が勝手なことを言い出すような場所になってしまうんだなということです。そういう意味では私が自分で意識する以上に普段からみなさんのコメントに圧力をかけ、形の決まったレールを敷いて制限してきたんだいうことがわかりました。そしてこの数週間、ほぼほったらかし状態にした結果、いつの間にかこのブログの管理人像が別に出来上がって一人歩きをしているんです。その一人歩きをしているバーチャル管理人に対して、さらに「創価と自民党を一緒に論じるのは如何なものか」とか「管理人のサヨク的な発言は読者を勘違いさせるのではないか」といったことまでが論じられるようになりました。これには呆れたを通り越して笑ってしまいました。また一方では私の精神状態を心配してくださる方がたくさんおられましたので、それは本当にありがたかったですし、私がこうしてまだ何とかブログを続けているのも、そうした励ましがあってのことです。ただ私がそうしたことに対応出来るような精神状態ではなかったことから、今のようなことになってしまったのだと思います。
しかしながら、例えば私が自分のブログで改憲に突き進む自公政権を批判するとサヨクだと思われてまずいんでしょうか?そんなのどうだっていいです。誰かがそう判断したならそれまでのことです。もっと言えば私の発言をもってサヨクだと決めつけるような人を私は最初から相手にしてません。前にも散々言い続けてきたことですが、私は物事を右と左で考えるような時代錯誤を徹底的に批判してきました。二度の核爆弾を受けながら、戦後の日本が原発推進に舵をとったのは、原発反対を訴える奴らはサヨクの危険思想家だというマスコミも取り込んだプロパガンダにまんまと乗せられた一般市民への洗脳があったからです。原発を反対することがなんとなく憚れるような風潮を意識的に作り上げてきたのが日本政府のやり方でした。福島の事故が起きるまで、多くの日本人は「原発は危険かもしれないが今更廃止するわけにもいかない」となんとなく思い込まされていたんです。このように、多くの人が物事、とりわけ政治思想に関しては右か左かといった考え方をしてしまうように仕向けられていたわけです。311を境に、多くの人が騙されていたことに気づきました。それこそ洗脳だと。
ここに書いてきた私の考えはもちろん私の考え方であり、それが正しいんだとか、これに賛同できない人はカスだと言っているわけではありません。ただ「私はこう思います」と正直に書いてるだけであって、そこには右だ左だといったカテゴリーは存在しません。こうした私の考えに対する批判を相手にしないだけの話です。相手にしたところでどうなるでしょう。私が右なのか左なのかということをここで議論して何になりますか。だから私は聖人君子でもなければ、中立であろうと考えもしないし、寛容でもありませんと何度も言っています。そんな私が管理するブログが嫌なら見なきゃいいだけだし、いちいち批判してもらわなくてもいいんです。他にもこれまでに「こうしたらいい」「ああしたらいい」「もっとこうするべきだ」「せっかくだからこんなこともしてはどうか」と言われてきました。どうぞ自分でやってください。自分でやる気もないことを人に「やるべきだ」なんて言える人の神経を疑います。
もう一度言いますね。見ての通り私は寛容なわけではありません。もちろん自分が正しいとも思ってはいません。なにしろ50年間創価が正しいととんでもない勘違いしてきた男ですから、今更何が正しいのかなんてどうでもいいことです。むしろある人にとっては正しいことでも、別の人にとっては正しくないことの方が多いのではないでしょうか。
このブログの最初に私が考える対話の意味を書いたと思います。対話とはどっちが正しいかを議論することではなく、相手の考えを受け入れることだと。それは今でも変わりません。つまり自分には到底理解できないこともあるのだから、自分の物差しで測れないことを否定するのは対話そのものを否定することではないのかということです。
ある日、タコみたいな姿をした火星人が円盤に乗って地球にやってきたとします。当然、何を言ってるのかわかるわけがありません。そこで地球人は勝手に火星人が地球を侵略しにやってきたと決めつけて、核爆弾で木っ端微塵に爆破してしまうような陳腐な話です。こんなことがこのブログで展開されているのを見て、私は言葉をなくしていたんです。
「お前は間違っていて、俺が正しい」これは創価が会員に植え付けてきた価値観です。これと同じことが創価が詐欺だと気付いた人間同士が始めてしまった。収束しそうになっても「ひとこと言っとかないと気が済まない」と言った感情に踊らされて、それはいつまでも続いた。
このブログは一体何なんだ。
基本的に自分は正しいなどと他人に主張するような人間は信用できません。ブログでも放っておくと、いつの間にやら誰にとっても寛容で中立性のある正論を貫き通すのが管理人の役割であるがごとくの雰囲気になってしまう。今回のゴタゴタによってやる気をなくした私が、さらに言葉をなくしてしまったのは、私が不在だと、ブログの中に勝手に別の管理人像が出来上がってしまっていたからです。
それからもう一つは、未承認でのコメントがものすごく増えたこと。毎日毎日「未承認で」「先ほどのコメントは削除してください」こればっかりになるようになりました。互いに変に気を回してヒソヒソ話が横行する。このブログは一体何なんだろう。創価問題の体験を話す場所だったんじゃないか?それがいつの間にか聖人君子の妄想管理人に「これが正しいのだ」と押し付けに来るような場所になってしまっている。
「自分はこう思う」というのは「自分は正しい」というのとは違います。全く違います。「正しいかどうかは別にして自分はこう思う」なら対話になります。互いに考える土壌が作られます。「自分が正しくお前が間違っている」というとそれ以上の対話は成り立ちません。成り立たないとなると、今度は気がすむかすまないかの感情のぶつけ合いになってしまいます。何も生み出しません。無駄に傷つけあうだけです。
私が今回の騒動でやる気をなくしたのは、確かに豹変した雪風さんの理解不能の大暴走に端を発したことではありますし、モニカさんが図らずもその火に油を注いでしまったということもあるかもしれません。さらにそれがレモンさんと感情的な衝突にまで発展してしまったと思っています。ただ残念なことに対話から離れていって最後には「ひとこと言わないと気が済まない」といったレベルの口喧嘩の応酬みたいになってしまいました。途中で何とか収まって欲しいと思っていましたが、それを収めるべき立場の私にしても気力を削がれていたのでどうにもできませんでした。それで結局は禍根を残したままになりました。たぶんモニカさんはもう来ないでしょう。そこでまた私は「このブログは一体何なんだろう」とやる気を削がれていきました。
私は創価問題に関して、たいていのことは我慢したり調整したりする気力はあるつもりでしたが、今回ばかりは全くそうしたこととは違う次元の問題でした。
いろいろと考えさせられました。つまりはコミュニケーションの問題です。人間の悩みのほとんどがコミュニケーション不全によって発生すると、ある時期痛感したことがあります。創価学会の問題も、人間同士のコミュニケーションをぶった切ってしまうことから始まります。「俺は正しくお前が間違い」こうしたコミュニケーションを頭から否定する日蓮の思想を利用して、創価はコミュニケーションを図れない人間を増産しながら搾取を続けてきたわけです。
自分に理解できないような話をされた時に「自分には理解不可能なことが実際にあって、たとえそれが理解できないからといってそれを否定する道理はない。それは単にコミュニケーション不全に陥ってるだけの話だ」と思うようになりました。私は今回のことについても「世の中には自分に理解できないことがあるんだということを考えて欲しい」と言ってきました。つまり「自分に理解できないことを自分に理解出来る範囲の物差しで判断するのが間違いの元なんじゃないか」ということです。だから「自分には理解できないけれども、おそらくそんな考えもあるんだ」ということで逆にそれ以上のことは言えませんでしたし、誰しもすべての人と分かり合えるような方法も暇もないということです。繰り返しになりますが、少なくとも相手の言うことが理解できないからという理由で相手を否定していいということにはならないのではないかということです。
ということで、今回の騒動は、なんとも後味の悪い形で終わりということです。なんとか事態を解決しようとしてくださった方には申し訳ありませんが、このような終わり方しかできなかったのは、すべての原因は管理人である私の力のなさです。
そこで、やはりこのブログは無期限にお休みすることにさせていただきます。たくさんの方から励ましの言葉をいただきましたが、このブログをこのまま継続していくだけの魅力を感じきれなくなったというのが正直なところです。このままいけば、今年中に500万アクセスに行くだろうなとかの色気が無いわけではありませんし、ここでやめたら創価の思う壺だとか、このブログの存在によって、もっと多くの人が覚醒のチャンスをつかむことができるとか言われるのもわかっています。自分でもまさかこんな形で終わりが来るとは思いもしませんでした。
最後にお伝えしておきたいのは、このブログがここまでこれたのは、モニカさんの存在があったからということを皆さん忘れないで欲しいということです。結局、モニカさんは袋叩きにあって傷ついて去って行きました。このブログでのモニカさんの存在は大きかったです。でも実際に私とモニカさんは特に言葉をかわすことはとても少なかったんです。互いに「モニカさんがおっしゃるように」とか「シニフィエさんが言ったように」とった言葉がコメントに入る程度だったんです。なのにモニカさんとは不思議なほどわかるような気がしてました。というか不思議でしたね。私が何も言わなくても、私が立場上言えないことを的確に言ってくれていました。確かに絹きせぬ言葉は場合によってはきつくて、とてもついていけない人もいたかもしれませんが、逆にそこがモニカさんのいいところでもありました。かといって決して鉄のような神経ではなく、とても繊細で傷つきやすい多感な方だと今でも思っています。だからこそ他人の心を弄んで喜んでいるようなウンコタレは断じて許せなかったし、ウンコタレに対するアンテナも人一倍鋭かったのだと思います。ウンコタレを見分ける特別な能力があるのではなく、そこに嫌でも問題意識を集中するからこそ、普通では逃してしまうようなウンコタレの悪臭も我慢がならないんだと思います。モニカさんはウンコタレに気づかない人に対して怒っていたのではなく、何も気づかずに騙されている状況を見て、そんな素直な人の心を弄んで喜んでいるウンコタレを誰よりも許せなかったということです。それだけなんですよ。ただそれをわかってくれないというか、批判の矛先がウンコタレではなくて自分に来てしまったことに対する絶望と苛立ちが、あのようなストレートな言葉になってしまったのだと思っています。
以前、このブログで創価脳の鉄砲玉がやってきた時にモニカさんに対話の相手をしてもらったことがあります。それはものすごいツッコミようでしたが、創価脳のあまりのふざけた態度に、途中で私がストップしたことがあります。モニカさんから「もっと徹底して対話がしたい。頼むから続けさせてくれ」とお願いされました。その時、私は「この人は自分には理解できない物差しがあるんだ」と思いました。しかし、その時はブログ全体の進行のこともあり、私の判断で中断しました。おそらくモニカさんは並外れた興味があったんだろうと思います。つまり創価脳の異常さをとことん知りたいという興味です。その興味の前には、創価脳の人間性の欠落など屁でもないといった強靭さが、私が「この人は自分には理解できない物差しがあるんだ」と自分を納得させたような気がします。
今回のことで私がモニカさんのきつい言葉をたしなめずにいたことで、皆さんは何でだろうと思われていたと思います。普通に考えればレモンさんの発言が多くの人が共感できると思いますし、実際そうでした。ただ私はモニカさんに何も言わないと同時に、レモンさんにもあえて何も言わないようにしました。レモンさんには悪いことをしてるなとは思いました。そうしたことも結局は私は自分をどうにもできないところに追いやっていたんだと思います。レモンさん、気を悪くしていたらごめんなさい。あえて私の出る幕ではないと判断しましたし、自分の今のメンタルではどうにもできないだろうと思いましたし、それ以上に鬱の状態でしたので、言葉が見つからなかったということもあります。他の皆さんも何とかしようと声をかけたり、あえてこのことには触れずに本来のコメントをして軌道修正できればと頑張ってくださったこともビシビシ感じています。本当にありがとうございました。
どこの誰か互いに知らないとはいえ、多くの方々がこのブログで知り合うことができたのは、一つの成果だと思います。顔も名前も知らない者同士でも確実に心を通わすことができたんだと思います。創価が崩壊してみなさんとビールかけができないのは心残りですが、このブログはここで終了させていただきます。ありがとうございました。

 


解説
この騒動のあと、対話ブログはコメント欄を残して、「無期限休止」に入ります。
ここまでをステージⅡと命名します。
このあと、ステージⅢが始まりますが、私のこのブログのシリーズも、しばらく休止したいと思います。

この後は、「反ワクチン・陰謀論」に関して海さんと交わした「対話」を、読みやすいように再編して、記録に残したいと思います。

準備にしばらくかかるかもしれませんが、新シリーズの開始をお楽しみに。

獅子風蓮


PS)

>結局、モニカさんは袋叩きにあって傷ついて去って行きました。

シニフィエさんのこの言葉は重要です。記憶にとどめておいてください。

>今回のことで私がモニカさんのきつい言葉をたしなめずにいたことで、皆さんは何でだろうと思われていたと思います。

シニフィエさんは、このようにも言っています。

つまり、モニカさんは「袋叩きにあって傷ついて去って行った」が、自分はモニカさんを庇いたかったが庇いきれなかったということですね。

獅子風蓮

(2022.4.25 追記)