今日は、マニュフェスト中の
「ハコモノ建設計画は白紙とし、1年以内に必要性をゼロベースで見直します。そのために、県民目線でハコモノの費用対効果をチェックします。」
という公約についてである。
「ゼロベースで見直し」という言葉はかつて前知事の石川君が好んで使っていた言葉だが、まったく意味を成さなかった。
というのも、見直しの自体が恣意的誘導による結果ありきの出来レースだったからだ。いわゆる、第三者機関と称する御用機関によるアリバイ作りだ。
その象徴といえるのが「静岡空港」。
官僚寄りの学者先生によって需要が水増しされ、結果として費用対効果の有無の分岐点である86万人を上回る106万人の国内需要があるとして有益な事業と評価され強制収用という強権的手段にまで及んだのである。
その算出根拠たるデータはこれほどの事業でありながら積極的に公開されるどころか隠蔽され、そのような限られた状況の中で得られた反対派の需要見込みである36万人という数字にむしろ現実が近づいているのは何とも皮肉なものである。
県民目線で費用対効果をチェックというならば、算出根拠(データを含む)までしっかり公開し県民にチェック可能なものとすべきは無論のこと、見直す機関の人選も公募にするなど疑念を抱かせる要素を排除すべきであろう。
まずはこの公約の評価に当たっての注目は例の島田市への建設を検討調査している大規模産業展示館だ。
どう考えてもこれを費用対効果で正当化するのは空港本体以上に無理がある。
もし、無理を通して道理を引っ込めればこれだけで評価は下る。
麻生への期待が失望に変わったのと同じでまっさかさまに転げ落ちるだろう。
立ち木とともに将軍去って風に乗ってバカ殿来たる、とはならないことを願う。
「ハコモノ建設計画は白紙とし、1年以内に必要性をゼロベースで見直します。そのために、県民目線でハコモノの費用対効果をチェックします。」
という公約についてである。
「ゼロベースで見直し」という言葉はかつて前知事の石川君が好んで使っていた言葉だが、まったく意味を成さなかった。
というのも、見直しの自体が恣意的誘導による結果ありきの出来レースだったからだ。いわゆる、第三者機関と称する御用機関によるアリバイ作りだ。
その象徴といえるのが「静岡空港」。
官僚寄りの学者先生によって需要が水増しされ、結果として費用対効果の有無の分岐点である86万人を上回る106万人の国内需要があるとして有益な事業と評価され強制収用という強権的手段にまで及んだのである。
その算出根拠たるデータはこれほどの事業でありながら積極的に公開されるどころか隠蔽され、そのような限られた状況の中で得られた反対派の需要見込みである36万人という数字にむしろ現実が近づいているのは何とも皮肉なものである。
県民目線で費用対効果をチェックというならば、算出根拠(データを含む)までしっかり公開し県民にチェック可能なものとすべきは無論のこと、見直す機関の人選も公募にするなど疑念を抱かせる要素を排除すべきであろう。
まずはこの公約の評価に当たっての注目は例の島田市への建設を検討調査している大規模産業展示館だ。
どう考えてもこれを費用対効果で正当化するのは空港本体以上に無理がある。
もし、無理を通して道理を引っ込めればこれだけで評価は下る。
麻生への期待が失望に変わったのと同じでまっさかさまに転げ落ちるだろう。
立ち木とともに将軍去って風に乗ってバカ殿来たる、とはならないことを願う。