というわけで、沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社、2013年)を読んでみました。
(目次)
□一杯目の火酒
■二杯目の火酒
□三杯目の火酒
□四杯目の火酒
□五杯目の火酒
□六杯目の火酒
□七杯目の火酒
□最後の火酒
□後記
二杯目の火酒
3
「とっても綺麗だね。高いところから街を見るのって。大好きなんだ、あたし。キラキラしてて、ほんとに綺麗……あっちは、どのあたりになるんだろう」
__赤坂、霞が関、銀座、というところになるかな。
「そうか……あれが東急ホテルか。ずいぶん低く見えるね。綺麗だなあ、夜って」
__えーと、あなたの住まいはマンションの高い階にあるんでしたよね。夜景がそんなに珍らしいとは思えないけど。
「こんなに高くないもん。車の灯りがずっとつながってる……あれは高速道路?」
__じゃなくて、立体交差かな。その手前の暗くなってるあたりが、弁慶橋がある堀だと思うけど。
「東京が、ほんとに素敵に見えるね。落ち着くなあ。ホッとする」
__ホッとする?
「うん。周りにいるお客さんが、ほら、みんな外人ばかりでしょ」
__そうか、気にしなくてすむからね。
「それに、英語やなんかが低く聞こえてきて、とっても耳に気持がいい」
__あなたの……声だけど、小さい頃から、あんなガラガラ声だったの?
「凄いガラガラ声だった」
__そのこと、自分でも気がついてたの?
「自分じゃわからなかったけど、人からいつも言われてたから……」
__何て?
「友達の家に行くでしょ。そうすると、友達のお母さんから、純子ちゃん風邪ひいてるのって、よく訊かれたんだ。ううん、ひいてないよって答えると、そう……というわけ。どうしてそんなこと訊くのって、今度はあたしが訊くと、声が……と言われるんだ。 子供心にも不思議でしようがなかった。どうして、いつも、いつも、風邪ひいてるのって訊かれるんだろう、と思ってさ。ほんと、よく言われたよ」
__学校じゃあ、唱歌を歌わなかった、とさっき言ってましたよね。家ではどうだったのかな、やっぱり歌わなかった?
「それがね、小学校5年のときに、家で鼻歌を歌ったわけなの。それが、結局、こんなふうに歌うことになる、キッカケになったんだ」
__どういうことなんだろ。もう少し、詳しく説明してくれないかな。
「つまり、家で、なんとなく鼻歌を歌っていたわけよ。その頃に覚えた歌を歌っていたんじゃないかな、恐らく。こまどり姉妹さんの歌か、畠山みどりさんの歌か、どっちか忘れてしまったけど、それを歌っていたら、お母さんが、いま歌ったの純ちゃん、って訊くわけ。そうだよ、あたしだよ。答えると、純ちゃん、うまいじゃない、って、そういう感じ。それで、おだてられて、乗せられて、もう一度ちゃんと歌ってごらんなさい、なんか言われたもんだから、調子に乗って歌ってみたの。それが、始まり。いいじゃない、なんて言われて、そのうちお父さんも来て、今度はテープにとってみよう、なんていうことになって……それが、すべての始まり」
__いいじゃないか、ということになって、それからどういうことになったの?
「それから……純ちゃん、今度、お祭りで歌ってみてよ、ということになったわけ」
__へえ。遇然って、ほんとに、そういうかたちをとって訪れるもんなんだなあ。
「そうなんだね。だって、それまで、あたしは、ひどい音痴だと思われてたんだから、みんなに」
__ほんと?
「だって、そんなひどいガラガラの変な声でしょ。ちっちゃい頃、巡業に連れていかれると、楽屋でもどこでも、馬鹿のひとつおぼえみたいに、新撰組の歌ばかり歌ってたんだって。それを聞いてね、お客さんとか、興行先の人とかが、子供のくせに変な声だねって言ってね、だから音痴だと思われてたらしいんだ。お父さんもお母さんも、とてもいい声でしょ、だから、なおさら、そのひどさが目立ったんじゃないかな」
__あの……新撰組の歌って、どういうの?
「知らない? 加茂の河原に、千鳥が騒ぐ、またも血の雨、涙雨、っていうの」
__ああ、それか。知ってる、知ってる。小さいときのあなたは、それを歌ってたのか。
「そうらしい」
__そうか……新撰組の歌は音痴に聞こえたのか。
「そうらしい」
__だから、わざわざあなたに歌わせようともしなかったし、あなたも歌おうとはしなかったわけなんだね。
「うん。意識して歌を歌うなんていうのは、それまで一度もなかった」
__音痴というより、あまりにも子供の声らしくないんで、頭から下手と決めつけられていたんだろうな。
「そうかもしれない。両親はあんないい声だから、その子はどんな声かと思ったら、ひどいんで驚いたって、よく言われたらしいよ」
__お父さんはどういう声の方なの?
「村田英雄さんを、気持、もうほんの気持だけ、細くして、高くしたような、だから、とてもいい声なんだ」
__お母さんも、どちらかといえば、高い方?
「うん、かなりね」
__初めてあなたが人前で歌ったのは、どういう場所だったの?
「近所の、裏にある、お寺だったと思う。畳が敷いてあるようなところで、法事とかそういうやつのあとで、おばあちゃんたちが大勢いて……。でも、お母さんは、近所の神社のお祭りの舞台だったって言うんだけど、あたしは、2度目だったと思うんだ、それは」
__初舞台は、法事のあとの余興だった、というんだね。
「うん。確か、そうだと思う」
__お父さんたちの仕事も、そういったものが多かったのかな。
「そうだね。お祭りの余興とか、寄合いの出し物とか……呼ばれればどこでも行ったし、 一座に入ったり……」
__一座に?
「一座っていうか、いろいろな芸人さんの仲間に入って、ひとりいくらというお金をもらって、一緒に旅をするわけ」
__あなたも?
「あたしは学校があったから、土曜と日曜だけ。だから、お祭りなんかが多かった」
__とにかく、5年生のときから、舞台で歌いはじめたわけですね。たとえ、どんな舞台であろうと……。
「そうなんだ」
__舞台でどんな曲を歌ったの?
「畠山みどりさんの歌で、〈出世街道〉というのがあるの」
__知ってるよ。やるぞみておれ、口には出さず、腹におさめた一途な夢を、っていうんだよね。
「そう、それをよく歌った」
__それが、あなたの、最大の持ち歌だったわけか。
「3曲くらい持ち歌があったけど、みんな畠山みどりさんの歌だった。次に〈浪曲子守唄〉を歌うようになって、その次に〈刃傷松の廊下〉が得意な歌になっていったの」
__〈刃傷松の廊下〉って、知らないな。
「いい歌なんだよ、凄くいい歌」
__いずれ浪曲調なんだろうね。持ち歌はみんな一貫しているような気がする。
「そう言えば、そうだね。いまでも〈出世街道〉を歌うと胸がジーンとするんだ。いろんなことがよぎるんだよ。歌った神社やお寺とか、悲しかったことやなんかが思い出されて、いまでも平気で歌うわけにはいかない歌だなあ……」
__お父さんの浪曲の、得意の出し物っていうのは、どんなものだったの?
「国定忠治とか、柳生十兵衛とかの話……」
__お母さんは?
「紀伊国屋文左衛門とか、オリジナルの何とかっていうのとか……」
__お母さんは、どうして浪曲師になろうとしたのか、あなたは知っている?
「若い頃から眼が不自由だったでしょ、だから、大人になって親兄弟に迷惑かけないようにって、浪曲の先生に弟子入りして、自活できるようにしたらしいよ。足手まといになりたくないということで、その頃、浪曲やってれば食べていけるから、って、そういうことだと思うよ。お父さんと一緒になるときも、周りからいろいろ言われたらしいんだ。あいつとは、止めろって。だけど、眼のこともあるし、家に残ると迷惑かけるからっていうこともあって……」
__浪曲をやろうというんだから、お母さん、歌はもともと好きだったのかな。
「そんなことないんだって。それしかなかったんだって。そう言ってるよ」
__お父さんの浪曲は上手だったの?
「うまかった。お母さんも、お父さんのはうまかったって言ってる。浪曲はうまいんだけどって、周りの人も言っていたらしいの。うまいんだけど、短気で、気に入らないお客さんがいると、舞台から降りていって喧嘩しちゃうんだって。だから、仕事の口がかかりにくかったんだ」
__あなたも、興行に加わるようになってからは、ショーの構成はどんなふうだったの?
「ショーなんてもんじゃないけど」
__余興か、それでもいいけど。
「構成なんてないんだよ。あたしたちだけじゃなくて、民謡とか踊りとか、いろんな人たちがいることが多くて、いるそばからどんどん出ていくっていうだけ。そんなもんなんだよ」
__あなたは、舞台に出て、何曲くらい歌うの?
「2曲くらい歌ったかな」
__バックは?
「そんなのないよ」
__だろうね。
「伴奏もなければ、 マイクもなし。……もしかしたら、マイクのあるとこもあったかな」
__衣裳は?
「普通の、ふだん着てるような、大したことない洋服。しばらくして、ナイロンかなんかでできた、安っぽい着物まがいのを着て、出るようになったけど」
__そう。
「いろいろやってたんだよ、あたしも。太鼓たたいたり、踊りおどったり……」
__どうして、そんなことやるわけ?
「時間をもたせなければならないんだ。だから、いろんなことをやらないともたないわけ。お父さんとお母さんは漫才をやってたしね」
__漫才を?
「ネタはひとつしかないんだけど、よくやってたよ、そのひとつを。いまも、お母さんと、よくやったもんだね、と言って笑うんだけど」
__あなたが出るようになって、お客さんの受けがよくなったの?
「まあ、そういうことなのかな」
__どういうことで、喜んだんだろう、お客さんは。
「初めの頃は、あれまあ、小さいのが出てきたと思ったら、ちゃんと一人前に歌うじゃないか、っていうような物珍しさだったかもしれないけれど、少し大きくなってからは、わりと、ちゃんと歌を聞いてくれてたなあ。結構うまいなあって、歌そのものに喜んでもらえたと思うよ。だって、マイクもない、ただの広間で、バッとあたしが歌うと、声が凄かったって、よくお母さんが 言うもん」
__芸名は?
「誰の?」
__あなたの、さ。
「三条純子」
__どこにでもいそうな、泥くさい、いい名前じゃないですか。
「エヘへ。田舎によくいる演歌歌手っていう感じだね」
__お母さんの芸名は?
「寿々木照子」
__お父さんは、確か、松平……」
「国二郎」
__そうだった。週刊誌で読んだところによれば、そんな名前だった。その名前は、誰かお師匠さんかなんかの関係から来てるのかな。
「さあ、どうだろう。でも、昔、お父さん、五月一朗って言ってたの。ところが、これは大きくなってわかったんだけど、五月一朗っていう浪曲師は別にちゃんといるの。そのことは、子供心にはっきり覚えているんだけど、あるときどこかで五月一朗という人が興行してたんだよね。どうしてあの人、お父さんと同じ名前なのって、お父さんに訊いたわけ。そうしたら、おれが本物の五月一朗で、あいつは偽物の五月一朗だ、って言うんだ。あとで、大きくなってお母さんに訊いたら、違うんだって。あっちが本物で、大看板の五月一朗なんだって。おれが本物の五月一朗だっていうから、あいつは悪い奴なんだ、お父さんの名前をかたって、ひどい奴だ、なんて思って……。長いあいだ、お父さんの芸名は五月一朗だと信じてた」
__どうして、松平国二郎なんだろ。
「これはヤバイ、とか思って、途中から適当に変えたんじゃないかな」
__漫画みたいに愉快な話ですね、まったく。
「ほんと、話を聞く人には面白いかもしれないけど……」
__大変な人だった?
「うん、まあ……」
__お父さんって、博打はするの?
「昔はよくやったらしいよ。やって、すってんてんになって、なんていうことは、よくあったらしいよ。齢をとってからは、あまりやらなくなったらしいけど」
【解説】
最初は父親のことを話題にするのを嫌がっていた藤圭子さんですが、沢木耕太郎さんの話術で、徐々に父親のことも話すようになっていきます。
獅子風蓮