柳原滋雄氏は中田光彦の名前で多数の文章を主に創価学会系の雑誌『潮』に発表しています。
Wikipediaによると、柳原滋雄氏は、早稲田大学在学中の1985年に、創価学会へ入会。
創価学会員である柳原滋雄氏の主張は大きなバイアスがかかっていると見た方がいいでしょう。
柳原滋雄氏は自身のホームページの中で「コラム日記」を書いており、「東村山市議転落事件」についても現在も積極的に記事をアップしています。
さっそく、「柳原滋雄のホームページ」からいくつか気になる記事をピックアップしてみましょう。
■東村山市議の闇4 矢野と朝木明代(2022/11/22 火曜日)
矢野穂積と朝木明代の関係については宇留嶋瑞郎著『民主主義汚染』(1998年)に詳しい。それによると2人が初めて知り合ったのは1975年。互いが30歳前後のときだったという。同書に次のようにある。「朝木明代と矢野穂積が親密な関係になっていくのはその翌年のこと」。さらに82年の終わりごろ、喫茶店の2階に活動拠点としての事務所を借りた。この場所は「矢野と明代の活動の拠点となっただけでなく、2人がプライベートな関係を深めた場所でもあったようだ」と意味深な表現で指摘している。このころ矢野が35歳、朝木明代が38歳だった。一方、転落死事件に対する逆の立場の人間だが、乙骨正生著『怪死』(1996年)では2人の関係について次のように書いている。
「誹謗中傷の極めつけにあるのがW不倫情報。朝木さんと矢野さんは、以前からW不倫関係にあり、2人が性交渉していた声が、事務所から漏れていたなどとの噂が、東村山市内では、創価学会・公明をはじめとする反『草の根』グループからまことしやかに流されているのである」
ここで私は2人が不倫関係にあったかどうかの事実を詮索するつもりはない。指摘しておきたいのは、乙骨正生という人物が自らの著作の中で、矢野穂積と朝木明代の関係性もしくは疑惑を端的に記述した事実であり、その後、矢野側が乙骨正生を名誉毀損で提訴した事実もなかったという経緯である。こうしたプライベートな関係は、実際は証明するのは簡単ではない。
(以下省略)
(つづく)
【解説】
「2人が不倫関係にあったかどうかの事実を詮索するつもりはない」といいながら、柳原氏は、矢野氏と朝木議員の間に不適切な関係にあったかのような印象を植え付けます。
乙骨氏は反『草の根』グループからまことしやかに流されていたW不倫情報(デマ)を批判的に紹介しただけなのに、そのことを疑惑の証拠のように言うのは明らかにおかしな言い分です。
Wikipediaによると、矢野氏は2021年11月30日に亡くなっています。
もう訴えられる心配がないから、朝木さんや矢野氏については何を書いても構わないと思っているのでしょうか。
柳原氏は、そうとう卑劣な人物のようです。
獅子風蓮