獅子風蓮のつぶやきブログ

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乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』Ⅰ章 その1

2023-02-01 01:51:16 | 東村山女性市議転落死事件

長井秀和が西東京市市議会議員選挙で当選を果たしました。
その選挙戦の中で、長井秀和は東村山市議転落事件に言及し、それを創価学会は誹謗中傷ととらえ、告訴に踏み切るというきな臭い争いも起きているようです。
私は、長井秀和自身はどうでもいいですが、東村山市議転落事件については真相解明を望むものです。
そのためには、何が問題になっているかを、今一度冷静になって考えるべきだと思います。
基本的な情報を共有するために、いくつかの資料を提示したいと思います。

乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』(教育史料出版会1996年5月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□まえがき
■Ⅰ章 怪死のミステリー
□Ⅱ章 疑惑への道のり
□Ⅲ章 対立の構図
□Ⅳ章 たたかいの軌跡
□Ⅴ章 真相を明らかにすることは民主主義を守ること
□あとがき


Ⅰ章 怪死のミステリー

不可解な死

◆霊安室
東村山警察署本庁舎奥にある駐車場の一角に設けられた霊安室で、1995年(平成7)9月2日朝、私は変わり果てた朝木明代東村山市議(50)と対面した。
薄暗いタイル張りの霊安室には、形ばかりの祭壇が設けられ、線香が静かに香煙を立ち昇らせている。祭壇の奥には白い焼き捨て覆いに包まれた棺が置かれ、そのなかに朝木さんは横たわっていた。
棺の小さな窓をあけてのガラス越しの対面。そこにはいつものにこやかな笑顔はなく、厳しい顔つきをした“白い”朝木さんの顔があった。体はすっぽりと布に覆われており、見ることができない。まるでそこに朝木さんの顔だけが置かれているような印象を受けた。対面を終えて、ふと足元に眼をやると、無造作に置かれたバケツのなかに、遺体を処置したものであろうか、生々しい血糊のついたガーゼが幾重にも重ねて打ち捨てられていた。

私が、週刊誌の取材を通じて朝木さんと初めて会ったのは、94年の6月のこと。当時、朝木さんは、東村山市に隣接する小平市にある学校法人創価学園で生じた人権侵害事件(後述)に積極的にかかわっており、私は、その取材のために朝木さんを訪ねたのである。以後、私が東村山市出身であること、また、1978年(昭和53)まで創価学会に在籍、創価中学、創価大学を卒業、ジャーナリズムに携わるようになってからは、創価学会問題を重要な取材対象としていることなどもあって、創価学会・公明党(現公明)と厳しく対峙していた朝木さんと親交を重ねることになった。

◆トップ当選の人気市議が……
福祉活動に携わるボランティア主婦だった朝木さんが、ボランティア仲間の勧めによって市議選に出馬したのは1987年(昭和62)。以来、95年の統一地方選で3期連続当選。初出馬こそ最下位だったが、二期目、三期目はトップ当選を果たしているように、朝木さんは、東村山市では、人気、知名度とも抜群の人物。東村山市議会を「ムラ議会」と批判し、議会や月1回発行するミニコミ紙「東村山市民新聞」(発行部数4万3000部)で、歯に衣着せずに行政や議会の不正を追及することで、多くの市民の共感を得ていた。
特に、一般市民が不況で苦しんでいるにもかかわらず、議会が自ら議員報酬の値上げを議決することを、「お手盛り値上げ」と批判。給与の引き上げ分やボーナスの割増し分を8年間にわたって返上する姿勢は、市民の問で高い評価を得ていた。ちなみにその返上総額は、95年5月分までで総額806万5420円にのぼっている。
そうした朝木さんの活動の一端を「東村山市民新聞」の一面見出しから拾うと、こんな具合になる。
「市長周辺に4700万円・有料借上げの体育施設用地・固定資産税免除は違法・東京地裁、朝木市議に軍配」(91・4・10)
「税金で温泉旅行・名目は議員研修・熱海の保養所で宴会も・市長ら市幹部も出席」(91・6・19)
「税金でパーティーも・流域下水道対策協議会・支出の大半が飲食費・議長の遠藤議員が出席」(91・8・21)
「こっそり免税・雑木林3000坪の固定資産税・市長、議員も百万円単位で・市長後援会長(農協組合長)も」(91・12・18)
「議長らに黒い疑惑・議長交際費から公金支出・右翼関係者に「寄付金」・朝木議員、厳しく抗議申し入れ」(92・11・18)
監査請求によって税金の不正支出を取り戻したり、慣例化していた行政と議会のなれ合い、さらには議会と暴力団関係者との癒着を剔抉(てっけつ)するなど、市民不在の談合体質を厳しく批判する姿勢は、多くの市民の共感を呼んだ。だが、当然のことながら行政、議会には煙たがられ、終始、鬼っ子扱い。一期、二期の8年間は、27対1と四面楚歌状態のまま虐められ続けた。

◆「朝木さんが殺されました」
その朝木さんが亡くなったとの電話が、私のもとに入ったのは、9月2日の午前6時。電話をかけてきたのは、東村山市議会で朝木さんとともに「草の根市民クラブ」を構成していた矢野穂積市議だった。矢野氏は、嗚咽を必死でこらえていたのだろう、絞り出すような声で次のように朝木さんの死を私に伝えた。
「朝木さんが殺されました」
一瞬、信じられなかった。というのも、この日の夕方5時半の飛行機で、私は、朝木さん、矢野氏、ジャーナリストの段勲(だんいさお)氏とともに、翌3日の午後に高知市の自由民権記念館で開かれる予定の、市民団体「ヤイロ烏」主催の「宗教法人法と政治を考える」シンポジウムに、パネラーとして出席するために高知に向かう予定でおり、朝木さんとは、一週間ほど前に「高知には楽しく行きましょうね」と電話で話したばかりだったからだ。
「東村山駅前のビルの上から突き落とされたようです」
矢野氏の言葉に、私は取るものもとりあえず、東村山に向かった。私の住む埼玉県内の西武新宿線最寄り駅から東村山駅までは、所用時間たかだか十数分。だが、この日はその十数分がとても長く感じられた。
東村山駅に着いたのか6時半すぎ。東口を出た私の眼に飛び込んできたのは、駅前にあるハンバーガーショップの前で、警察犬を使ってなにやら捜査している鑑識の腕章をつけた警察官の姿だった。
倒れている朝木さんが発見されたビル「ロックケープ」は、東村山駅東口ロータリーに隣接する雑居ビルで、一階にハンバーガーショップ「モスバーガー」、二階に焼肉店「金龍閣」が入り、三階から六階まではワンルームマンションとなっている。東村山駅東口からの距離はほぼ40メートル、東口に隣接して設置されている駅前交番からはわずか30メートルという至近距離にある。
この「ロックケープ」ピルで事件が発生したのは、9月1日の午後10時頃と見られている。同時刻に五階の住人の同居人女性が、「キャーッ」という女性の叫び声とドスンという音を耳にしているのをはじめ、近隣に住む複数の住民もドスンという音を聞いているからだ。


(つづく)

 


解説
ジャーナリストの乙骨正生さんは、非常に冷静な筆致で、事件の経緯を描き出します。

94年の6月のこと。当時、朝木さんは、東村山市に隣接する小平市にある学校法人創価学園で生じた人権侵害事件(後述)に積極的にかかわっており……

私は、昭和51年(1976年)に創価高校を卒業しています。その18年ころ、創価学園で人権侵害事件が生じたいたんですね。
それが結果として、朝木さんを巻き込んでしまったわけです。
かつての創価学会員として、創価高校の卒業生として、朝木さんに申し訳ない気持ちがあり、それが事件の真相解明を望む理由の一つとなっています。

獅子風蓮