syuの日記・気まま旅

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気ままに記録しています。

芭蕉と田原の滝・都留市

2011-06-30 | 富士山麓日記
富士急行線 十日市場駅近く、国道139号線上。都留市の上谷地区と東桂地区を結ぶ橋から見ることができるのが田原の滝。

清流桂川が勢いよく滝壷を打つさまはまさに絶景。この滝は地学的にもたいへん貴重な滝とされている。

 


江戸時代、上州総社から谷村城主として転封した秋元氏は、家臣の高山、林、萩谷らを奉行とした、田原の滝の上から谷村に至る約14㎞の谷村大堰を築いた。
現在の家中川(かちゅうがわ)、寺川(てらかわ)、中川(なかがわ)。

大堰は後に延長され禾生用水となり、さらに五ヶ堰として大月市猿橋まで潤して、郡内における最大の穀倉地帯を生んだ。今も激しく流れている。

  



松尾芭蕉が 『勢ひあり 氷消えては 瀧津魚』と詠んだ田原の滝。

滝の上に石像と歌碑があり小さな公園となっている。


金井神社 詳細不明 この辺り神社、寺など多い。
  

富士急行 谷村町駅(中央高速谷村Pのあたり)              谷村城跡
  

御嶽神社 詳細不明 森深く森閑とした神社 139号線を都留市駅で左折地点にある。


次回は明見湖へ。 

桂林寺のスイレン

2011-06-29 | 富士山麓日記
富士山に近い、都留市金井にある「桂林寺」スイレンが咲いているというので見に行った(6/19)。

本堂裏の池に朝咲いたスイレンが珍しい。テレビなどでも放映しているが、見学者はいなかった。
ゆっくり楽しめるようベンチなども用意されている。

 




「カラー」も咲いている。




この寺院の始まりは平安時代。当時この地を行脚していた空海が、桂川の美しさに感動し、しばらくこの地に足を留め
仏倉を建立し、
空海自らが彫刻した地蔵を安置したのが始まり。

時代は鎌倉・室町・南北朝と流れ、郡内は小山田氏が治めるようになり、明徳年間(1390~94)当時の郡内領主、
小山田信澄が鎌倉建長寺に住されていた格智禅師を開山に請じ、当寺を創建。
  
戦国時代に入り武田が滅ぶと、小山田家も断絶し、寺も荒廃。後に安山宗泰和尚が入寺し、領守加藤作内光泰公、
鳥居元忠公、福井彦左ヱ門公より寺領を受け、荒廃した寺を復興させた。
  
元禄15年、幕府の調査による当寺の末寺は28箇所を数え、小本山としての格を有した。

富士急行都留市駅                        本堂  
  

金井の地名となった池 叶が池
  

白丸ダム付近散策

2011-06-27 | syu散歩
暫らく渓谷美を楽しんで歩いていると「白丸ダム」に出た。ダムは1963年(昭和38年)東京都交通局が白丸狭窄地帯と呼ばれる多摩川断崖の谷に建設した。
貯えた水は下流の御岳にある多摩川第三発電所に送水し、最大1万6,400kwの電力を発電させる。

2001年(平成13年)国土交通省が魚道を新設し、多摩川に生息する魚の往来が出来るようにした。
また、白丸ダム直下に白丸発電所が建設され、観光のための放流水を利用して1,100kWの電力を発電できるようにした。

JR青梅線・鳩ノ巣・白丸駅下車、徒歩10分。白丸湖はエメラルドグリーンの水が壮観、東西に細長い人造湖である。

上流には小河内ダム(奥多摩湖)があり、その直下にも東京都交通局の多摩川第一発電所がある。
白丸ダムが東京都交通局による発電用ダムであるのに対し、小河内ダムは上水道用水確保を主目的とした東京都水道局のダム。

白丸ダムを真下にみる


  


「白丸魚道」
白丸ダムによって遮断された、多摩川を遡ってきた魚を通すためにつくられた魚道がある。2002(平成14)年完成。
高低差27m、長さ330メートルの日本最大級の魚道。遡った魚はウグイ、ヤマメ、イワナなどが確認されている。

今日はシャッターが下りていて中に入ることはできなかった。

  

    



「白丸トンネル」は、R411線(青梅街道)延長:126m、平坦もしくは少し下り、歩道有、白丸駅を過ぎたあたりにあるトンネル。
歩道にはガードレールも有り、安心して歩ける。トンネルを出ると「道の隅に「馬頭観音」の石仏が。

馬頭観音、.六観音の一つ。サンスクリット名はハヤグリバ。観世音菩薩の化身で、頭上に馬頭をいただき、
さながら転輪聖王の宝馬が駆け巡って四囲を威圧するような姿をその特徴とし、その形相から馬頭観音の名称がある。
この観音は、生死の大海に四魔を降伏する勢いを馬で表したものという。
 
白丸トンネル                         馬頭観音
  

終点一つ手前の無人駅「白丸駅」単式ホーム1面1線の地上駅で、自動券売機が1台設置されている。駅のすぐ脇に踏切があり、両端はトンネルではさまれている。

日本画家河合玉堂が好んで散歩した駅。

  

次回は御嶽方面へ。

鳩ノ巣渓谷

2011-06-25 | syu散歩
滝を後にして杉林の中を進む。 4分ほど行って左手へ登る道を見送った先に小さな橋があり、そばには「大多摩ウォーキング・トレイル」の案内板。この橋を渡り、正面の杉林を登る。この辺りはホタルの生息地になっているようだ。

源氏ボタルの生息地、自然を大切に! 川をきれいにの看板有。
「大名沢」に出た。杉林の中の道をジグザグに登る。民家が見えてくると、その先の分岐に道標、それによると、大名沢という。

鳩ノ巣まで20分、御岳山まで3時間。この道を行くと御岳山へ登っていける。「あと7分は急な坂です」と書かれていて、もうひと頑張り。
「 松の木尾根」山腹の道を10分ほど上る。



  

  

「雲仙橋」
やがて多摩川に架かる雲仙橋を渡り、橋の上からは、深い渓谷を流れる多摩川を見下ろせる。
雲仙橋は、総重量が2トンをこえる車輌の通行を禁止されている。 雲仙橋を渡って左へ曲がる。

  


「鳩の巣小橋」
水神様から戻って先へ進む。ギャラリー喫茶「ぽっぽ」を過ぎると、吊り橋の「鳩の巣小橋」がある。

鳩ノ巣は、明歴3年(1657)正月19日の、江戸に振袖火事と呼ばれる大火があったとき、幕府の老中松平伊豆守信綱は、江戸の町の復興と江戸城の
一部を修理するため、用材の提供方を時の奉行松波筑後守正春を通じて江戸の大材木商太田某に命じた。太田某は、氷川・日原・丹波山等に良材を
もとめてこれを伐採し、多摩川の流水を利用して運搬することとした。このため多摩川沿岸には、各地に人夫を治める飯場小屋が建てられた。

現在の鳩の巣渓谷にあった魚留滝(今はない)の上にも飯場小屋が建てられていたが、飯場に祭った水神社の森に二羽の鳩が巣を営んでいて、
朝夕餌を運ぶ有様が睦まじかったので、人々はこれを霊鳥として愛護した。この飯場は、鳩の巣飯場と呼ばれて道ゆく人々の目標にされる様になり、
これが地名となって今日に至った。 -奥多摩町史より-


    


この多摩川は羽村から玉川となる。
江戸の大水道「玉川上水」は、江戸幕府が1653年の工事スタート、多摩川の水を引き込むことが計画され、大工事に、玉川庄右衛門、清右衛門兄弟が、
中心として進められた。高低差90m、約43Kmを工期8か月で完成させている。現在でも清らかな流れをとなっている。

    

次回は白丸ダム方面へ。

古里から渓谷散策

2011-06-23 | syu散歩
梅雨空が続く日々、1日曇りながらしのぎやすい日に、奥多摩方面のウオーキング。今回は古里から白丸、御岳、沢井駅までを歩く。

東青梅駅からは単線となり、青梅駅まで住宅密集地の中をゆっくりと通り抜けて行く。このあたりから、遠くに聳える奥多摩の山並みが進行方向に見える。
御嶽駅を過ぎると、山並みの中に入り、200m級のカーブも非常に多くなる。ローカル色が強くなり、山並みが一望できる。多摩川の渓谷風景も望める。
駅周辺の宅地の規模は小さく、軍畑駅や川井駅は、カーブの途中にホームが設けられているため、車両との隙間が大きく開いている箇所が多い。

鳩ノ巣 里の遠景


1603年、江戸城築城のために、青梅の成木村で採れる石灰を運搬する道路として、大久保長安の指揮の下に整備された。
当時の名称は成木街道であった。しかし、江戸時代中頃には絵図や紀行文などに「青梅街道」の記述が見られる。

内藤新宿で甲州街道から分かれ、青梅、大菩薩峠を経由し、甲府の東にある酒折村(現:甲府市酒折)で甲州街道と再び合流し「甲州裏街道」とも呼ばれた。
道程で甲州街道より二里短く関所が無いため、庶民の旅客にも多く利用された。但し、塩山近くに萩原口留番所があり小規模な関所が実質存在した。
 
「お山の杉の子」  吉田(この辺りに疎開していた)作詞、サトウハチロウ補作
 むかしむかしの そのむかし  椎の木林の すぐそばに  小さなお山が   あったとさ あったとさ
 まんまる坊主の 禿山は  いつでもみんなの 笑いもの  「これこれ杉の子起きなさい」
 お日さまニコニコ   声かけた 声かけた・・・・・。


青梅線「古里駅」は、1944年(昭和19年) 国鉄青梅線御嶽 - 奥多摩間開通と同時に開業している。
                                  
                                 古里 無人駅
  

山また山が続く、御嶽駅から、麻生山788m。日の出山902m。御岳山929m。大塚山902m。城山760m。天地山1047m。大岳山1287m。
本仁田山1225m。赤久奈山924m。ズマド山890m。惣岳山756m。等に囲まれた渓流「多摩川」小さな古里駅下車。
寸庭橋を目指した。ここから本格的な山道に入る。


    

「寸庭橋」は、
万世橋 の上流約1.3kmにある。 本橋の以前は吊り橋が架けられていたそうで 、その名残りの門構えが約30m下流に残っている。

所々に小さな滝 人は全然歩いていない        寸庭橋
     

寸庭の散策ハイキングコースを、「大多摩ウォーキング・トレイル」と名付けられたこの遊歩道は白丸駅の近くの「数馬峡橋」から寸庭橋の先の
「小丹波」まで続いている。遊歩道の全長は4.4km。
ここを通れば、山道で国道を利用せずに歩くことができる。鳩ノ巣渓谷の東にある雲仙橋を渡り、道なりに舗装路をまっすぐ進む。鳩ノ巣渓谷を眺めながら。

深い森の中 山道には石仏、奇岩や山野草がひっそりと。
    

  

杉林               里が見える
  

次回は鳩ノ巣渓谷へ。