石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。
湛山の人物に迫ってみたいと思います。
そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。
江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)
□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
■第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき
第8章 悲劇の宰相
昭和31年(1956)8月10日、湛山は閣議の後に軽井沢の鳩山別邸に向かった。ほかに招集されたのは岸信介、石井光次郎、河野一郎、大野伴睦、三木武夫、官房長官の根本龍太郎だった。
「どうだろうか。私は政権の座にめんめんとする気はないから……。日ソ交渉の結果がはっきりしたところで引退したいと考えているのだが」
湛山は鳩山を除く6人の表情を、ゆっくり見た。岸は河野と顔を見合わせ、しきりに大きな歯を隠そうとした。三木武夫は湛山に視線を向け、石井は根本を見ている。大野は心持ち顔を上げて、じっと目を閉じている。
「そこで、皆さんに提案したいのは後任の総裁の件だ。党の規約では公選ということになっている。どういう形でもよいから総裁選任の方法を考えておいてほしいのです」
軽井沢の夜は涼しい。寒いくらいであった。応接間には暖炉の火が入れてあった。参集している客7人のそれぞれの心に、ほとんど同じ思いが兆し始めていた。「ポスト鳩山」への期待感であった。
鳩山はこの後、政府と与党の連絡会議の席上、早期引退の意向を正式に明らかにした。これは、いよいよ政局が本格的に動きだしたということであった。
(つづく)
【解説】
こうして、政局は自民党はじまっていらいの総裁選挙に向かって動き出しました。
令和の現在も、今まさに自民党の総裁選が行われようとしています。過去の歴史を知るのも興味深いですね。
獅子風蓮