佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。
まずは、この本です。
佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』
ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。
国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
■第1章 逮捕前夜
□打診
□検察の描く「疑惑」の構図
□「盟友関係」
□張り込み記者との酒盛り
■逮捕の日
□黒い「朱肉」
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
□第3章 作られた疑惑
□第4章 「国策捜査」開始
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。
第1章 逮捕前夜
逮捕の日
翌5月14日朝7時過ぎ、鈴木宗男衆議院議員から電話がかかってきた。過去数年、私は一日一回は鈴木氏と何らかの形で連絡をとることが習慣となっていたが、鈴木バッシングの高まりとともに外務省関係者が鈴木氏から離れていくのを横目で見ながら、逆に私は鈴木氏に毎日二回、電話をすることにした。
この年の2月から私は鈴木氏に会っていなかった。鈴木氏はいつも忙しくしているの で、過去2、3年、よもやま話をする余裕はなかった。しかし、この時期にはじめて電話を通じてお互いにいろいろな昔話や個人的な話をした。
人間には学校の成績とは別に、本質的な頭の良さ、私の造語では「地アタマ」があるということを私はソ連崩壊前後のモスクワで体験を通じ確信するようになった。鈴木氏は類い希な「地アタマ」をもった政治家だった。
ロシア、イスラエル、日本で、私はいろいろな政治家や高級官僚と付き合ってきた。その中で鈴木宗男氏にはひとつの特徴があった。恐らく政治家としては欠陥なのだと思う。しかし、その欠陥が私には魅力だった。
それは、鈴木氏が他人に対する恨みつらみの話をほとんどしないことだ。はじめは私の前でそのような感情を隠しているのだと考えていた。しかし、二人の付き合いがいくら深くなってもその類の話がない。また、政界が「男のやきもち」の世界であることを私はロシアでも日本でも嫌というほど見てきたが、鈴木氏には嫉妬心が希薄だ。他の政治家の成功を目の当たりにすると鈴木氏はやきもちをやくのではなく、「俺の力がまだ足りないんだ。もっと努力しないと」と本気で考える。
裏返して言えば、このことは他人がもつ嫉妬心に鈴木氏が鈍感であるということだ。この性格が他の政治家や官僚がもつ嫉妬心や恨みつらみの累積を鈴木氏が感知できなかった最大の理由だと私は考えている。そんなことを鈴木氏に率直に話したのもこの時期だった。
それにしてもこんなに朝早く鈴木氏から電話があるのは珍しい。
「佐藤さん、今朝の毎日新聞を見たかい。一面トップでテルアビブ国際学会の話が出ている。決裁書まで写真に出ている。検察も本気だ」と鈴木氏は切り出した。
毎日新聞を買いに行きたいのだが、玄関の覗き口から外を見ると50人を超える人々が待機している。取材攻勢でもみくちゃにされるので外に出ることは諦めた。
とにかくこの取材攻勢は常軌を逸している。風呂に入るとどうも外に人の気配がする。窓を開けると風呂の外壁の下側に座り込んでいる記者がいたのだ。風呂場の窓には鉄柵がついているのだが、それを壊して私が外に逃げるとでも思っているのだろうか。
鈴木氏と電話で話をしながら、検察は私が玄関を出たところで任意同行を求め、それを拒否したら逮捕し、家宅捜索を行うシナリオなのかとふと思う。
「何があっても取り乱してはならない」と自分に言い聞かせた。
午前8時半に自宅を出る。約50人がワッと押し寄せてきて、文字通りおしくらまんじゅう状態で身動きがとれない。テレビカメラが頭や腕に当たり、とても痛いのだが無言を通す。
親しい記者から、「絶対に無言を通すこと。顔を隠したり、笑ったりしない。無表情を通す。特にどんなことがあっても腕を振り上げてはならない。腕を高い位置に上げただけで、暴力的行為にでたとの編集がなされる」とのアドバイスを受けたので、それを守る。
過去数日、2、3回、食事をして、親しくなった記者たちが、「これじゃ佐藤さんが通れないじゃないか」と大きな声を出し、交通整理をしてくれる。この記者たちは同業記者と揉み合いながら、私がけがをしないように守ってくれた。厚情に胸が熱くなるが、顔には出せない。
勤務先の外交史料館に着くと、柵添いには櫓(やぐら)が立ち、テレビ中継車が何台も止まり、百人を遥かに超える記者が集まっていた。それに野次馬が加わり、縁日のような雰囲気だ。
それに引き替え、外交史料館の中は異様に静かである。午前中は外務省からも検察庁からも何の連絡もない。
昼前に知り合いの記者が電話で「時事通信が佐藤優元主任分析官逮捕へというフラッシュを流している」と連絡してきた。正午のNHKニュースでは、昨晩の帰宅途上の姿が映され、「東京地方検察庁特捜部が本格捜査へ」と報じている。さて、そろそろお迎えが来るなと思っていると、鈴木宗男氏から再び電話が入った。
鈴木氏は、「今、野中先生(野中広務元自民党幹事長)と電話で話したんだが、今日の午後がヤマとのことだ。どんなことがあっても早まったまねをしたらだめだぞ。俺や周囲のことはどうでもいいから、自分のことだけを考えてくれよ。俺のためにあんたがこうなってしまい本当に申し訳なく思っている」と言う。
どうやら私が思い詰めて自殺することを心配しているらしい。
私は、「先生、私はこれでもクリスチャンですから自殺はしませんよ。それよりも以前に鈴木大臣が『俺は騙すより騙される方がいいと考えているんだ』と言ったのに対し、私は『いいや、騙されてはなりません。他人を騙してでも生き残るのが政治家でしょう』と反論しましたが、今、このギリギリの状況で、私は先生の言うことが正しかったと思っています。私は、『政治家は本気では一人しかつき合えない。テーブルは一本脚でもその脚がしっかりしていればいちばん強いんだ』という話をしましたが、これは今でも正しいと思っています。ただ、鈴木大臣を外務省が日露平和条約交渉に巻き込まなければこんなことにならなかったのに。申し訳なく思っています」と答えた。
【解説】
ロシア、イスラエル、日本で、私はいろいろな政治家や高級官僚と付き合ってきた。その中で鈴木宗男氏にはひとつの特徴があった。恐らく政治家としては欠陥なのだと思う。しかし、その欠陥が私には魅力だった。
それは、鈴木氏が他人に対する恨みつらみの話をほとんどしないことだ。はじめは私の前でそのような感情を隠しているのだと考えていた。しかし、二人の付き合いがいくら深くなってもその類の話がない。また、政界が「男のやきもち」の世界であることを私はロシアでも日本でも嫌というほど見てきたが、鈴木氏には嫉妬心が希薄だ。他の政治家の成功を目の当たりにすると鈴木氏はやきもちをやくのではなく、「俺の力がまだ足りないんだ。もっと努力しないと」と本気で考える。
この文章で、鈴木宗男氏に対する誤解の多くが解けていきました。
獅子風蓮