syuの日記・気まま旅

気まま旅・syu散歩・富士山麓のこと、
気ままに記録しています。

雪の鳳来山~東照宮

2011-02-28 | 気まま旅
山全体が国の指定・名勝天然記念物に指定されている霊山「鳳来寺山」の一角に・・・. 鬱蒼とした杉木立の中に映える鳳来山 東照宮。

赤引温泉から151号線を10分ほどで湯谷温泉、ここから鳳来山パークウエイを走る。2.3日前に雪が降り、白く陽に映える山々が美しい。

東照宮方面に暫らく行くと駐車場、ここから15分ほど歩くと、鳳来寺と東照宮。
  

1648年4月、日光東照宮へ参拝し「東照社縁起」を読み、徳川家康の出生と三河国設楽郡の鳳来寺との縁に感銘を受けた江戸幕府3代将軍家光が、
鳳来寺の本堂修復と薬師堂の再建を発願、それにあわせて新たに東照宮の創祀を計画し、その後4代将軍家綱が太田資宗らに命じて慶安4年(1651年)に社殿が竣成。
9月17日に江戸城内の紅葉山御殿に祭られていた「御宮殿」と神体である「御神像」を遷祀したのが創まり。

遷祀に際しては盛大な遷座祭が斎行され、将軍家綱から、家康が関ヶ原の戦いで帯刀したという太刀が神刀として奉納されたほか、
諸大名からも太刀や灯篭などの奉納があったという。
以後、鳳来寺を別当寺とし、明暦2年(1656年)には幕府から社領470石の寄進があり、江戸時代を通して10回に及ぶ修理が幕府により行われている。

家康の父母である松平広忠と正室於大の方(伝通院)は、子のできないことを憂い、祈願のために夫妻そろって領内の鳳来寺に参篭したところ、
伝通院が東方より現れた老翁に金珠を与えられる夢を見て、間もなく家康を懐妊したという。

                     駐車場から東照宮への道、氷柱、寒気はは近来にないとのこと。 
  


 

  本殿
 

                             鳳来寺奥の院への階段
          

鳳来寺
  

鳳来山からの展望、標高695m
 

次回は長篠・設楽が原の戦い。  

一軒宿の赤引温泉

2011-02-26 | 気まま旅
弘法大師がこの地を訪れた時に発見したという伝説温泉

赤引温泉は、静かな山峡に旅情が漂う一軒宿、その昔、弘法大師が発見した弘法の湯が始まり。

赤引の名の由来は、大化の改新の頃より生糸が紡がれ、その品質は全国屈指の優秀品で、赤引糸として明治維新まで千余年間、
伊勢神宮へ奉納されていた。
この赤引糸を紡ぐ人も、この弘法の湯で体を清めてから作業をしていたから赤引温泉と呼ばれていたそうです。

  

豊橋市から新城市に入り、湯谷温泉に向かう県道沿いに立つ一軒宿。清流宇連川沿いにあり、
昼間は車がそこそこ通る県道も夜になると車の通りが一気に少なくなる、夜間は恐ろしいほどの静寂。

今夜は泊り客も少なく、珍しく2.3日前に雪が降り、寒い。こんな寒さは知らない。

 
玄関を入ると左手にフロント、右に階段を降りて決められた部屋に。
その途中の通路には熊の毛皮を始め、イノシシの剥製やらお祭りの道具まで、郷土色豊かな品々が飾られていた。
一つ一つを見るだけでも意外に面白く、たのしめる。 

由緒ある源泉も長い年月の中で枯渇したようで、「トロン温泉」の大きな文字の掲示があるのみ。天然トロン温泉ではなく、人工湯のようだ。
 
とはいえ、展望大浴場からは清流宇連川を眺めることができ、紅葉シーズンには鮮やかな色合いを木々が見せてくれるはず、
また家族風呂を使うこともできる。

宿泊した部屋、ここでは最高?                   部屋の前、自然がいっぱいの廊下
  



「みつまた」宿の庭に芽吹いている。淡い黄色の花が咲く、和紙の原料になるとのこと。

ミツマタはその枝が必ず三叉、三つに分岐する特徴があるため、三枝、三又とも書く。

春の訪れを、待ちかねたように咲く花の一つがミツマタ。春を告げるように一足先に、淡い黄色の花を一斉に開くので、サキサクと万葉歌人はよんだ。





山の幸を使った料理の数々はすばらしく、特に厳選されたイノシシの肉を使ったしし鍋は絶品。

清流と木々を眺めながら湯につかり、山の幸に舌鼓を打てば、日ごろの疲れなどどこかへ行ってしまうほどの充実した時間を過ごせる。
  
  

          




「阿寺七滝~百問滝」

宿から車で山道を30分、残雪があり普通タイヤではちょっと危ない。

巣山高原から流れ落ちる水は、阿寺川となり礫岩の断層崖を落下する。全長64mが7つの階段状を成し、滝壷に落ちる姿は霊水そのもの。 
         





歴史上の龍潭寺

2011-02-24 | 気まま旅
浜松西インターより25分、龍潭寺(りょうたんじ)は、静岡県浜松市北区にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は万松山。本尊は虚空蔵菩薩。

733年(天平5年)行基によって開かれたと伝えられ、当初は地蔵寺であったが1093年に井伊共保が葬られた際にその法号から自浄寺と改められた。

戦国時代の1560年(永禄3年)に戦死した井伊直盛がこの寺に葬られると、直盛の法号から龍潭寺と改められた。

関ヶ原の戦いの戦勝にともない、井伊氏が近江国に転封となってからも井伊氏の外護を受け、江戸幕府からも朱印状を与えられた。

  

  

  

宝物は見事、襖絵はなかなか見られないもの               金屏風
  

  
龍潭寺のある井伊谷は、古く「井の国」と云われ「井の国の大王」が納めた土地。平安時代の井伊氏の元祖共保は遠州の有力武士であった。「 
鎌倉時代源頼朝に仕え、南北朝時代は、後醍醐天皇皇子、宗良親王を井伊城に迎え北朝軍と戦った名門、24代井伊直弼は徳川家康に仕え、四天王の筆頭に出世・・・。

「龍潭寺」は、その千年余り、40代の祖霊を祀る井伊家の菩提寺として、世田谷区の豪徳寺、彦根龍潭寺と共にその歴史を今日に伝えている。


境内地一万余坪、御朱印地96石、堂塔6棟には、江戸時代の建造物(県の有形文化財)で、国指定が錦繍萬花台(金沢文庫)
他に金屏風、織田信長公遺品、井伊家拝領の品を多く所蔵している。

庭園は、江戸時代初期の池泉鑑賞式庭園で、小堀氏で二条城二の丸庭園の作庭の文化人、駿府城の作業奉行で、25代井伊直孝が依頼し造られた。
龍潭寺庭園は、国の名勝記念物、東海の名園。四季折々の変化に富んでいる。




井伊家墓地
  



「井伊谷宮」龍潭寺の隣にあり、境内広く、初詣など賑わう。

後醍醐天皇の第四皇子である宗良親王を祀る。鎮座地は、建武中興(建武の新政)の際に征東将軍として関東各地を転戦した宗良親王が、
元中2年に73歳で歿した地と伝えられている。社殿の背後に宗良親王の墳墓がある。

明治維新の際、建武中興に尽力した人々を祀る神社の創建が企画され、その中の一社として井伊谷宮の創建が決定した。宗良親王を輔佐した
井伊道政・井伊高顕の子孫である彦根藩主・井伊直憲が命を受けて明治5年(1872年)2月に創建し、同年6月に官幣中社に列せられた

神紋の李花紋は、歌人としても有名であった宗良親王の家集の題名に因むものである。

                                 水が凍っている
  

井伊直政(1561-1602)箕輪城主、直親の子、「井伊の赤備え」軍団組織(武田の旧臣)徳川四天王の一人、小牧・長久手の戦いで先鋒し池田氏撃破12万石拝領、
関ケ原の戦いで軍功により近江国佐和山18万石を与えられる。関ヶ原の戦いでの古傷が悪化し死亡。

井伊直弼(1815-60)桜田門外に散った大老。彦根藩主、直中の14男、安国の大獄を推進、日米修好通商条約は明治27年まで存続した。





五百羅漢の方広寺

2011-02-22 | 気まま旅
 「大本山方広寺半僧坊本殿」

浜松の方広寺は、山号(深奥山)といい、静岡県浜松市北区引佐町奥山にある。竜ヶ岩洞より10分。
臨済宗方広寺派を構成し、その大本山。
1371年、無文元選禅師が開基、この地がかつて訪れたことがある中国天台山方広寺の風景に似ていることから、この寺を方広寺と名付けた。

幾度となく火災にあって伽藍は消失したが、明治14年(1881)の大火の後、復興を遂げ、現在、大本堂、半僧坊真殿、開山堂、三重の塔など多数の建物を擁している。

境内各所には五百羅漢の石像が安置されており、これは拙巌和尚が、大蔵経を読んでいるとき、五百人の羅漢さまが仏法を護り、伝えるという記述を読み、
御開山無文元選禅師が、かつて中国天台山方広寺を訪れたとき、石橋にお茶を献じられたとき羅漢さま姿を現されたという故事にちなみ、
五百羅漢の石像を安置することを発願された。多数の方に寄進を願い、1770年、500体の羅漢さまが安置された。

          黒門
                

山門


鐘楼                           御神木                      
          

大本堂と宝物殿


「木造釈迦如来及び両脇侍像」観応2年(1351年)の作で、方広寺の開創よりも前に作られている。もとは関東の戦国大名佐竹氏の菩提寺にあったもので、
水戸光圀公の厚い信仰を受けて修復されたことが記されている。

「絹本着色無文元選像」 開山禅師の自画像。などがある。

  


雛飾り、つるし雛など多数の飾り物が本堂に飾られている。 


 
拝観コースは広い境内を約30分ほどで歩く事が出来る。今回は寒い日で人も少ない。
五百羅漢が並んでいたりちょっとさみしい。哲学の道、羅漢坂など名がついている。1時間ほど散策して次のコースへ。








五百羅漢が境内に。


 

神秘の地底ー竜ケ岩洞

2011-02-20 | 気まま旅
竜ヶ岩洞は、静岡県浜松市北区引佐町田畑にある東海最大規模の鍾乳洞。浜松西ICより30分。

赤石山脈の支脈に位置する標高359.1mの竜ヶ石山にあり、洞窟を形成する石灰岩は2億5千万年前に生成された秩父古生層と呼ばれる地層で形成されている。
総延長1046mのうち、400mが一般公開されている。

  

鍾乳石は、1cm成長するのに約100年かかると言われています。
洞窟内の生成物は、何千年・何万年もかけて成長したもの、一度こわれた鍾乳石は、元には戻らない。鍾乳石の保護・保存には、神経を使う。

                 発掘の模型
                 

シャンデリアの間、黄金の富士、石柱の宝などなど名のついた鍾乳石


くらげの滝登り


海生動物の殻からなる石炭岩は炭酸を含む地下水に溶けやすい。この石炭岩層を流れる水が岩を容蝕し、洞窟を形成する。
洞窟の天井から滴り落ちる水が、空気に触れた時、水が蒸発し残った炭酸カルシュウムが天井にはつらら石、下の床には石だけを作り上げていく。






神秘的な洞窟内は静寂な中、水の滴る音を聞きながらの見学は貴重なもの、ぜひ1度見ておくべきと思った。

次回は五百羅漢の方広寺へ。