獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

正木伸城さんの本『宗教2世サバイバルガイド』その12

2024-01-30 01:29:19 | 正木伸城

というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。

本書は、悩める「宗教2世」に対して書かれた本なので、私のようにすでに脱会した者には、必要ない部分が多いです。
そのような部分を省いて、正木伸城氏の内面に迫る部分を選んで、引用してみました。

(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 

2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
□親子関係編
□恋愛、友人関係編
□進学、就職、転職編
□信仰活動編
■信仰活動離脱後編


2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル

信仰活動離脱後編


Q:宗教から離れたあとも、教義が心身に染みついて離れません。

A:理論武装しつつ、時間をかけて離脱していこう。


宗教2世のなかには、親から教えこまれた教団の教義や文化、習慣を、教団を離れたあとも忘れられず、影響を受けつづける人がいます。
たとえば性愛禁止の教えのなかで育てられると、信仰を手放したあとも恋愛に恐怖心を抱き、そこから抜けだせないケースがあります。それが、人生設計に大きな影を落としたりするのです。
ぼくにも、創価学会員として身につけた習慣からは、なかなか離脱できないということがありました。

この悩みにたいして、ぼくがどう応じたのか。一例をしめしましょう。
2017年2月に創価学会本部を退職し、信仰活動から離れて以降、ぼくは比較的おだやかな日々を過ごしていました。
それまで毎日毎日、昼夜にわたって学会活動のために動いていた時間を、自分のため、そして家族のための時間にあてられたので、気持ちに余裕をもって過ごすことができました。
もちろん、多少の欠落感はあります。
学会活動をしないことで、まるで自分が不純な人間になったようにも感じました。これは、第1章でふれた勤行をしないだけで歯磨きでも怠ったかのように気分が悪くなった、という話に通じます。
でも、「もう、やらない」と決めたぼくは、徐々に「やらない」生活になじんでいきました。


それでも、公明党以外の候補者に投票できなかった

ところが、同年10月に行われた衆議院議員選挙でのこと。
ぼくは人生ではじめて、公明党以外の候補者に投票をしようと決めました。さまざまな政策や各候補者の人柄、実績を考慮してのことです。
それまでぼくは、ずっと、公明党だけを支援してきました。その流れにここであらがおうというのです。
いつもどおり投票所にむかって、いざ投票用紙に名前を書こうとした、まさにそのときです。
ぼくの手がふるえだしました。それも、小さな振動ではなく、ガタガタとふるえだすのです。とてもではないですが、文字を書けるレベルではありません。
ぼくは、ふるえが止まるのを待ちました。
しかし、ふるえは、おさまりません。
冷や汗もダラダラです。
結局ぼくは、だれの名前も書くことができませんでした。このとき、公明党支援のマインドが、自分の体に深く染みついていることを痛感しました。
ぼくが、ほかの政党の候補者に投票できるようになるには、そのつぎの国政選挙を待たねばなりませんでした。


信仰から離れるには、時間も理論武装も必要になる

これも「宗教2世あるある」として聞かれる話ですが、熱心に信仰してきた教団の教えや、そこで身についた習慣を、信仰活動を離れても忘れられずに、影響を受けつづけるということがあります。
2022年に出た『宗教2世』(太田出版)の言葉を借りるなら、それは「宗教の残響」とよべるでしょうか。その残響は、容易に抜きがたいものでした。

残響から距離をとれるようになるには、やはり「時間」が必要です。長い時間をかければ、少しずつ残響は解けていきます。
そのうえで、
①自分が受けている残響に気づいたときに「あ、これが『宗教の残響』ってやつか」と客観視する、
②残響にたいする違和感に理論武装で応じる、
の2つを押さえておくと、残響からの解放が早まるかもしれません。

②について、具体例をしめします。ぼくの公明党支援にかんする残響からの“脱出”についてです。
ぼくは、こう考えるようにしました。
そもそも、一人の政治家や一つの政党がかかげている政策すべてに賛成できることなんてあり得ない。どんなに自分と考えかたが似ている政治家や政党があったとしても、「この政策には賛成だけど、この政策には賛同できない」「おおかた賛成できる候補者の話でも、この主張には反対だ」という部分はかならずある。
つまり、政党や政治家を丁寧に比較考量しながら毎回の選挙に臨むなら、「支援する対象がいつも公明党や公明党の候補者になる」なんてことは、まずあり得ない。そんな態度は「結論ありき」でナンセンスである――。
理論武装といっても、これくらいでもかまいません。
(中略)

 

Q:社会に出て、大失敗。猛烈に落ち込んだときはどうすればいい?

A:苦しいときは希望を捨てずに耐えて。 自分を信じていれば大丈夫。 


先ほどものべたように、創価学会本部をやめてからのぼくの生活は、しばらくは平穏でした。
唯一、大変だったのは仕事です。
宗教法人の世界ではなく、いわゆる一般的な企業でビジネスパーソンとして働くようになったのは――あらためていいますが――36歳になる年です。
36歳からの社会人デビューは、苦労の絶えないものでした。
一般企業は、当然ながら、営利を目的に経営されます。創価学会にも、聖教新聞社といった収益をあげる部門はありますが、営利を前面には出していません。つまりぼくには、営利をもとめ、稼ぐというマインドで働く経験が決定的に欠けていたのです。
その影響でしょうか。仕事ではたくさんの失敗をやらかしました。
あまりに失敗し過ぎて、周囲から「この使えないオジサンは、なぜわが社に採用されたんだろう」と思われていた時期もあります。
なにしろ、利益を意識しながら働くことがうまくできないのですから、ビジネスにかんするぼくの“エンジン”はポンコツです。

しかも、入社半年ほどたったころに、大事故を起こしてしまいました。忘れもしません。
あれは、ぼくがいたIT企業が長年の技術を活かして新開発したソフトウェアをひっさげて大勝負に出たときのことです。
ぼくは、より多くのメディアに報道してもらうために、たくさんのメディアにアプローチして、そのソフトウェアについて大々的にプレゼンを行い、デモンストレーションを見せながら、なにがどう便利で、それによってどう世のなかがよくなるのかをしめしていく役割を担いました。いわゆる広報の仕事です。
ところが、このプレゼンにコケてしまいます。
デモンストレーションも、ズッコケてしまいました。
メディアの方々になんら訴求することもできず、とぼとぼと帰社するという失態を犯してしまったのです。
結果、メディアの報道は細々としたものになりました。

これに、社長が激怒します(あたりまえです)。
社長が「最終的にお前の採用を決めたのは、俺だぞ! お前は俺の顔に泥を塗った!」と叫んだあの声は、いまも耳朶から離れません。
この話をリクルートの友だちにしたところ、「よくそれでクビにならなかったな。ふつう、そこまでやらかしたらクビだよ。社長さん、寛大だなあ」といっていました。いまからふり返ると失敗の意味がよくわかるので、ほんとうに「よくクビにされなかったな」と思います。


社長の厳しい叱咤に、自分を信じて耐え抜いた

ここからが、地獄のはじまりです。ぼくはその後、社長から厳しい叱咤を受けつづけました。
広報という立場上、社長とマンツーマンで話をする機会がけっこうあるのですが、そのたびに社長から「あの失敗はあり得ない!!」と怒られてしまう。社内でも、つねに厳しい視線にさらされる。このとき、精神的にどれくらいきつかったかというと、血尿が出るくらいです。
毎日、寝るときには朝がくるのが怖くなります。会社に行かなければならないですから。
日曜の憂鬱もたまったものではなく、月曜が永遠にこなければ、と思いました。でも、ぼくにはその会社以外に行き場がありません。ふたたび転職することは考えられない。
ぼくは、どんどん追いこまれていきました。会社に行くことを想像するだけで、動悸や緊張でおかしくなりそうなときもありました。

そんな窮地に陥って、ぼくはどうしたか。
なんの工夫もないですが、「耐える」ことにしました。
亀が甲羅のなかに入ってじっとしているような、完全ディフェンスモードです。「なんだ、そんなことか」という読者の声が聞こえてきそうですが、ぼくはひたすら耐えた。ただ、忍耐という手段をとるにしても、必要なものがあります。それは「希望」です。
ぼくは、希望をもつことだけはできた。
その希望とは、「自分を信じることはできる」というものです。もっと厳密にいえば、「『これから変わりゆく自分』を信じる」ことはできたのです。

苦しい心境のなかで、ぼくは現状と過去に思いをめぐらせます。
たしかに、いまは失敗を犯し、成果も出せず、使えないオジサンとして会社にいる。でも、いつまでもそのポジションにとどまるわけじゃない。
ぼくには「変わることができる」という可能性がある。数年後には立派なビジネスパーソンになっているかもしれない。
現状は「できない」けれど、それは「『いまは』できない」に過ぎない。「『いつかは』できる」ようになるかもしれない。
しかもぼくは、創価学会本部をやめた。それは、一世一代の人生を懸けた決断。まるで清水の舞台から飛び下りるように、その決断を下すことができたのだ。そして、ぼくの人生は変わった。
だから、これからも変わることができる。大丈夫――。


人は“遅れて”変わっていく

ぼくには、自分への信頼を支える、ある実感があります。
B「人が変わるまでには時間差があり、人は“遅れて”変わる」という実感です。B
たとえば、ある「知」を習得したいと思ったとします。
その「知」が、いわゆるハウツーものではなく、思想や考えかた、言葉づかいからにじみ出る知恵などの場合、それを使えるようになるまでには、時間がかかります(ハウツー的な「知」のように、すぐに実践して結果につなげられるようにはなりません)。自分のなかにその「知」が着床し、熟成し、心身になじむまでに、時間を要するわけです。
でも、それは確実に、着実に、自分に変化をもたらします。ぼくは読書を通じて多くの「知」を心身になじませるなかで、そんな経験をたくさんしてきました。
“時間差の実り”を数多く体感してきたのです。
それゆえに、変化が遅れてやってくると信じることができた。ビジネスにおける自身の将来的な変化を信じることができました。

その2年後です。
ぼくは、社長にこういわれるまでに、信頼を勝ちとることができました。
「正木くんは、わが社の最大の武器だよ!」
この一言を聞いたとき、ぼくは涙しました。
希望を捨てなくて、ほんとうによかった。
読者のなかには、いままさに絶望の淵に沈んでいる人もいると思います。「こんなわたしなんて……」と自己否定をかさねている人もいるでしょう。でも、「いまのわたし」のまま死ぬまで変わらない、なんてことはありません。

あなたは、変われます。
状況も、環境も変化します。
ただ、それらは“遅れて”やってくるだけ。

どうか、希望をもって、待ってみてください。耐えてみてください。
わずかににぎりしめたその希望が、芽吹くかもしれないのです。
「巌窟王」とよばれた忍従の人物、エドモン・ダンテスを描いた『モンテ・クリスト伯』(岩波書店)の名句が胸に響いてきます。

「待て、しかして希望せよ!」

 

Q:心が折れそうになったとき、信仰なしで切り抜けられるか不安です。

A:“メタ次元の自分”を通して自分を見れば、気もちがラクになります。 


人には、たたみかけるようにして悲劇がかさなり、打ちのめされるときがあります。ぼくにとって、2021年がまさにそれでした。
そういったときに信仰する神をもつ人は“頼る神”があるため、けっこう強く生きていけたりします。
では、それを手放したぼくはどうしたでしょうか。
その一端を本節で紹介します。

じつはその年のはじめには、ぼくの名前の冠ラジオ番組がはじまる予定でした。
ところが、急遽スポンサーが降板。その炎上が各所に飛び火し、多くの人に迷惑をかけ、心身が削られてしまいます。
プライベートでも、家族をめぐる悲しい一大事や、親友の自死がありました。
それらがあまりにも強いストレスとなったため、ぼくは帯状疱疹を発症。そこにメニエール病(めまいや耳鳴りなどを伴う発作が起こる耳の病気)もかさなります。
しかも、とどめのように財布まで紛失。いつも愛用している図書館で、です。
その帰り道、あまりにも悲し過ぎたためか、ぼくは雨のなか、傘をさすことも忘れて泣きながら歩きました。
このときは、ひさびさに「死ぬかも」と思いました。
ぼくは、うつ病時代に2回、自殺未遂をしています。そのときの体験が頭をよぎりました。

ところが、です。
そんななかでも、ぼくはどこかで、落ち着きを維持していました。
なぜかというと、自分を俯瞰する「もう一人の自分」のつぶやきがあったからです。
イメージ的にいうと、ぼくの頭上2メートルくらいのところに、もう一人の自分がいるのです。その自分を仮に“メタ次元の俺”とよぶなら、その“俺”がこういうわけです。

「俺の人生、マジでネタづくりだな」
「まあ、でも、これで死ぬわけじゃないし」

長い時間をかけて、ぼくのなかにこの“メタ次元の俺”が育っていました。いわば、「自分を客観視する自分」ですが、それは、無数の内省をくり返し、自分のなかに豊かな相談相手としての、もう一人の自分を育ててきたから生まれた“俺”なのかもしれません。
おまじないのようですが、ぼくはこのつぶやきに助けられました。このフレーズは、もしかすると、みなさんにも効くかもしれません。
つらいことには塞ぎこみ、苦難には恐れを抱き、病めば心が沈み、人と別れて悲しむ。
失敗もある。泣きたい夜もある。
でも、心のどこかで、足元がしっかりしているなという手応えを、ぼくは感じている。
そんな実感が、自信につながりました。
「確実に強くなっているな、俺」って。

(つづく)


解説
そんな窮地に陥って、ぼくはどうしたか。
なんの工夫もないですが、「耐える」ことにしました。

信仰者なら、「真剣にご本尊に題目を唱えました」となるところですね。
正木伸城さんは本を沢山読んで教養があるから、苦境に耐えて乗り越えることができたかもしれませんが、そんなに強い人ばかりではありません。
私など、毎日の仕事上の出来事に際して、心の中で題目をよく唱えることがあります。
__この子の採血がうまくいきますように。ナムナム
__このレセプトの返戻作業がうまくいきますように。ナムナム
__このトラブルがうまく乗り越えられますように。ナムナム
もちろん他力本願ではありません。
題目を唱えることで、不安な心が消え、問題と立ち向かうことができるのです。

正木さんほど心が強くない人は、信仰に支えられるというのも悪くないと思います。


獅子風蓮