佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。
まずは、この本です。
佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』
ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。
国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
■第1章 逮捕前夜
■打診
□検察の描く「疑惑」の構図
□「盟友関係」
□張り込み記者との酒盛り
□逮捕の日
□黒い「朱肉」
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
□第3章 作られた疑惑
□第4章 「国策捜査」開始
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。
第1章 逮捕前夜
打診
2002年5月13日、月曜日、午前10時過ぎ。東京・港区麻布台にある外交史料館で机に向かって、いつものように書類に目を通していると、電話が鳴った。
受話器を取ると交換手から少しかん高い声で「本省人事課からです」と告げられた。
私は事務的に「つないでください」と応える。
電話の相手は大菅岳史(おおすがたけし)首席事務官だった。外務省では、課長の次のポストを首席事務官という。
「大菅だけど、実は、検察庁が君から話を聞きたいと言っているんだけれど行ってもらえな~い」
えらく話し方がなれなれしい。私は専門職(ノンキャリア)、大菅首席は上級職(キ ャリア)で職種は異なるが同期入省なので面識はある。だが、私はロシア語、大菅首席はフランス語専攻で、これまで親しく話したことはほとんどない。
後で詳しく述べるが、外務省では、語学別に「スクール」というグループがあり、「スクール」を異にすると親しくなる機会はなかなかない。親しくもない人間がなれなれしく話しかけてくるときには何か意図がある。私はできるだけ素っ気なく対応することにした。
「いったい何の件でしょうか」と私が冷ややかに応えると、大菅首席はこう言った。
「実は、君以外にも何人もの人が行っているんで、協力して欲しいんだけれど、検察庁が支援委員会関係のことで何か聞きたいことがあるんだってさ。東郷さん(東郷和彦元オランダ大使)も検察庁に行っているんだ」
この話はおかしい。東郷元大使が現在日本にいないことを私は知っている。大菅首席 はなぜ嘘までついて、私を検察庁に行かせようとしているのだろうか。
私は、「それは任意の話なの、それとも強制なの」と少し挑発的に尋ねた。
「任意だよ」
「任意ならば断る。『検察庁が何か聞きたいことがある』だと。とぼけるのもいいかげんにしろ。こっちは連日新聞記者に囲まれて集団登校状態になっているんだ。テルアビブ国際学会の話だろう。話を作り上げて最後に形だけ聞いて捕まえるという絵は見えている」
大菅首席は弱々しい声で懇願してきた。
「そんなことないよ。この件はまだ煮詰まっていないと思うよ。松尾さん(松尾克俊外務省元要人外国訪問支援室長、内閣官房報償費 [機密費] 詐欺事件で服役中)のときだって、何週間も事情聴取をしてから事件化した。あのときと較べてもこの話はまだ端緒段階だと思うよ。だから協力してやってくれないか。協力してくれないならば職務命令を出すことを考えなくてはならなくなるんで、そうなると貴兄のためにならないよ」
「じゃあ聞くけど、任意の話をどうして命令で強制できるんだい」
大菅首席は暫く沈黙し、私の質問には答えず、「それじゃ、検察の連絡先の電話番号を言うからそこに電話して」と言った。
「電話するつもりはない」
私がそうはっきり答えると、大菅首席の声色が恫喝調に変わった。
「検察庁に行った方が貴兄のためだぞ」
「僕のことを心配してくれてありがとう。自分の身の安全は自分で考える。君は君で職務命令を出したらいいじゃないか。拒否してやるから。僕に懲戒免職をかける腹があるかな、君には?」
今度は大菅首席の声は懇願調に変わる。
「そんなこと言わないでよぉ。お願いだから、あなたの携帯電話の番号を教えてよ。いつでも連絡がとれるように」
「僕の携帯電話は役所から支給されたモノじゃないからな。悪いけど教えられない。公私の区別を厳しくしろとの人事課からのお達しもあるからね」
「どうしたら連絡がつくかい」
「勤務時間中は外交史料館にいるぜ。夜は家にいるさ。ただし、最近は脅迫電話が多いので知らない人からの電話には出ないことも多いけどね。話はそれだけかい。こっちも仕事があるから電話を切らせてもらうぜ」
【解説】
私は別のところ(獅子風蓮の夏空ブログ)で、マンガ「憂国のラスプーチン」の記事を連載しています。
マンガなので、イメージをつかみやすいという利点はありますが、登場人物は仮名で、何かを検証するときの資料としては弱いところがあります。
その意味で、佐藤氏を知るための基礎資料として、マンガの原作である本書を読むことは意味があることだと考えます。
獅子風蓮