獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

広末涼子のラブレターを考える

2023-07-09 01:51:10 | 芸能人・有名人

以前、アメブロでも書きましたが、私は地元高知を愛する元気な女性として広末涼子を評価していました。

「好きな民謡:よさこい節(高知県民謡)」(2021-10-25)


ところが、ちかごろ、料理人の鳥羽周作氏の不倫関係を報じられ、世間では激しいバッシングを受けています。
私は、広末涼子の再婚相手のキャンドル・ジュンというのが、どうも胡散臭くて好きになれなかったので、キャンドル・ジュンの記者会見にはいい印象を持ちませんでした。どちらかというと、広末涼子に同情的です。

d-マガジンで、広末涼子のラブレターを評価する興味深い記事を読みました。
引用させていただきます。

 


週刊現代 2023年7月1・8日号

広末涼子のラブレターを考える
__なぜ人の心を打つ
__これは文学だ

真っすぐに綴られた愛情

〈泣かせてくれて、きもちくしてくれて、いつもどんな時もあなたらしく居てくれて、対峙してくれて…本当にほんとに、ほんとうに、ありがとう〉

丸みを帯びた可愛らしい文字で丁寧に書かれた、ひらがな混じりの柔らかい文面。何よりも一人の女性の温かい「真心」が伝わってくる。つたなく見えるが独特の感性を感じさせるこの文章は、女優の広末涼子が書いたものだ。
『週刊文春』が広末と料理人の鳥羽周作氏の不倫関係を報じたのは、6月8日のこと。翌週15日に発売された同誌には2人が送り合ったラブレターの文面がそのまま掲載され、冒頭で引用したような生々しいやり取りが明らかになった。
広末は'10年にアーティストのキャンドル・ジュン氏と結婚しており、前夫との間の子も含めて3児の母。相手の鳥羽氏にも妻と2人の子どもがいるW不倫であり、世間からのバッシングが過熱してしまうのも仕方がないことかもしれない。
しかし広末が実際に書いた手紙を読んでいると、彼女の真っすぐな恋心が伝わってきて胸を打たれる。

〈淋しくて悔しいけれど、でも私は、あなたのおかげで愛を諦めない覚悟を知りました。もしかしたら、こんな風に本気でぶつかり合って求め合って、ひとを好きになったのは初めてなのかもしれません〉

これほど熱いラブレターを自分も受け取ってみたい――そんな思いがよぎった人も多かったのではないか。

「このラブレターはよくできた美しい詩であり、短編小説でもあります」と話す九州国際大学教授の松井貴英氏は、その「文学性」を高く評価している一人だ。
「深い恋愛経験がある人なら誰しも一度は抱いたことがある『人を愛したい、人から愛されたい』という気持ちが、よく表れている文章だと感じました。
広末さんの思いが特によくわかる表現が、「気持ちよく」の代わりに使われている「きもちく」でしょう。彼女の年齢とそぐわないため、単に舌足らずなだけのように見えるかもしれませんが、10代、20代だった頃の純粋な気持ちのまま相手に向き合っていることが読み取れるのではないでしょうか」

早稲田大学教授で、恋愛を科学的に分析する「恋愛学」を提唱してい森川友義氏も、ラブレ ターでのやり取りを通して2人の恋がさらに燃え上がったのではないかと考察する。
「とても赤裸々で、広末さんの思いが率直に綴られた文章だと感じました。『泣かせてくれて、きもちくしてくれて、」と、彼女の感情の動きが“、”で区切られながら一つ一つ並べられている。二人きりの時間を追体験できるような文面で、恋が盛り上がっていく過程がよく伝わります。
おそらく2人も互いの恋文を何度も読み返しながら、ますます愛を深め合ったのではないでしょうか」

古今東西、数えきれないほどの人々が不倫相手に密かにラブレターを送り、他人には明かすことのできない恋心を伝えてきた。許されない思いを綴った手紙だと切り捨ててしまうのは簡単だが、中には後の時代にその価値を認められたものも少なくない。


女の肉を思つては下さるな

その一つが、大正時代の歌人である柳原白蓮(やなぎはらびゃくれん)が7歳下の恋人・宮崎龍介に送った恋文だ。
筑豊の炭鉱王で24歳も年上の伊藤伝右衛門と望まぬ結婚を強いられた白蓮は、帝大生だった龍介と出会い恋に落ちる。2人は700通にもおよぶ恋文を交わし、東京と九州で遠く離れていながら愛を深めていった。
そんな恋文に光を当てたのが、作家の林真理子氏だ。門外不出だった2人の貴重な手紙を宮崎家から提供された林氏は、それらを丹念に読み解き『白蓮れんれん』を執筆した。作中で白蓮は龍介にこう書き送っている。

〈どうぞ私を私の魂をしつかり抱いてて下さいよ。あなた決して他の女の唇には手もふれては下さるなよ。女の肉を思つては下さるなよ。あなたはしつかりと私の魂を抱いてて下さるのよ。きつとよ。少しの間もおろそかな考へを持つて下さるなよ〉

龍介の周囲の女性に対する白蓮の怒りと嫉妬がむき出しの文面だが、だからこそ生々しく熱い彼女の情愛が迫ってくる。高ぶる思いを止められなくなった2人は伝右衛門に隠れて逢瀬を重ねた。ついに龍介の子ども妊娠した白蓮は1921年に駆け落ちする。白蓮が新聞紙上で夫への絶縁状を公開すると、別紙に伝右衛門の反論が掲載されるなど各紙がこぞって取り上げたため、日本中が注目する一大スキャンダルへと発展した。世間は2人を過剰なまでにバッシングし続け、白蓮は今の広末と近い状況に追い込まれる。しかしどれだけ社会的に制裁を受けても2人は愛を貫き、駆け落ちの2年後にようやく結婚することができた。

熱情にあふれたラブレターをしたためるのは、なにも女性に限ったことではない。'81年から'95年までフランス大統領を務めたフランソワ・ミッテランもまた、妻に対するよりも熱い思いを愛人に書き送っていた。
相手はミッテランが46歳の時に出会った大学生で、後にルーブル美術館の学芸員になる27歳下の女性アンヌ・パンジョ。2人は大統領在任中も含めた33年間にわたって愛を育み、1200通以上のラブレターをやり取りしたという。彼らの手紙は'16年に『アンヌへの手 紙』という書簡集にまとめられて出版された。
その中に収められている、前立腺がんに侵された彼が'95年に送った最後の手紙には、出会いから33年経っても冷めていない気持ちが綴られている。
〈君はいつだって、より多くのものを与えてくれた。私の人生にとって、君と出会えたことこそが幸運だった。もうこれ以上ないほど、君を愛している〉
この時すでにミッテランは78歳だったが、彼の文章からも広末が記したような、かけがえのない相手への深い愛情と感謝の念が感じ取れるだろう。これほど真摯な思いが込められた恋文には、年齢や性別、洋の東西をも超えた普遍的な魅力がある。


結婚制度が抱える「矛盾」

不倫を断罪したい外野がいくら後ろ指を指そうとも、当の2人にとってその関係は「純愛」だ。今の日本社会では、既婚者同士の関係は許されざる恋かもしれないが、善悪の判断をそう簡単に下してよいものだろうか。

前出の森川氏は「人間社会において、不倫という行為は至極当たり前のものだ」と結論付けたうえで、こう話す。
「相模ゴム工業が'18年に インターネット上で20~60代に向けて実施した1万人規模のアンケート調査によると、不倫している男性は全体の26.5%、女性は15.2%でした。
日本の同年代の人口は約7600万人なので、仮に男女が半々だとしてフェルミ推定(実測が難しい数値を推測する手法)すると男性は約1000万人、女性は約600万人が不倫している計算で す。街を歩けば、行き交う人々の約1割が不倫していてもおかしくないわけです。
そもそも『セックスをしたい』という欲求は生物にとって根源的なものである一方で、『一生で1人にしか恋愛感情を抱かない』と取り決める結婚制度はあくまでも社会的に生まれたものです。
その間に齟齬が生じてしまう以上、婚姻関係外の相手を好きになる不倫が在するのはある意味、 当然のことでしょう」

また古生物学者の更科功氏も、人間が不倫してしまう生物学的な背景をこのように補足する。
「一夫一妻制の人間にとって、不倫する・しないは身長や目の色と同じ『変異』の一つです。個体間に変異があるからこそ、生き残りやすい個体とそうでない個体で差が生じて生物は進化してきた。もし人類に変異がなければ、そもそも進化は起こりません。道徳的な判断を抜きに言えば、生物として進化する以上、不倫する人間がいるのは当たり前です。ただし人 類への進化の過程で一夫一妻が増えてきたということは、不倫をしない個体の方が生き残りやすかったのかもしれません」

抗えない人間の本性に根差しているからこそ、今も昔も不倫は人々の注目を集めてきた。たしかに『週刊文春』の後追いで広末のラブレターを何度も読み上げるテレビ番組を見て、一線を超えていると感じた人もいただろう。だが世間がこれほど過熱するのは、不倫の危うさ、そして甘美さこそが、何よりも人を魅了するからに他ならない。
どんな理由があろうとも、夫や妻を裏切ることは許しがたい――そう感じる人も多いはずだ。しかしそうした感情さえもまた、不倫が持つ魔力の産物である。前出の森川氏は、こう推測する。
「今回の件を批判している人の中には、2人を妬みと羨望の眼差しで見ている人も少なくないと思われます。特に異性から魅力的に見られておらず、恋人がいないか、あるいは不倫したくてもできない人が一定数含まれているのではないか。そういった人々がネガティブな感情を抱えてSNS上で誹謗中傷し、またメディアもそこに需要があると見込むため、報道も 過激になっていくのです」
人々が不倫した有名人を叩く原動力になるのは社会的な不公正への不満、すなわち不倫する人を「ズルい」と思う感情だ。
一夫一妻制の社会において、結婚して独り占めできる相手は1人までと決まっているにもかかわらず、不倫する人々は1人で複数の異性と関係を持っている。これを「ルール違反」だと感じて徹底的に追及したくなるのも、人情かもしれない。ましてや「したくてもできない」不倫を有名人が楽しんでいると知って、嫉妬心をかき立てられるのも当然だろう。
性愛の問題に詳しい作家の鈴木涼美氏も、「そもそも一生を夫婦2人で添い遂げるということ自体に無理があるからこそ、あえて男女が互いに一対一で恋愛感情を拘束し合う“結婚”という不自然な制度が作られた」と指摘する。矛盾を内包した結婚制度を維持していくには、ルール違反者を厳しく罰しなければならない。その「歪み」が、不倫を非難する人たちを 突き動かしていたとしても不思議ではない。


ゴシップを楽しめない国

おそらく白蓮が生きていた時代と比較して、最も大きな違いはインターネットの存在だ。
現に今もSNS上では広末に対する罵詈雑言が飛び交い、過剰なまでに茶化され、こき下ろされている。いまや企業が何よりも神経質になるのは、そうしたネット上での評判だろう。広末も契約していた4社のCMすべてから降板させられる事態に見舞われた。
前出の鈴木氏はそうした風潮に違和感を抱き、「社会に余裕がなくなってきている」と分析する。
「有名人のゴシップは、あくまでもゴシップとして軽い気持ちで楽しめばいいもの。最近では社会の側がそうやって楽しむ懐の深さを失ってきたように思われます。
たとえば双方合意の下、配偶者以外との性行為も容認する『オープン・マリッジ』という婚姻形態が先進的だと評価されることもあるように、道徳的な善悪は時代や価値観によって変わります。そのような事柄に対して、『社会的なモラルに反している』という独善的な理由で四方八方から糾弾する風潮は、間違っているのではないでしょうか」

白蓮の駆け落ち事件やミッテランの愛人問題も、発覚した当時はセンセーショナルに取り上げられた。しかし当人たちが愛を育む過程を綴った恋文は、現代に生きる人々の胸に響いている。「文豪が恋人に向けて送ったラブレターも後世では書簡集にまとめられて、私たちは当時の評価と関係なく文学作品として読んでいるわけです。広末さんのラブレターも、それに比肩するクオリティがあると私は思います」(前出の松井氏)時代や場所を超えて、書き手の思いを読む人に追体験させ、心を揺り動かす――それこそが「文学」の本質だと言える。鳥羽氏への愛情を真っすぐに綴った広末のラブレターもまた、その条件を十分に満たしているのではないだろうか。
     (文中一部敬称略)

 


解説
冒頭の〈泣かせてくれて……ありがとう〉の文章ですが、ネットではもう少し長い文章が公開されています。
それが、これ。

本当、好きすぎて反省の連続(汗)だよ。好きだよ。いろいろあって、心配も不安も胸をしめつけるものもとめどないけれど…でも ただ、ただ、好き
出逢ってくれて、会ってくれて、合ってくれて、くっついてくれて、入ってくれて、泣かせてくれて、きもちくしてくれて、いつもどんな時もあなたらしく居てくれて、対峙してくれて…本当にほんとに、ほんとうに、ありがとう。感謝しています。愛しています。
(恥ずかしがらずに言えるように成りました。←あなたのおかげ♡笑。)
引用:週刊文春


くっついてくれて、入ってくれて、泣かせてくれて、きもちくしてくれて……本当にほんとに、ほんとうに、ありがとう。

なんだか、すごくエロいですね。
あっ、私はべつに、嫌いじゃありません。

こんなプライベートな手紙が公開されて、広末かわいそう。
でも、週刊現代のこの記事に書いてあるように、いつの日か、広末さんの思いの伝わるこの文章が、文学として評価される日が来ることを、一ファンとして望んでいます。

 

獅子風蓮



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