獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

池田大作の光と影 (その2)

2023-12-11 01:31:49 | 創価学会・公明党

d-マガジンで、池田氏死去にともなう特集記事を読みました。
引用します。


週刊現代 2023年12月2・9日号

池田大作の光と影

創立記念日である11月16日に突如公表された池田大作名誉会長の逝去。享年95。毀誉褒貶の激しいカリスマは、「怪物」 か「聖人」か。その生涯や教えに多角的に迫る。そして公明党の行く末やいかに。

(つづきです)

Ⅱ、「池田大作氏は死してなお生き続ける」
 佐藤優 (作家、元外務省主任分析官)

創価学会の池田大作名誉会長が亡くなった。私は直接会ったことはないが、彼が書いた「テキスト」には長年向きあってきた。『池田大作研究 世界宗教への道を追う』(朝日新聞出版)を書いたこともあり、一つの時代を画することになったという感がある。
注目すべきは原田稔会長と池田博正主任副会長が談話を発表した際、喪服を着ていなかったことだ。死をことさら悲劇と捉えない、これは池田の死生観に通じている。池田は生前、臨終を「山頂」に譬えてこう述べている。
〈人生という山登りを終えた、その地点から振り返って、初めて自分の一生が見渡せる。……自分は、この一生で何をしたのか。何を残したのか〉(『法華経の智慧――二十一世紀の宗教を語る』)
裏を返せば、死ではなく、どう生きてきたかが重要なのだ。
かくいう池田大作の人生はどのようなものであったか。海苔屋の子として生まれ、もともとは軍国少年であった。それが出征した兄は戦死し、自分も病弱で長く生きられないと言われて、夜間中学に通いながら猛烈な勢いで読書をし、創価学会第2代会長・戸田城聖の教えを請うた。
苦難の連続だった少年時代の池田にとって、創価学会の根本教義である「宿命転換」は救いだったに違いない。過去世(前世)の行いを原因とする宿命も、現世で正しい行いをすることで変えられる。宿命は不変なものではないところが、「希望の宗教」たる所以である。池田は生涯を通じて、この教義を最重視した。
此岸で宿命を転換し幸福にならずして、彼岸での幸福について話しても説得力がない。まずこの世界の貧困、病気、家庭不和などの現実的問題を解決しなくてはならない。そのためには、平和主義によって戦争のない社会を築くことが必要だ。この思いから政治にも積極的に関与した。池田には、初代会長牧口常三郎を獄中死させ、戸田城聖にも獄中生活を送らせ早逝の原因となった軍国主義への強い怒りがあった。
池田が創設した公明党は、いまは政権の一翼を担っている。自民党に対して一定の歯止めとなり、安保法制における集団的自衛権についても制限を課し、平和を現実的に強化できた。 あえて権力側に入ることによって、教義に基づいた民衆のための社会を作る道を選んだ。創価学会は池田大作に次ぐカリスマ的な後継者を育てられなかったので、これから会員数は減少していくと言う人がいるが、全くの見当違いである。創価学会インタナショナル(SGI)の会員数はすでに全世界に280万人。私は創価学会こそ、キリスト教やイスラームに匹敵する世界宗教となると考えている。
池田により世界宗教としての創価学会は完成している。池田に代わるカリスマを創価学会は作れなかったのではない。あえて作らなかったのだ。
属人的な組織は、個人のカリスマに頼るがゆえに永続的たりえない。牧口常三郎、戸田城聖、池田大作という三代会長によって創価学会の教えはすべて体現される。創価学会において「先生」と呼ばれるのはこの3人だけであり、今後は池田が残した、信仰と教団の規範となる「正典」をその根拠として、この先も数百年、千年と続いていく。
その正典こそが、池田が書き残した小説『人間革命』『新・人間革命』ならびに、池田監修の『日蓮大聖人御書全集』である。正典の必須条件は、常人が読了しうる分量でかつ、変更がない閉じたテキストであることだ。それにより、正典を参照することで森羅万象を説明することが可能になる。この正典がすでに完成しているのだから、池田が死去したことによる動揺はなかったのである。
創価学会は10年以上前から池田が亡くなった後のための準備を着々と進めてきた。池田が表舞台から姿を消すことで、すでに正典による信仰を開始していたわけだ。
創価学会が作り出す世界のあり方について、池田は23世紀までのプランを描いている。今の日本の宗教指導者や政治家で、200年先の計画を立てられる人がいるだろうか。
          (文中敬称略)


(つづく)


解説】】
創価学会の池田大作名誉会長が亡くなった。私は直接会ったことはないが、彼が書いた「テキスト」には長年向きあってきた。

意外ですが、あれほど池田氏を礼賛する佐藤優氏は生前の池田氏に会ったことがなかったのですね。
彼は、テキスト、それも創価学会側から公式に発表されたテキストのみを読み込んで分析するのが常です。
池田大作研究というなら、生前の池田氏に面会し、インタビューを試みるのが当然だと思うのですが、なぜか佐藤優氏は、そういう基本的な仕事はせず、机上のテキストのみを相手に創価学会の「内在的論理」とやらを見出したとうそぶきます。
「内在的論理」なんていうとなにやら小難しそうに聞こえますが、ようするに、相手側の言い分を鵜呑みにして、相手の気持ちを理解するという意味で、氏はこのこの言葉を使っているようです。


注目すべきは原田稔会長と池田博正主任副会長が談話を発表した際、喪服を着ていなかったことだ。死をことさら悲劇と捉えない、これは池田の死生観に通じている。

アンチの論者の中には、11月18日に池田氏のご遺体を荼毘に付したその直後にこの談話が発表されたのは不自然だという指摘がありました。
長谷川理事長の導師でお見送りをして、遺体を荼毘に付したのなら、その参列者である池田博正氏も原田会長もその時は喪服を着ていたはずです。
そのままその姿で談話の動画を撮影してもよかったはずなのに、談話にさいして、わざわざ着替えてネクタイも普段着のものにしたというのでしょうか。
それとも、佐藤優氏が指摘するように、喪服を着ないことに積極的な意味があったというのでしょうか。
今後、創価学会員の葬式は、喪服を着ないというルールができるのでしょうか。
実際のところは、荼毘に付す時よりも前に、周到な準備を経て談話の動画を撮ったのではないでしょうか。
そのときに、単に、喪服を着るのを忘れたとか……。


創価学会は池田大作に次ぐカリスマ的な後継者を育てられなかったので、これから会員数は減少していくと言う人がいるが、全くの見当違いである。創価学会インタナショナル(SGI)の会員数はすでに全世界に280万人。私は創価学会こそ、キリスト教やイスラームに匹敵する世界宗教となると考えている。

ここは、学会が発表する数字を鵜呑みにして、創価学会が今後も世界宗教として発展するなどとたわ言をいっているのでしょう。
佐藤氏は、少しは自分で、実情を調べて発言するべきです。


正典の必須条件は、常人が読了しうる分量でかつ、変更がない閉じたテキストであることだ。それにより、正典を参照することで森羅万象を説明することが可能になる。

創価学会の「正典」たる『人間革命』『新・人間革命』とも、都合の悪い過去の記述は平気で改ざんされています。そもそも、池田氏自身が書いたものではありせん。
その時点で、すでに「正典」の条件を満たしていませんね。

創価学会が作り出す世界のあり方について、池田は23世紀までのプランを描いている。今の日本の宗教指導者や政治家で、200年先の計画を立てられる人がいるだろうか。

この表現も無責任ですね。
池田氏自身は、今回のような嘘とごまかしの「お元気詐欺」ともいうべき、生涯の締めくくり方を望まれたでしょうか。
自分の死に方さえ、プランを立てられなかった、不幸な亡くなり方をした。
可哀想な方だった、と私は思っています。
そうやって、池田氏の晩年を組織維持のために利用しつくした創価学会の執行部のやり方に、憤りさえ覚えます。

獅子風蓮



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