石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。
湛山の人物に迫ってみたいと思います。
そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。
江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)
□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
■終 章
□あとがき
終 章
(前略)
湛山は残る政治生命を日中関係の正常化に費やした。
だが、岸内閣はアメリカとの関係一辺倒に走り、日中関係は極度に悪化した。岸の考えは、鳩山・石橋両政権時代に逆に冷却化した日米関係を改善することにあった。
岸は、日中貿易は中国承認を意味しない、中国の通商代表部に特権は与えないなどを明示して、中国に対して強硬な態度に出た。
「岸君はどういう気持ちなのかな。折角、中国との国交を視野に入れてやってきたこれまでの努力を水の泡にするとはな」
湛山は、自分のやってきたことをすべて否定しようとする岸信介に大きな失望を覚えていた。
中国は政経不可分原則に立っていたが、岸は政経分離を原則にして日中貿易の拡大を図った。だが、両国間は日増しに険悪の度合いを深め、昭和33年(1958)5月、とうとう日中関係は断絶状態に陥った。
「僕はね、築き上げた日中関係が崩壊するのを黙って見てはいられないんだ」
徐々にではあるが健康を回復した湛山は、自分自身が中国に行くつもりになっていた。
「先生、中国政府の意向を打診してみましょうか」
日中貿易の関係者からそんな電話があって、湛山は、
「ぜひやってみてくれんかね。北京在住の西園寺公一君や日中貿易促進会の鈴木専務らが、間に立ってくれるはずだから」
(つづく)
【解説】
「僕はね、築き上げた日中関係が崩壊するのを黙って見てはいられないんだ」
徐々にではあるが健康を回復した湛山は、自分自身が中国に行くつもりになっていた。
日中国交正常化のために湛山は動き出しました。
獅子風蓮