獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

正木伸城さんの本『宗教2世サバイバルガイド』その3

2024-01-17 01:07:52 | 正木伸城

というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。

(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 

1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
□ぼくの名付け親は池田大作
□創価大学へ進学、そして信仰に目覚める
■学会本部に就職、仕事や病気の悩みに直面
■組織への違和感が募り、心が引き裂かれる
□急速に冷めていった信仰熱
□好きなことで生きていく、いまの自分へ
□宗教2世の処世術をみなさんに伝えたい


1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
(つづきです)
学会本部に就職、仕事や病気の悩みに直面

大学3年、就職活動の時期のことです。ここから、新たな人生の展開がはじまります。結論を先にいえば、ぼくは創価学会本部に就職します。
ですが、それを決断する過程において、ひと悶着(もんちゃく)がありました。
ぼくは、自身の進路を「NASDA(宇宙開発事業団。現・JAXA〈宇宙航空研究開発機構〉の前身となる一機関)」にすると決めていたのです。ぼくは大学で、宇宙開発系の学問を専攻していました。
では、なぜ本部職員になると決めたのか?
先輩からの説得にあったのが、その理由といえます(また説得……)。
もちろん、いざ創価学会本部に進むと決めたら、「しぶしぶ行きます」というわけにはいきません。
そう思ったぼくは、唱題(「南無妙法蓮華経」を唱える祈り)を何時間も何時間も、何日も何日も実践して気持ちを整理し、「広宣流布のために」と心を定めて、教団本部に入ることを納得させました。
そして2004年4月、創価学会本部へ。聖教新聞社の記者になります。「聖教新聞」とは、創価学会の機関紙です。
ぼくは記者として、全国で活躍する学会員、人生の困難に立ちむかう信心一徹のメンバー、有識者、芸能人などを取材してまわり、それを記事にしていきました。
途中からは、創価学会の教義を聖教新聞紙上で解説する専門部署に異動し、そこで教えの記事を発信するようにもなります。仏教学も、このときにめちゃくちゃ勉強しました。 
燃えさかる使命感は、相当なものだったと思います。

ただし、本部職員としてのキャリアは順風満帆(じゅんぷうまんぱん)ではありませんでした。
病気がぼくを襲ったのです。
症状名は、うつ病、パニック障害、不安神経症、そして離人症。
精神疾患がきわまり、精神病棟に入院したこともあります。休職もくり返しました。
本部職員生活のほとんどは、うつ病と共存する日々でした。
電車に乗るだけでも動悸と吐き気で卒倒しそうになる。取材前には緊張で手足がガタガタふるえて止まらない。思考も停止気味になることがしばしば。気分が沈んでうつぶしているときに大声をあげて自分を奮い立たせ、職場にむかったことも、何度もありました。


組織への違和感が募り、心が引き裂かれる

ぼくがうつ病になった原因は明らかで、創価学会の組織文化が合わなかったのです。 それはじつは、学生時代から感じていたことでもあります。
これはぼくの意見ですが、創価学会の組織には膨大な課題があります。それに十分な対応をしないがゆえに、学会員のなかには、不本意な行為に巻きこまれたり、心を傷つけられたり、立場を排除される人が出ていました。
本書の第2部では創価学会の「成果主義」にかんする話題が出てきます。布教をはじめ、さまざまな項目一つひとつに達成をもとめられ、その達成数を追いかけるように組織に仕向けられることがあったのです。
そして、学会活動の現場が数字、数字、数字となる。
すると、本来であれば相手の幸福のために行われる布教が、一部では数字のために雑に行われるようになります。ほとんど押しつけ的に、強引に布教をしてしまう人が出てくるわけです。
それで友情が破綻するというケースを目にし、ぼくは心を痛めてきました。
なかには、数字を追わなければいけないという強迫観念から、精神的に病んでしまう人もいました。
これが成果主義の弊害の一つで、ぼくの知る創価学会の組織課題の一つです。

こうした成果主義をはじめ、「自分には合わない」と感じられる創価学会の組織文化がけっこうありました。
ぼくは、「合わない」と思ってしまう自分に苦悩し、「清浄な団体である創価学会に心身が合わないなんて、自分はおかしいのではないか」と自責の念を感じつづけました。一方で、組織について「ここは変えたい」「ここは改善点だよね」といった具合に課題として認識したことは、学生時代からメモにまとめていました。
その項目数は、300を超えます。
ぼくは組織に適応できない自分を恥じつつ、問題意識も抱いていたのです。
学生のころからそんな感じだったため、NASDAの夢を捨てて創価学会の職員になると決めた際には、「学会をこのままにしておくわけにはいかない! 俺が改革する!」と誓いました。……気負いが、ハンパないですね。

学会本部のなかで見聞きしたことは、多岐にわたります。おそらく多くの本部職員は、それに適応していったはずです。
でも、ぼくは変わっているからか、次第に組織への違和感を募らせていきました。 宗教活動の現場で、現今の宗教2世が告発しているような被害や、宗教由来の虐待を受けた過去をもつ人などに出会い、そういった“被害者”を助ける経験もありました。
たとえば、成果主義に追われて倒れた人などから、「学会の行き過ぎた成果主義、どうにかなりませんか?」と相談を受けたりしたのです。
その過程で募ったのも、やはり違和感でした。創価学会の信心をすることでかえって苦しみ、不幸せになっている学会員がいるのは、なぜだろう。
本来であれば、本部職員であるぼくが、そういった学会員を励まし、幸せにむけて手をたずさえて立ち上がるべきだったのでしょう。
でも、ぼくの力にはかぎりがあります。うまく支えられません。
悔やむばかりの日々でした。こうして、ぼくの心は引き裂かれていきます。
(つづく)


解説
学会本部のなかで見聞きしたことは、多岐にわたります。おそらく多くの本部職員は、それに適応していったはずです。
でも、ぼくは変わっているからか、次第に組織への違和感を募らせていきました。 宗教活動の現場で、現今の宗教2世が告発しているような被害や、宗教由来の虐待を受けた過去をもつ人などに出会い、そういった“被害者”を助ける経験もありました。
たとえば、成果主義に追われて倒れた人などから、「学会の行き過ぎた成果主義、どうにかなりませんか?」と相談を受けたりしたのです。
その過程で募ったのも、やはり違和感でした。創価学会の信心をすることでかえって苦しみ、不幸せになっている学会員がいるのは、なぜだろう。
本来であれば、本部職員であるぼくが、そういった学会員を励まし、幸せにむけて手をたずさえて立ち上がるべきだったのでしょう。


きっと正木伸城さんは、自分に正直で真面目な人なのでしょう。
そういう人だからこそ、心に負担を抱えて行ったのです。


獅子風蓮