獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

「宿業」について つれづれに

2023-12-30 01:18:48 | 友岡雅弥

これまで、karagura56さんのブログ「浅きを去って深きにつく」から、友岡さんの言葉を拾ってきました。
同じブログには、友岡さんのセミナーや講演の記録も残っています。

「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ
「宿業」について つれづれに(May 2, 2023)


「宿業」について つれづれに

まず、基本的なことをいうと、

例えば、過去世の宿命で今が何か問題があるといったとき、その問題というのは、「病気」「障がい」「貧乏」なのですよね。

ということは、それは「悪いことなのか」という素朴な疑問がありますよね。

日本の障がい治療の原点と言われる呉秀三医師は、精神障がいにとっての悲劇は、「日本の国に生まれたこと」と述べ、むしろ、日本社会のほうに、問題があるとしています。

今の世界的な「障がい」のとらえ方というのもそうですよね。社会のほうが、変わらないといけないというね。

「障害」だけでなく、今、世界の標準的な考え方(right‐based approach)では、「努力するのは社会の側」というのが普通になってきています。

難病について、同じような考え方が主流です。

遺伝子レベルで、何万分の一の確率で発生する難病にたまたま罹ったのは、その人の問題ではなく、

むしろ、私たちが罹ったかもしれない病気に、その人がなってしまったのだから、罹ってない私たちは、申し訳ないと支援しよう、という考え方が主流です。

次に大聖人の「価値観」を考えてみます。

「蔵の財より身の財すぐれたり、身の財より心の財第一なり」

というのが、大聖人の価値観ですよね。

蔵の財闇の財よりも、心の財に価値をつけていくわけです。

だから、例えば、あの社長は傲慢だ。社員に非人間的な扱いをする。それで大もうけしている。あいつは、よほど過去世に宿業積んできたに違いない。

というように、

もし、もし、過去世の宿業とかというならば、「今」については、「こころの問題」を考えねばならないですよね。

しかし、財や身体の問題を宿業と考えるのは、これは世法です。世間の考え方です。

かの仏の御法(みのり)を聞けば、富と貧(まず)しきは前世(さきのよ)の脩(よき)否(あしき)によるとや。此はあらましなる教へぞかし。前世にありしときおのれをよく脩(をさ)め、慈悲の心専らに、他人(ひとこと)にもなさけふかく接(まじ)はりし人の、その善報によりて、今此の生(しやう)に富貴の家にうまれたり。おのがたからをたのみて他人(ひとこと)にいきほいをふるひ、あらぬ狂言(まがごと)をいひののじり、あさましき戎(えびす)こころをも見するは、前世(さきのよ)の善心かくまでなりくだる事はいかなるむくひひのなせるにや。仏菩薩は名聞利要を嫌(いみ)給ふことこそ聞きつる物を、など貧福の事に係(かか)づらひ給ふべき。

前世で、いいことをしたから金持ちに生まれたのならば、金持ちが傲慢に他人をののしるのは、いったい、どんな因縁があるのかね?

仏菩薩は、名聞冥利を嫌うはずなのに、宿業論は、なんで貧乏金持ちにこだわるのかね。

シンプルですが、まさにそうです。

心の財がだいじなんちゃうん。

(友岡雅弥さんの随想)


解説
今の世界的な「障がい」のとらえ方というのもそうですよね。社会のほうが、変わらないといけないというね。
(中略)
難病について、同じような考え方が主流です。
遺伝子レベルで、何万分の一の確率で発生する難病にたまたま罹ったのは、その人の問題ではなく、むしろ、私たちが罹ったかもしれない病気に、その人がなってしまったのだから、罹ってない私たちは、申し訳ないと支援しよう、という考え方が主流です。

同感です。


前世で、いいことをしたから金持ちに生まれたのならば、金持ちが傲慢に他人をののしるのは、いったい、どんな因縁があるのかね?
仏菩薩は、名聞冥利を嫌うはずなのに、宿業論は、なんで貧乏金持ちにこだわるのかね。
シンプルですが、まさにそうです。
心の財がだいじなんちゃうん。

まったく同感です。
友岡さんの指摘は、一部の創価学会員に今も根強く残っている、悪しき「宿業論」への痛烈な批判になっていますね。


「すたぽ」にも同様の記事があります。

freak68- 「宿業」についてつれづれに

友岡さんの文章が読める「すたぽ」はお勧めです。


獅子風蓮



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