獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『国家の罠』その7

2025-01-11 01:36:30 | 佐藤優

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

まずは、この本です。

佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』

ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。

国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
■第1章 逮捕前夜
 □打診
 □検察の描く「疑惑」の構図
 □「盟友関係」
 □張り込み記者との酒盛り
 □逮捕の日
 ■黒い「朱肉」
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
□第3章 作られた疑惑
□第4章 「国策捜査」開始
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。

 


第1章 逮捕前夜

黒い「朱肉」

しばらくして、外交史料館長が血相を変えて私の側に来て「検事が来る」と耳打ちした。
まずは弁護士への連絡だ。半蔵門法律事務所の大室征男弁護士に電話をかけて「検事がやってきます。 いよいよ逮捕です」と伝えると、 大室氏は「私は特捜もこんな無茶はしないと見ていたんですがね。仕方がないですね。今日はもう接見(面会)に行けませんから、明日の朝いちばんで東京拘置所に行きます。今晩は経歴についての簡単な取り調べがあるだけで、本格的な取り調べは明日以降になります。自分は何もやっていないのに不当逮捕されたから黙秘するというのもひとつの選択ですが、公判の現状では黙秘は不利です。特に特捜事案では黙秘しない方がよいと思います。事実関係をきちんと話し、否認することです」というアドバイスをしてくれた。これは実に的確なものだったと後々分かった。
当初、私は政治事件に関しては取り調べ段階では完全黙秘を通した方がよいと考えていたが、もしそのような選択を行ったならば、検察がどのような恐ろしい「物語」を作り上げていたかを想像すると、今でも背筋が寒くなる。
次に鈴木宗男氏に電話をして「検事がやってきます。しばらくお別れです」と告げると、鈴木氏からは「あんたが捕まるとはなあ。すぐに俺も行くことになるだろうから。とにかく身体に気をつけて。絶対に無理はしないでくれ」と言われた。
私は冗談半分に「プロトコール(外交儀礼)に従い、鈴木大臣より前にお待ちし、鈴木大臣が出られてから私も小菅を後にすることにします」と言って二人で笑った。事実、その通りになり、私は都合2ヵ月半、鈴木氏より長く拘置所暮らしをすることになった。その後、母親、外務省、マスメディア、アカデミズムの友人十数名に「数十分以内に逮捕される。これまでの厚情に感謝する。特捜の対応にもよるが、早ければ23日、遅くとも3ヶ月くらいで出てくるだろう」と連絡した。しかし、この「読み」は大きくはずれ、結局、512日間の独房暮らしとなった。
過去に読んだ本から得た情報で、拘置所ではコーヒーを飲むことができないと思っていたので、給湯室でマグカップにインスタントコーヒーをいれ、それを飲みながら検事様御一行の到来を待った。因みに、これは誤った認識だった。東京拘置所ではインスタントコーヒーを購入することができることを、後で知ることになる。
午後2時過ぎに検察官たちがやってきたが、外交史料館長室に籠もり、館長、副館長と打ち合わせをしている。その間に、もう一杯インスタントコーヒーをいれて飲んだ。
外交史料館長が館長室の扉を開け、「佐藤君、ちょっと来てくれ」と言うので部屋に入ると、5、6名の「お客さん」が待っていた。館長は「こちらにおられるのは東京地方検察庁の検事さんだが、佐藤君に話を聞きたいので検察庁に来て欲しいと言っているんだ」と言う。
私は、「任意ならば行きません」とキッパリとした口調で答えた。
すると、検察事務官が「それは佐藤さん、わがままですよ」と興奮して食ってかかってきた。彼の目は血走っていた。
ソファに座っていた検事がその事務官を制して、「失礼致しました。御挨拶もせずに。西村と申します」と言って名刺を差し出してきた。
名刺には「東京地方検察庁特別捜査部検事・西村尚芳(ひさよし)」と記されていた。
私も名刺を出した。検察事務官にも私は名刺を渡そうとしたが、「あなたは有名だから結構です」と言って名刺を受け取らなかった。そして、ポケットから紙を少しだけ見せ「逮捕状も用意しているんだ」と言い放った。きっと、殺し文句のつもりなのだろう。
検事と事務官は態度を両極端にすることで、役割分担をしているのだろうか。どうも、そうでもなさそうだということが、だんだん分かってきた。
この事務官は経験不足なのか、自己陶酔癖があるのか、仕事に酔って興奮しているだけだ。こういう手合いはたいしたことはない。過去の経験則から、私は利害が激しく対立するときに相手とソフトに話ができる人物は手強いとの印象をもっている。その意味で、この検事の方は相当手強そうだ
私の印象が間違っていなかったことは、その後の取り調べで明らかになる。
しばらくやりとりが続いた後に西村検事は、外交史料館長と私の顔を交互にながめながら、「意思は固そうで、任意同行には応じていただけないようですね。それでは逮捕ということになりますが、どこでしましょうか」と問うてきた。
館長は黙っている。検察事務官たちが敵意をもったまなざしで私をにらんでいた。
私が「通常に業務を遂行しているのに捕まるわけですから、執務室の机で捕まえてもらうのが筋でしょう」と答えると、例の目の血走った事務官が何か言いそうになったので、西村検事がそれを遮って、「それだといろいろな人が見ているので、人権上よくないですね。どこかいい場所はないですかね」と言った。
「いまさら僕の人権には配慮しなくてもよいですよ。検察庁はこれまでリークで十分人権侵害をしてくれましたからね。皆さんの見せ場を作るためにプレスの人たちもたくさん来ているので中庭で逮捕したら絵になるんじゃないですか」と私は提案した。
これに対して西村検事は、「いやいや、できるだけ被疑者の人権に配慮するのがうちの流儀なんで、手錠なんかかけた姿がマスコミに見られないように気を遣うんです。そうだ、手錠はかけないで行きましょう」と言うので、私は「そんなに気を遣わないでいいですよ」と答えた。
それでも「どこか会議室はありませんか。そこまで任意で移動して頂いて、そこで逮 捕するということでよいですか」と提案してきたので、私は「任意」で三階会議室に移動し、そこで逮捕状の執行を受けた。
検察官によって逮捕状が読み上げられた。
逮捕時の様子は「弁解録取書」という書面にまとめられることになっている。そこには、逮捕された直後に被疑者が「その通りです」とか「事実無根です」とか一言述べた内容が記されるのだが、もちろん否認するにしても、どんな風に答えようかと文案を考えていると、西村検事が、「弁録では、「いま検察官が読み上げた容疑については身に覚えがありません」ということでどうですか」と尋ねてきた。
私が「それでいいです」と答えると、今度は目の血走った検察事務官ではなく、温厚な顔つきをした若い検察事務官が書類を作成し、署名、押印を求めてきた。私が鞄から三文判を取り出そうとすると、事務官が「佐藤さん、申し訳ないんですけれど、今の瞬間から逮捕されたことになっているので、印鑑は使えないんです。左手人差し指で指印を押してください」と言って黒色の「朱肉」を目の前に出した。
これがその後512日間に恐らく二千回以上押したであろう指印の初体験であった。
外交史料館を出た検察庁のワゴン車は一旦東京地検特捜部に立ち寄り、西村検事の執務室で冷たいお茶を一杯ごちそうになった後、所持品の押収手続きを取り、ネクタイ、サスペンダーを取り上げられ東京拘置所に向かうことになった。
今度は検察事務官が私に手錠をかけるというので、両手を差し出すと「検察庁の手錠は片手錠ですので利き手を出してください」と言われた。私が右手を出すと検察事務官は、私の右手と自分の左手をつないだ。いよいよ犯罪者らしくなってきた。
東京地検から小菅の東京拘置所までの道中、検察官が御機嫌伺い兼性格調査の目的で私に話しかけてきたのだが、これは、心理的敵対感を除去し、協力者を獲得する際の諜報機関員の手法に似ている。こういうときは、こちらも相手と話をして性格分析をすることが常道だ。
検察官が、「あなたがなかなか来て下さらないので、こちらからお迎えにあがりました」と言うと、私は、「それはお手数をおかけしました。テルアビブ国際学会について真実を知りたいならば、もっと早い段階に呼んでいただければ、喜んで参上申し上げたのですが。ジグソーパズルを周囲から作っていき、最後に真っ黒い穴を残し、『ここに入りなさい』という検察のやり方にはなかなかついていけないもので……」と答えた。
検察官はニコニコ笑いながら、「まあ、そうおっしゃらずに。あまり早くお呼び立てすると、失礼になると思っていただけです。長いお付き合いになるから、お互いによく話をして、折り合いをつけましょう」と言った。
こうして、夕刻、小菅の東京拘置所に着く。このときから、外界とは全く異なる512日間の生活が始まったのである。

 


解説

事務官が「佐藤さん、申し訳ないんですけれど、今の瞬間から逮捕されたことになっているので、印鑑は使えないんです。左手人差し指で指印を押してください」と言って黒色の「朱肉」を目の前に出した。
これがその後512日間に恐らく二千回以上押したであろう指印の初体験であった。

こうして、佐藤氏の512日間におよぶ拘留生活がはじまりました。

 

 

獅子風蓮



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