syuの日記・気まま旅

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気ままに記録しています。

京都 保津川下り トロッコ電車

2020-11-07 | syu散歩
京都府舞鶴市府北部の「舞鶴港」は、引揚港指定・京阪神地域と日本海への窓口
若狭湾西部にある湾入・湾口約1.1kmと狭いが、奥が広いく天然の良湾をなしている。東側は明治時代から軍湾として発展した。
太平洋戦争後は、大陸からの引揚船の入湾地となり又景勝地が数多い所「若狭湾国定公園・大正期の旧海軍の赤煉瓦・市政記念館・16世紀の田辺城・廻船問屋・商家」
昭和20年の終戦時連合軍の進駐軍が即置かれた。

昭和25年・京都で、金閣寺焼失・京都駅全焼した。
1950年7月2日午前3時前、市の臨済宗相国寺派鹿苑寺(金閣寺)庭園内の国宝・舎利殿(金閣)から出火し、全焼した。
大谷大学1回生だった金閣寺の21歳の徒弟僧が放火容疑で逮捕され、寺の裏の左大文字山で胸を短刀で突いて自殺を図ったが、果たせずにいたところを発見。
この事件は、三島由紀夫「金閣寺」、水上勉「五番町夕霧楼」「金閣炎上」など、小説やルポの題材になった。


源氏物語・枕草子など多く出てくる。JR山陰本線京都ー園部間を「嵯峨野線」と呼ばれ、更に同じ線の嵯峨嵐山駅から亀岡盆地までの旧線路を用いて、
「嵯峨野観光鉄道がトロッコ列車を運行している。
行は列車、帰りは船下りも出来る。





トロッコ列車と保津峡。
保津川が創り出す保津峡は、京都を代表する自然美のひとついわれ、駅を出るとすぐに保津峡にかかるつり橋んも鵜飼橋が見る。鵜飼橋を渡り、JR保津峡駅へと続く約1キロの道は、気軽に楽しめるハイキングコースで人気で、更に進むと、ゆずで有名な水尾の里へ行ける。







京都府亀岡市は、市の西、亀岡盆地・丹波高原。江戸時代は、亀山と云っていた。歴史のある地位で、国分寺の指定地、古代は丹波中心、明智光秀の「亀山城」をp築城し江戸時代は、形原松平氏の城下町でああた。今は、市のベットタウン・盆地を流れる「おおい川」は、かって水運、筏に利用された。
今は、保津峡の観光資源に
「明智光秀の亀山城」1573年築城で、」一部石垣と堀が現存している。











京都 野宮神社 竹林の小径

2020-11-03 | syu散歩
「鳥羽・伏見の戦い 戊辰戦争へ」
旧幕府軍と新政府軍との戦い「戊辰戦争」の初戦,京都市南区・伏見区-、山城国 鳥羽・伏見で1868年1月27日(慶応4年1月3日)に起こったこの戦いから1年4ヵ月もの間、日本の内乱である戊辰戦争は続iた。
伏見においても、旧幕府軍と薩摩藩・長州藩による同様の口論が行なわれていましたが、鳥羽方面からの銃声を皮切りに開戦。旧幕府軍は伏見奉行所を本陣として戦い弾薬庫に砲弾を打ち込まれて奉行所が炎上し火の海に、旧幕府軍は、ここで撤退を強いられる。

京都には、哲学の道がある。南禅寺~銀閣寺コースである。京都五山最高位の南禅寺から世界遺産銀閣寺まで。「距離約2.95km、徒歩南禅寺~銀閣寺コース上には、桜の名所として有名で、また、紅葉の名所としても知られている。
南禅寺・永観堂など、春と秋に人気である。
今日は、平安貴族をも魅了した「嵐山竹林の道」を。
冬のイベント・嵐山花灯路は12月の中旬で、冬の足音が聞こえ始めるころ、渡月橋界隈と竹林の道~二尊院にかけて約5kmが生け花と露地行灯で彩られる。
竹の香りをかきながら散策した。

古刹天龍寺と野宮神社を参拝








「天龍寺 臨済宗天龍寺派大本山」は、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提、冥福を祈るために、1339年・禅僧夢窓疎石を招き創建した。
京都五山の第一位となり大いに繁栄したと云う。また元との交易の一部の利益でまかなったと云う「天竜船・明との勘合貿易の元に」また、塔頭・子院150か所
度重なる火災により焼失し再興を繰り返している。長州藩の宿営地であった為、薩摩藩に焼き尽くされた。
本尊は、釈迦如来 曹源池と庭園は、夢窓疎石の作と云う。また、堂内の「雲龍図は、八方にらみ龍」は、どこから見上げてもにらまれている。









京都 松尾大社 造酒の神「霊泉亀の井の水」 

2020-10-31 | syu散歩
日本史で京都は、何回も戦災を受け、町全体が焼け野原に。
応仁の乱は、室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約11年間にわたって継続した内乱。
室町幕府管領家の畠山氏、斯波氏の家督争いから、足利将軍家や細川勝元・山名宗全といった有力守護大名を巻き込み、幕府を東西2つに分ける大乱となり、それぞれの両国にも争いが拡大した。
明応2年(1493年)の明応の政変と並んで戦国時代移行の原因と。11年に亘る戦乱は、西軍が解体され収束したが、主要な戦場となった京都全域が壊滅的な被害を受けて荒廃した。
応仁元年(1467年)に起きたことから応仁の乱と呼ばれるが、戦が続いたことにより、応仁はわずか3年で文明へと改元された。
このように、戦乱期間の大半は文明年間であったので、応仁・文明の乱とも。
両軍の大将である山名宗全や細川勝元がこの世を去っても乱はなかなか収まらず、11年にも及ぶ戦いで、京都はすっかり焼け野原になりました。
足利義政の子の足利義尚が9代将軍を継ぐことに、もはや将軍の威光はなく、中央では有力な守護大名が室町幕府の実権を握る。
権力を握りたいがための争いだったのに、足利家にとってはなんとも皮肉な結末で、 形だけとなってしまった幕府は領地も兵力もほとんど持たないまま、ひっそりと約100年後まで続きますが最後は、織田信長によって滅ぼされる。

桂川・古くは、郡名葛野川とも呼んだ。その流域に「長岡京」が造営・東の鴨川・西の桂川「貴族の舟遊び・桂山荘・桂離宮・別荘地」が出来た。
下流部には、洛南・久世の工業団地と向日市長岡京市の住宅地化進んでいった。

松尾大社 西京区嵐山宮町に鎮座
祭神ー大山くいの神・中津島姫命。   701年秦忌寸都理の創建。  王城鎮護の神として朝廷の崇敬を集め、多くの荘園が寄進され勢力を振るっていた。
氏子城は、京都市街地の3分の1を占めたと云う。中世以降は、「造酒の神」として信仰されている。「霊泉亀の井の水」を使った酒は腐らないと云い伝えられている。
重文 本殿・男神坐像2体・女神坐像1体等がある。

















「嵐山線」は、市西京区の桂駅から嵐山駅までを結ぶ阪急電鉄の鉄道路線で、沿線に嵐山などの観光地を控え、行楽客や年末年始の初詣客で賑わう。
正式な起点は桂駅だが、列車運行上は嵐山駅から桂駅へ向かう列車が下り、逆方向が上り。
停車駅 梅田駅 - 十三駅 - 淡路駅 - 茨木市駅 - 高槻市駅 - 長岡天神駅 - 桂駅 - 上桂駅 - 松尾駅(現在の松尾大社駅)- 嵐山駅


京都 嵐山 コロナ?静かな渡月橋

2020-10-30 | syu散歩
「渡月橋」
嵐山の大堰川に架かる橋で、嵐山の代表的な風景のひとつとなっている。古くは平安時代に空海の弟子、道昌が大堰川を修築したおりに架橋されたものといわれており、橋の名は亀山天皇が名づけたと伝えられる。








8世紀末以来約1100年の間、「京都」は、日本の都市であった。明治2年に全国初の小・中学校が開校している。
京都に水を引くため琵琶湖疎水が1890年に完成。
市内の大枝遺跡は旧石器・下賀茂神社付の北白川小倉遺跡は縄文時代・深草旧練兵場遺跡、エビスヤマ古墳など弥生、古墳時代、784年に長岡京・794年平安京
823年空海、東寺を、1100年平清盛らの保元ー平治の乱・足利尊氏大将軍は1338年。
京都府の南東部、山城地域には、京阪神大都市圏の総人口の8割が住み過密化している。
北は逆に過疎化、京都府の南西部の川が丹波高地に発する大堰川、保津川の下流部ー保津川出口が、嵐山から京都盆地南西部を流れ、大大崎町宇治川、木津川と合流して淀川へと注ぐ。
古代流域に「長岡京」が造営され、東の鴨川は、貴族の舟遊び「藤原道長」の桂山荘・桂離宮の別荘地になった。ここは府の灌水用水で重要であった。
「中世の11ヶ郷用水をめぐる争論は有名」
現在は、西京極の染め物工場が多い   今日は、上流部嵐山嵯峨野方面を散策。「桂川の長さ約22km」
「西京区」市の南西、昭和51年右京区から桂川右岸の松尾・桂・川岡・大原地域が分離して成立した。桂川の沖積平野である東部は、水稲と野菜で西部は、丘陵地で
筍や柿の産地であった。現在は宅地化。大枝・大原野に「洛西ニュータウン」がある。区内には、桂離宮・松尾大社・苔寺の西芳寺等がある。
京都市西京区嵐山は、丹波高地南緑の丘陵で景勝地で知られている。保津川が京都盆地に出る谷口の南側に位置し、古生層の山でも知られている。
保津川・大堰川の山地一帯を指す。自然美豊な所で紅葉が素晴らしい。
平安時代は、貴族の舟遊びが盛んであったとある。白河天皇・藤原公任の和歌が、13世紀の後嵯峨天皇は、離宮亀山に吉野の桜を移し春は景勝地として親しまれている。江戸時代になると保津川の筏流しが風物詩に。山中には13詣りの「法輪寺」・小倉山に「天龍寺」などあり、 三船祭・万灯流し・紅葉祭が。














 

女性の活躍 樋口一葉ほか

2020-10-25 | syu散歩

 樋口一葉

「伊藤野枝」 1895-1923 婦人運動家・無政府主義者 上野高等女学校全科目首席で卒業 憲兵に虐殺
「上村松園」 1875-1949 日本画家 女性初の文化勲章受章
「神近市子」 1888ー1981 婦人運動家 女性政治家
「川上貞奴」 1871-1946 19世紀末の国際女優 16歳で日本橋の芸者に・伊藤博文も通いつめた
「清原 玉」 1861-1929 洋画家 イタリア彫刻家ラグーザーの助手から移住先のパレルモで花開
「下田歌子」 1854-1936 女子教育の発展に尽くした才女 歌人
「津田梅子」 1864-1929 江戸生まれ教育者、女子英語塾、今日の津田塾大
「樋口一葉」 1872-1896 多くの名作を残した。
「林芙美子」 1903-51  貧困のなかから詩情を育てた作家 その他多数。

「ラバウル小唄」
1)さらばラバウルよ またくるまでは しばし別れの 涙がにじむ 恋し懐かし あの島見れば 椰子の葉陰に 十字星
2)船は出て行く パラマの沖を 愛しあの娘のうちふるハンカチ 声を忍んで 心で泣いて 両手合わせて ありがとう

今日のニュースから 米大統領選トランプ氏とバイデン氏大激戦。