彼岸の墓参りをかねて、久し振りに都内JR日暮里駅下車、西郷隆盛像の上野山、寛永寺の鶯谷、谷中の日暮里とウオーキング。
下町は歩くところ多く、今日はここまでだが、道灌山の西日暮里、飛鳥山の王子と赤羽に続いて行く。
私は、日暮里駅から、下町の荒川一帯の景色を見るのが好きである。坂の下には、作家芥川氏がよく通った羽二重団子と反対に御殿坂の佃煮屋がある。
左の脇に入ると谷中墓地となる。江戸時代は日暮の里で干歩の田圃を見下せりと云われ、高村光太郎は千歩の田圃の面影があったと書いている。
戦後、橋から筑波山が近くに見えたという。佃煮屋の裏に富士見町と云う町名が今でも残っている。
谷中に初音町がある、昔「夜店通り」と云われ、藍染川が不忍池に流れ、蛍がいたとか、春には鶯が鳴くので、「初音」と名が付き、鶯谷駅も同じで、
「関東の鶯は訛りがあっていけない、京都の鶯を取り寄せたりした」と記録が有る。
「駅前御殿坂」は、寛永寺輪王寺宮の隠居所が坂の先にあったために御殿坂と呼ばれるようになったと伝わる。
1829年の「御府内備考」に「感応寺後と本行寺の間より根津坂本の方へ下る坂なり」とある坂であるが、ただ、根津ではなく根岸だろうと言われる。
「谷中名水」・バケツリレー井戸由来碑。
日暮里駅近くにある。昔から深い繋がりによって危機を乗り越えてきた井戸の碑である。1945年東京大空襲で谷中住民隣組188余名がバケツリレーで
猛火からすっくたと云う井戸らしい。
「幸田露伴」第一回文化勲章受賞作家 1867-1947 生まれは、江戸下谷、「風流仏」で文壇に、「五重塔」谷中墓地の五重塔で今は無い。
男性的理想主義とロマンチシズムの特異な作家であった。作家幸田文は娘。
この住まいから五重塔は2~3分にあった。
幸田露伴屋敷跡、今は碑と樹木のみ。
「谷中」は、江戸文化の色濃く残る街、1624~43年に上野寛永寺の子院がここに建立されたのが谷中寺町の始まりで,現在では70数件にも及ぶ寺院が存在、
その後江戸府内再開発によって神田辺りの寺院が谷中に移転し,寺の門前に町屋が形成され,参詣客などによって行楽地となった。
1868年の幕末戦争の時には多くの寺院が焼失され、その後再建、関東大震災でも戦災でも被災が少ない。
今でも、昔ながらの佇まいが残っている、ガイドブックを片手に街をぶらぶらと散策する人が多い。
谷中霊園は、1872年に、旧天王寺境内の一部を官地として、それに天王寺墓地,徳川墓地の一部などをあわせた谷中墓地が始まりである。
東京都の公共墓地として発足し、東京の三大霊園のひとつに数えられている.広さは10万m2,墓地使用者は6000余りあるという。
徳川慶喜は、この墓地で眠っている。
「大名時計博物館」は、谷中の中央住宅街にある。江戸時代に大名お抱えの御時計師達が、長い年月をかけて手造りで製作した時計。
製作技術、機構、材質などの優れた「大名時計」は美術工芸品で世界に類のない日本独特の時計。
時刻はヨーロッパで使用された、24時間の定時法の時刻と異なり、大名時計は不定時法を用いた時計で、夜明けから日暮れまでの昼を六等分、
日暮れから夜明けまでの夜を六等分した時刻で表示され、夜明けと日暮れは季節によって時間が変わるため、昼と夜の長さが変わり、
一時(いっとき)の長さが変わる時刻となっている。これらの江戸時代の大名時計を展示した、専門の博物館。庭園も素晴らしい。
創立110年伝統校「谷中小学校」は、明治35 谷中真島町・旧高浜小学校で開校。38. 高等科併設。40. 尋常科が6年制、高等科を廃止
大正12. 9. 1 関東大震災 被害僅小 避難者900名収容。一時上野公園仮校舎に収容。11. 新校舎落成 工費 252,056円 。
昭和16 校名を東京市谷中国民学校と改称。18. 校名を東京都谷中国民学校と改称。19. 3学年以上を戦時集団疎開、男子は福島県河沼郡柳津、女子は同県北会津郡東山
20. 3. 4 校舎被爆、講堂、木造校舎焼失。 20.12.20 疎開終了。現在110年の歴史ある伝統校
「いせ辰(江戸民芸小物)」は、谷中三崎坂沿いにある江戸小物屋。所狭しと千代紙の絵柄を元にした小物などが並べられている。
団子坂からすぐのところで解り良い。今日も外人さんの客が、和紙に英語で書かれた千代紙に関する薀蓄を織り込んでくれる。風呂敷もある。楽しいお店であった。
「大福帳」は、1864年創業の江戸千代紙の老舗。三崎坂の途中にある。千代紙で作られた羽子板のような看板と、大福帳を形取った看板があった。
浮世絵の手法を用いた多色刷りまであり、江戸時代と同手法の美しい多色木版刷りまである。歌舞伎や歌留多、玩具等を描いたもの等で多種見る事が出来る。
地下鉄「千駄木」を出ると「団子坂」、昔、この道を、「藍染川」の名残りでへびのようにクネクネしたまちで、明治末まで、この川でアサリ・シジミが
採れ小魚が釣れたという。
ヘビ道の交差点、その先を右に曲がると指人形が見られる「笑吉」この指人形 面白いらしい。本日休業。
露木光明氏の「指人形 笑吉」は、露木さんの手に掛かれば無限に増え続け、目標は五百体(五百羅漢)とか。
人形の購入希望者が増え、評判も上がり、日々てんてこ舞いの状態らしい。