@Shukubo_hobo 宿坊の掲示板ほぼbotより、引用させていただきました。
【友岡さんとの思い出16】
その後も、友岡さんは、Facebookを通して語ってくれたのだが、その内容は後に引用するとして、ここでは先に、亡くなる3ヶ月前にお会いした時の様子を書く。
2018年の11月末に、共通の友人が来阪するので、久しぶりに会って一緒に食事でもしましょうということになった。
待ち合わせの店に来られた友岡さんを見て愕然とした。2年間見ない間にすっかり痩せてしまっていた。まるで、がんにでもなったか、毒でも盛られたか、福島支援で被曝でもしたのかと思うほど、痩せておられた。
以前は年齢よりも若く見えたのに、64歳の年齢以上、70半ばにすら見えるほど老けておられた。その2年前の関西学術部の若手の会合の際に声が少し出にくそうな様子だったことは以前に述べたが、その症状が進行したのか、この時は声が完全にかすれて出なくなっており、言葉を伝えるのに筆談を必要としていた。
友岡さんによると、こうなった原因は査問の後遺症であり、他に病気はないのだという。友岡さんの様子が衝撃的で、その場の話の内容はよく覚えていないのだが、友岡さんが繰り返し訴えていたことは、査問がいかに酷かったかということである。査問は東京の本部であっただけでなく、関西本部でも行われ、その時の中心者はDだと怒りながら筆談されていた。
その査問担当者には、私は会合などで何度か会ったことがある。私のエピソードか何かを会合で紹介したいと言われていた。機会があれば、友岡さんの査問のことについて、尋ねてみたいと思う。
会食の途中、友岡さんは、食事でむせたのがきっかけか、10分ほども咳き込んでおられた。口元を押さえて、息苦しそうにされていた。単にむせた以外の発作のようなもので、それも査問の後遺症のようだった。この店で再会する以前に、友岡さんは呼吸困難(肺炎)で死にかけ、入院されたことがあったのだが、この店でのように呼吸が苦しくなったのだろうかと察した。とても痛ましかった。
(※友岡さんはDの実名を書いていましたが、一旦伏せてあります)
【解説】
友岡さんが繰り返し訴えていたことは、査問がいかに酷かったかということである。査問は東京の本部であっただけでなく、関西本部でも行われ、その時の中心者はDだと怒りながら筆談されていた。
関西の幹部だというD。
実名を出して、責任を問うべきだと私は思います。
獅子風蓮