大田荘の倉敷地「尾道」は、現在の港町尾道の起源「大田荘」の倉敷地にある。
大田荘とは現在の世羅郡の大半を占めた広大な荘園で、その年貢の積出港として指定されたのが「尾道村」。
荘園として開発申請を政府に申請した平重衡は、「平清盛」の五男で源平合戦の最中「南都の焼き討ち」を行ったことで知られ、東大寺の大仏さんの首を最初に落としたと云う人物。
荘園領主はその領有を確実にするため中央の権力者を「本家」として名目的な領主としたが、平重衡が大田荘の本家と仰いだのは「後白河法皇」。
しかし、大田荘の運命は平家の滅亡と共に一転した。
源平合戦後、法皇は大田荘を源平合戦の戦死者を弔うための財源として、紀州の高野山に寄付した。
高野山領大田荘が成立する。
高野山と尾道がここでつながる。鎌倉時代、大田荘には「600町」の田圃があったとされ、、高野山にとっては正にドル箱的な荘園であったと云う。
その年貢は1800石に及び、尾道はその積み出し地として発展していったのである。
大田荘の最盛時には、甲山から尾道を結ぶ街道は人や馬で溢れ、秋には年貢を運ぶ船で港はごった返した。
鎌倉時代後期の文書によると、当時の尾道には千軒の家が甍を連ね、立ち並ぶ蔵には財宝が満ちていたと伝わる。(田口義之・備後の歴史と人物より)
鎌倉から南北朝時代を経て室町時代になると、尾道は港町として更に活気を呈するようになり、その原動力となったのは、それまでの荘園年貢の輸送に加えて、備後国守護を務めた山名氏による勘合貿易で、尾道は中国・明や朝鮮との貿易の拠点として多くの特産品が積み出され、大陸へと運ばれた。
「持光寺」は、鳥羽法皇の命により、御子・近衛天皇のご息災を祈願して作られた国宝・絹本著色 普賢延命像「延命像・仁平3年供養」
1153年、が伝わって、一度拝むと寿命が延びるといわれている。
寺の宗派は、浄土宗 ・創建 834年・本尊 五劫思惟阿弥陀如来。
慈覚大師により天台宗の寺として草創され、1832年、浄土弘伝の沙門善空頓了上人により浄土宗の寺に中興改宗され、
以来京都東山・禅林寺(永観堂)の末寺。
1702年、直空諦岩上人により、大仏師・法橋安清の作、1m5cmの座像・「五劫思惟阿弥陀如来」をご本尊。
「宝幢院・光明寺」は、山号ー清浄山・宗派ー浄土宗西山禅林寺派・本尊ー阿弥陀如来・創建年ー伝 834年 - 847年・開基ー伝・円仁。
「第12代横綱陣幕久五郎」の看板、本名ー石倉 槇太郎・ 建碑狂・負けず屋・鬼神 ・1829年ー1903年(満74歳没)・出身ー出雲国意宇郡、(松江)
身長、174cm・体重、138kg・所属部屋ー滝登部屋→朝日山部屋(大坂)・→北陣部屋(大阪)→秀ノ山部屋(江戸)
得意技ー寄り。成績ー幕内戦歴 87勝5敗17分3預65休・優勝ー優勝相当成績5回 。
文化財ー木造千手観音立像(国の重要文化財)、 絹本着色法然上人像、絹本淡彩楊柳観音像、絹本着色地蔵菩薩十王像、金銅阿弥陀如来及び両脇侍立像、金銅蓮花輪宝文置説相箱(県重要文化財)。
「吉備津彦神社」岡山県の末社と思われる。一の宮として親しまれている。
祭神ー吉備津彦命。由緒ー南北朝後の至徳年中、栗原八幡宮祠官 平田小太郎が宝土寺住職と共に祭事を奉仕した事に始まるとされている。
「宝土寺」境内にある。
「宝土寺」は、浄土宗の寺、本堂前には、開山上人融海の墓と伝わる古い五輪塔がある。
江戸時代に御所崎の沖に突出していた「浮御堂」の最後の住職・義順の墓。
寺の窯「無尽窯」で知られ、「手しごと市」は、春・秋の桜と紅葉の季節、境内にて4日間に渡り開催される「手づくり品の市場」。
本堂
「天寧寺」は、曹洞宗の寺、市街地中央部東土堂町、山号ー海雲山。
開山は普明国師と言われている。1367年に「足利義詮」が建立した国重文の塔婆(海雲塔)がある。
本堂左手の羅漢堂には五百羅漢の群像がズラリと並んでいる。五百羅漢堂は座禅堂にもなっていて、無料で体験することができると云う。
「ボタン」や「しだれ桜」のお寺として有名で、春になると多くの花見客でにぎわう。
天寧寺の三重塔は有名で、もともとは、五重塔。
江戸時代に傷みの激しい四・五層を撤去し三重塔に改築された。天寧寺三重塔(重要文化財、室町時代 嘉慶二年 1388年、本瓦葺、高さ25m)
天寧寺は、足利尊氏の遺志によりその子「義詮」が建立。普明禅師を開山とした曹洞宗の大寺院であった。
平山郁夫画伯の世界
足利義詮 1330-67 室町幕府2代将軍、尊氏の嫡男 新田義貞と共に鎌倉幕府倒す。朝廷は、無位無官の新田氏を知らずに大将の義詮を。実際は
新田氏の活躍大。義詮は、政務を息子義満に譲っている。
鉄を受けると元気になる(蘇鉄)茎にクギを打ち込まれているのであろう。 本堂
「艮神社」
尾道旧市内で最古ー806年創建。
祭神ー天照大神、須佐之男命、伊邪那岐命、吉備津彦命を祀っている。境内に生えている楠は樹齢900年と言われ、幹の周囲は約7m。(天然記念物指定)
この境内では、映画「時をかける少女」や「ふたり」のロケが行われたのをはじめ、最近ではアニメ「かみちゅ!」の舞台としても登場している。
参道右側は千光寺ロープウエイ山麓駅で、ロープウエイは、この神社の真上を通っており、境内入口には頭上を覆うようにロープウエイの保護網が掛けられていた。
ご神木の大楠を初めとする楠の巨木群が境内一杯に枝を張り出している。
境内社に、稲荷社、塞神社、恵美須神社・猿田彦神社・豊玉彦神社、代々七福稲荷神社、金山彦神社等11社。
806年の創建、古社で、次回の「千光寺」と創建年代である。古くは多氣遠宮・建遠神社と称し、素戔男命を祀る神社でしたが、
吉備津彦命が、976年に合祀され、鎌倉時代の初め・1200年頃、幣多賀宮との二社合祭とる。
現社名に変更されたのは、明治の社格で、村社に列している。
「妙宣寺」は、日蓮宗の寺。1354年、大覚大僧正妙寛の開基と言われている。
本堂の裏手には熱心な日蓮宗徒でもあった加藤清正公を祀る「清正堂」があり、春と秋には「尾道門前市」の会場となる。
手作りにこだわったお店で境内がにぎわう。
境内で、11月上旬〜3月下旬「冬桜」を楽しむこともできる。
「慈観寺」は、時宗の寺。1362年、慈観上人の開基と言われている。
4月末頃、庭には一面に牡丹が咲き“ぼたん寺”として親しまれている。
時宗のまち「尾道」は、市には時宗の寺院が六ヶ寺ある。全国的に見て、一つの町に、時宗寺院が集まっているのは珍しい。
尾道が商業都市として様々に人とモノが流通していた名残であると同時に時宗寺院には当時の「浜旦那(漁師をまとめたり、魚介類などを卸す商人)」の隆盛を垣間見る事の出来るものが多い。
漁師や浜旦那は時に危険なものとなる海を相手にするだけに神仏に海上安全を願った。
尾道市の観光案内図によると、古寺は、千光寺を含めて26寺が存在すると云う。次回は、千光寺公園になるが、その隣の西園寺山に、三重塔
持善寺・金剛院・大山寺・常称寺・西念寺の先に西郷寺・山脇神社・林芙美子の尾道東高校・浄土寺・海龍寺・向島に架かる「新尾道大橋」
瀬戸内しまなみ海道へ続く。
次回は、千光寺・公園へ。(ロープウェイ休業中で徒歩30分の登山)