柳原滋雄氏は中田光彦の名前で多数の文章を主に創価学会系の雑誌『潮』に発表しています。
Wikipediaによると、柳原滋雄氏は、早稲田大学在学中の1985年に、創価学会へ入会。
創価学会員である柳原滋雄氏の主張は大きなバイアスがかかっていると見た方がいいでしょう。
柳原滋雄氏は自身のホームページの中で「コラム日記」を書いており、「東村山市議転落事件」について現在も積極的に記事をアップしています。
さっそく、「柳原滋雄のホームページ」からいくつか気になる記事をピックアップしてみましょう。
■東村山市議の闇3 キーパーソンとなる人物(2022/11/21 月曜日)
1995年の議席譲渡という奇想天外な方法を思いついた人間はだれか。当時「草の根」という名称の会派で選挙を戦った朝木明代、その娘の朝木直子、明代の政治的同伴者であった矢野穂積の3人の中でだれが言い出したのかは定かでない。もともと矢野は朝木明代の政治活動を下支えしてきた人物であり、このときも落選を契機に素直にその任務に徹し続けていれば何も問題は生じなかったはずだが表舞台に立ちたかったのだろう。いずれにせよ議席譲渡は朝木直子と矢野穂積2人による連携プレーの結果生じたものであり、2人に大きな責任があることはいうまでもない。平穏であったはずの東村山市議会に民主主義に反する行動を持ちこみ、無用の混乱に陥れた責任が彼らにはあるからだ。またその行動は、朝木明代の転落死事件まで一直線に結びついている構造が見られる。
矢野穂積は朝木明代の3歳下の1947年生まれ。矢野と朝木明代は市民運動を通して共闘する関係となり、議席譲渡問題が起きた際の年齢は、朝木明代50歳、矢野穂積47歳、朝木直子27歳だった。矢野穂積は地元では「訴訟マニア」として有名で、政敵に対して訴訟をチラつかせ、相手の批判を封殺することを常套手段としてきた。矢野の良心の呵責を欠いた行動はほかにもさまざま見られるが、サイコパス研究の世界的権威であるカナダのロバート・ヘア博士が考案したサイコパス・チェックリストで診断すれば、「サイコパス」(良心の呵責をもたない異常人格者)の類型に入ることは間違いない人物と見られている。サイコパスの行動は良心の呵責を欠いた「捕食者」そのものとしての行動であり、その観点からその後の経緯を見ていくと、非常にすっきりと理解できる構造がある。
その証拠に、矢野と朝木明代、矢野と朝木直子の間にはそれぞれサイコパス特有ともいえる関係性が観察された。
(つづく)
【解説】
矢野穂積氏に対して、柳原氏はサイコパスの類型に入ると断定している。
たとえ、訴えられた相手であったとしても、これは言いすぎではないでしょうか。
Wikipediaによると、矢野氏は2021年11月30日に亡くなっています。
もう訴えられる心配がないから、矢野氏については何を書いても構わないと思っているのでしょうか。
獅子風蓮