獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

正木伸城さんの本『宗教2世サバイバルガイド』その11

2024-01-29 01:51:58 | 正木伸城

というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。

本書は、悩める「宗教2世」に対して書かれた本なので、私のようにすでに脱会した者には、必要ない部分が多いです。
そのような部分を省いて、正木伸城氏の内面に迫る部分を選んで、引用してみました。

(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 

2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
□親子関係編
□恋愛、友人関係編
□進学、就職、転職編
■信仰活動編
□信仰活動離脱後編


2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル

信仰活動編
(つづきです)


Q:教団の組織運営に、疑問をもつことが増えてきました。

A:信仰活動で、「知的に考える」ことをやめないでください。


これは創価学会という組織にかぎらずですが、たとえば「過度な成果主義」といった組織の課題を見つけた人が、「そういうものだから」「これまでもそうだったから」といってそれらを見過ごしていくうちに、もともと課題にたいして抱いていたはずの「イヤな気持ち」に不感症になっていく、ということがあります。あたかも、成果主義への違和感を忘れたかのように、です。
そして、ほかの人が感じている「イヤな気持ち」を察知することもできなくなっていく。
こういう人が増えると、課題解決は遠のくばかりです。

(中略)

 

Q:「アンチの声には耳を傾けるな」と教団から、いわれました。

A:アンチの声を、自分のなかでうまく活かす方法もありますよ。 


新宗教のなかには、「教団外の人はサタンだ。話を聞いてはいけない」といったことを教えているところもあります。とくに、「アンチの声には耳を塞ぎなさい」というのです。
しかし、それでもアンチに出会ってしまうことがあります。そんなとき、どうすればいいか、ぼくの一例をしめしましょう。
ぼくが学会活動にハマりはじめたころ、インターネットの世界では創価学会にかんする「2ちゃんねる」(当時)などの掲示板やスレッドが立ち上がりはじめていました。ブログでも創価学会の批判をする人が出てきていました。
そういった情報にふれたとき、最初はイヤな気持ちになったことをよく覚えています。学会のことを悪くいわれると、喉の奥がキュッと締めつけられるようになるのです。
ですが、途中でぼくは「2ちゃんねる」などのネットのアンチ情報に価値を見いだすようになります。
よく読んでみると、書きこみのなかには建設的な意見も散見されたからです。一見して暴論のように読める批判のなかにも、耳を傾けるべき組織改善のヒントがあることもありました。
ぼくはそこに気づいてから、積極的に「2ちゃんねる」や批判ブログなどを見るようにしました。
そこで得た考えによって、「違和感リスト」を補強したことも、一度や二度ではありません。


ネットの意見を利用すれば、独りよがりにならない

ビジネスの世界でも、Amazonレビューの低評価のコメントから、商品の改善点を抽出することがありますよね。それに似た作業として、ぼくはネットの閲覧をしていたのです。
また、ネット上でさまざまな批判者に出会うことで、たとえば組織的に「よかれ」と思ってなされたことについて、「そういう(ネガティブな)受け止めかたもあるのか」と、新たな視点を教わることもありました。
わたしたちは、生活のなかで「あなたのため」と思ってさまざまな行為におよびます。
しかし、それがほんとうに「その人のため」になっているかというと、実際にはそうではなかったということも少なくありません。
自分の「よかれ」が、相手にとってはそうとはかぎらない。そういったケースが、学会活動においてもたくさんあります。
そのことを思い知ることで、ぼくは自身の考えかたや意見が、独りよがりにならないための知恵を身につけていきました。

ネットにある情報はもちろん玉石混淆ですけれど、ぼくはネット上の創価学会批判を定点観測し、視野を広げました。
ただし――この取り組みは、精神的に耐えられない人もいると思うので、無理はしないでください。
やはり、所属教団やもといた教団の悪口を見るのは、人によってはつらいものですから。

(中略)

 

まとめ

ぼくには信仰に熱心だった時期があります。そのとき、創価学会のなかで、さまざまな不条理に直面しました。教団の方針をただ無条件に受けいれて、いわれるままに行動するのはもったいない。
本章では、信仰活動をやると判断した場合、そこからどんな学びを得るのかに焦点をあてて、そのメソッドをしめしました。
強調したいのは、元来、コミュニケーションにあふれているはずの宗教実践の場で、相手の心のひだにふれるような対話の仕方を学習することの重要性と、教えを信じつつも知的な活動はやめないことの大切さです。
これらは、仮にあなたが信仰から離れ、教団を退会したあとでも、とても役に立ちます。
本章の内容を心にとどめて、(無理のない範囲で)信仰とむき合ってみてください。

 

 


解説
よく読んでみると、書きこみのなかには建設的な意見も散見されたからです。一見して暴論のように読める批判のなかにも、耳を傾けるべき組織改善のヒントがあることもありました。
ぼくはそこに気づいてから、積極的に「2ちゃんねる」や批判ブログなどを見るようにしました。

ここは意外でした。
正木伸城さんは、対話ブログや気楽非活さんのブログなども見ていたのかもしれませんね。


友岡雅弥さんは本部職員を辞めさせられても、信仰は棄てなかった。
でも、正木伸城さんは信仰を棄ててしまった。


もしかしたらシニフィエさんあるいは気楽非活さんに背中を押されて、日蓮仏法から離れたのかもしれませんね。
その決断は、正しかったといえるでしょうか。
結果的に、再就職にも成功して、今はライターとして立派に仕事をしていますが、それまでにいたる過程ではうつ病にもなり、自殺未遂も繰り返したといいます。
もし、信仰に支えられていたら、もう少し穏やかな心持を保てていたような気がします。

 

 

獅子風蓮