獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

正木伸城さんの本『宗教2世サバイバルガイド』その8

2024-01-26 01:10:24 | 正木伸城

というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。

本書は、悩める「宗教2世」に対して書かれた本なので、私のようにすでに脱会した者には、必要ない部分が多いです。
そのような部分を省いて、正木伸城氏の内面に迫る部分を選んで、引用してみました。

(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 


2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル

□親子関係編
□恋愛、友人関係編
■進学、就職、転職編
□信仰活動編
□信仰活動離脱後編


2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル

進学、就職、転職編

 

Q:大学進学について、親から介入を受けて困っています。

A:ぼくは説得に負けたけれど、人生の大切な判断に妥協はいらない。


宗教2世のなかには、「教団がよしとする生きかた」を幼いころから教えこまれたり、折々の進路選択で周囲から介入を受けたりするなど、進学や就職、転職といった人生の大きな決断で制約を受ける人がいます。
ぼくにも、そういった側面がありました。

第1部で、ぼくはもともと創価大学に行く気がなかったことにふれました。そんなぼくが、なぜ創価大学に進んだのか?
創価高校時代、ぼくはいわゆる「受験クラス」にいました。そのクラスには、創価大学以外の大学への進学を目指す生徒が集まります。創価大学への進学を希望する生徒とは、クラスが分けられていたのです。
ぼくは以前から宇宙開発に興味があったので、目指す大学も宇宙関係に強い大学になります。
志望先は、創価大学以外の大学ばかり。創価大学に行こうとは考えていませんでした。
ところが、そんな進路を夢みていたぼくは、父の説得にあいます。
ある日、神妙なおももちで父が「進路について話さないか?」といってきました。寝室によばれ、対話がはじまります。
「お前、創価大学には行く気がないのか?」
ぼくが「ない」と答えると、父は前傾姿勢になって創価大学のすばらしさを語り、たたみかけてきました。
しかし、当時、創価学会を嫌っていたぼくはそれを跳ねのけて、「俺は宇宙に強い大学に行く」と断言し、部屋を出ていこうとします。
すると、父があらたまった表情でこういってきました。
「これまで、お前の人生について『ああしろ』『こうしろ』とは一切いってこなかった。だが、この願いだけは聞いてくれ。創価大学に行ってほしい。頼む」
長い沈黙が部屋をつつみます。その後も、対話はつづきました。
徐々に、ぼくの心が揺れはじめます。
しかも、創価大学には宇宙開発系のゼミが一つだけ存在しました。そこを目指しての進学は、可能性としてゼロではないのです。

長い一日でした。父は根気強く熱弁してきました。
たしかに、父は放任主義でぼくを育ててきた。その父が襟を正して、あらたまって「創価大学に行ってくれ」と熱望している。それはそれは葛藤しました。そしてぼくは父の熱意に根負けして、創価大学に行くことを決めました。いまから思えば、こういうときこそ自分に正直になるべきですよね……。
ぼくは妥協してしまったわけです。


自分の心に嘘をついてはいけない

創価大学への進学は、父以外の人たちからも勧められました。
ぼくは拒否しつづけましたが、周囲の人は、まるでシャワーのように「正木くん、君の進路は創価大学にすべきだよ」という言葉を浴びせてきます。すると、次第に創価大学が脳裏にチラつくようになっていくのです。
おなじことは、就職にも起こりました。
ぼくは自分の進路をNASDA(宇宙開発事業団、現・JAXA〈宇宙航空研究開発機構〉の前身となる一機関)にすると決めていました。
ところが、周囲はおかまいなしに「創価学会本部に進んだほうがいい」「正木くんみたいな人材こそ、本部がもとめる人物像だよ」といってきます。
これにも相当、困惑しました。圧力はかなりのものです。
なかには、「三顧の礼」をもってぼくを「職員になるように」と説得してきた大先輩もいました。
「三顧の礼」とは、名著『三国志』で知られるエピソードで、かの諸葛亮孔明を軍師として自軍に迎えいれるために、武将・劉備玄徳が3度にわたって諸葛亮のもとを訪ねた故事に由来する言葉です。目上の人が目下の人のところに何度も出向いて礼を尽くし、そのうえで物事を頼むことをいいます。

ぼくは、結論的に創価大学に進み、創価学会本部に就職することを選びます。就職時のぼくは、もはや立派な大人。いくらまわりの圧力があったとはいえ、それはぼく自身の選択です。
先にのべた、「自分の本音に耳を澄まして、自分の頭で考え、自分に正直に生きよう」という行動原理に、ぼくは反しました。
これは悔やまれました。
とくにうつ病のとき、ぼくは苦しみのなかで後悔の念を何度も抱きました。本部職員になっていなければ、ぼくはうつ病になっていなかったかもしれない。創価大学に進学していなければ、本部職員になっていなかったかもしれない。いまの苦しみは、まわりの圧力に屈したために起きている。
なにをしてきたんだ、俺よ――。

悔恨を振り払うようにして、やがてぼくは学会本部を退職します。
そのことを思うと、ぼくは複雑な気持ちになります。「すべては自己責任だ」といわれれば、それまでなのですけれど……。
やはり、ぼくは思うわけです。
自分に嘘をつくのはほんとうによくない、と。
一部の宗教2世が教団や親から受けていることの一つに、「信仰を理由にした学業や職業選択の自由の制限」があります。
ぼくの経験は、それとは質も度合いも異なりますが、それでも苦衷は筆舌に尽くしがたいレベルでした。
それを思うと、宗教2世の被害の深刻さに体がふるえます。

 


Q:進学や就職などを理由に、宗教から離れようとすると家族が大反対します。

A:ぼくの場合は転職時、 一歩も引かずに正面から親とむき合いました。 


宗経2世の場合、進学や就職などの理由で信仰する宗教から距離を置きたいと思っても、親をはじめとした周囲の壮絶な反対にあう人が多いようです。
実際、ぼく自身もそのような経験をしています。
ぼくが「学会本部をやめたい」とはじめて口にしたのは、35歳になる年です。最初に気持ちを打ち明けたのは、妻でした。もちろん、速攻で反対されました。
「やめるって、やめてどこに行くのよ!」
学会本部を退職するということは、学会員の間では、とんでもない負の記号になり得ます。
実際、やめたことが周囲に広がると、ぼくは、頭がおかしくなったのではないかと疑われました。「学会本部に反逆するのでは」と警戒され、あらぬ噂も立てられました。村八分の扱いも受けました。ネットでも散々、攻撃されました。要するに、創価学会内での居場所がなくなってしまうのです。
また友人に相談したときには、「やめたら、どうやって食べていくんだよ」といわれました。
つぎにみんなが想像するのは、「転職の困難さ」「生活の維持の困難さ」だったようです。
「やめる」と告白したとき、母は「なんで!? あんた、奥さんも子どももいるのよ。家族の人生を地獄に落としたいの!?」と反応。父も「いますぐ考え直せ」といってきました。
涙を流して反対する人もいました。
ひどいときには、阿鼻叫喚といえるようないい争いにも発展。賛成してくれる人は、一人もいません。
この時期、一気に四面楚歌、孤立状態になったことをよく覚えています。
反対する人のなかでも、もっとも反対したのが父です。
「お前は創価大学30期生の幹事をしている。そんなお前が本部をやめるとなったら、仲間に動揺が広がる。お前に励まされてきた人たちはどう思うのか」
「お前の仏教の知識は、学会本部職員のなかでも比類のないレベルだ。その力は、創価学会に教義面でぞんぶんに貢献できる。俺はお前が学会の教学(教え)をより堅固に構築していくリーダーになると思っている。学会のこれからを考えたら、お前の力が必要だ」
しかしぼくは、やめるという結論を変えるつもりはありませんでした。
学会本部のなかにいると、自分に嘘をつくことになる。今度こそ、それがゆるされないのです。
このとき、すでにぼくの生きかたは変わっていました。少なくとも、自身の本音に耳を澄ませることができていた。転換点は、ここにあります。


最後まで退職に反対した父が納得した、ぼくの一言

ケンカが沸騰したある日、父からこんなこともいわれました。
「やめるも地獄、やめないも地獄だぞ」
「俺はお前を支持しない。もしやめるなら、なにも手伝わない。一人で転職ができるのか? 厳しいぞ。無理だ」
脅していますよね。
それでも、ぼくは引きませんでした。
このときに駆使したのが、第1章で紹介した親との和解や互いの理解の懸け橋を生みだす3つのポイント、①「エンパシー」をもって親と接する、 ② 他人ゴトのように自分ゴトを見る、 ③「やられたら受けいれ、認める」コミュニケーションの型を駆使する、という対話の手法です。

それでも、父に納得してもらうまでには1年の時間を要しました。父は最後まで、こういってきました。
「俺は、お前に学会の教学を担ってほしい。お前しかいないんだ。頼む」
ぼくは、静かな口調で返答します。
「オヤジはさ、俺に『オヤジが思うとおりの人生』を歩ませたいの? 俺の人生はオヤジのものなの? それは、オヤジのエゴだよ。俺の人生は俺のもの。俺は『俺が思うとおりの人生』を生きたいんだ。わかっくれ……」
しんと静まり返る家のリビング。
長い、沈黙。
そののち、父がようやく口を開きます。表情は、少し柔和になっていました。
「わかったよ」
そして、「たしかにそれは俺のエゴだ。お前の気持ちと決意はわかった。もうなにもいわない」とつづけました。

創価大学への進学、学会活動への参加、学会本部への就職――。
これまで、親や周囲の説得によって自分の思いに反した決断を下してきたぼくが、このときようやく「自分の本音に耳を澄まして、自分の頭で考え、自分に正直に生きよう」という人生をスタートできた。
この一歩は、現在まで価値を輝かせています。

自分で決めた行動原理に従う。
それは、ぼくにとっては遠く、そして困難な道のりでした。
でも、達成できました。
きっと、あなたにもできると思います。
どうか、希望は捨てないで。

(つづく)

 

 


解説
本部職員を辞めるという息子に対して、父親である正木理事長は激しく反対し、息子を説得します。
この時の正木理事長の気持ちはどうだったのでしょう。
再就職で苦労する息子の幸せを考えてのことだったとは思うのですが、組織の中での自分の立場を守るためということはなかったでしょうか。
理事長の職を解かれるタイミングと正木伸城さんの本部職員退職の時期は、どうだったのでしょう。

 


獅子風蓮