平和条約妥結」-吉田茂全権演説から
第一、領土の処分の問題であります。奄美大島、琉球諸島、小笠原群島その他平和条約第3条によつて国際連合の信託統治制度の下におかるることあるべき北緯29度以南の諸島の主権が日本に残されるというアメリカ合衆国全権及び英国全権の前言を、私は国民の名において多大の喜をもつて諒承するのであります。私は世界、とくにアジアの平和と安定がすみやかに確立され、これらの諸島が1日も早く日本の行政の下に戻ることを期待するものであります。
千島列島及び南樺太の地域は日本が侵略によつて奪取したものだとのソ連全権の主張に対しては抗議いたします。
日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアも何ら異議を挿さまなかつたのであります。ただ得撫以北の北千島諸島と樺太南部は、当時日露両国人の混住の地でありました。1875年5月7日日露両国政府は、平和的な外交交渉を通じて樺太南部は露領とし、その代償として北千島諸島は日本領とすることに話合をつけたのであります。名は代償でありますが、事実は樺太南部を譲渡して交渉の妥結を計つたのであります。その後樺太南部は1905年9月5日ルーズヴェルトアメリカ合衆国大統領の仲介によつて結ばれたポーツマス平和条約で日本領となつたのであります。千島列島及び樺太南部は、日本降伏直後の1945年9月20日一方的にソ連領に収容されたのであります。
また、日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島も終戦当時たまたま日本兵営が存在したためにソ連軍に占領されたままであります。
その2は、経済に関する問題であります。日本はこの条約によって全領土の45パーセントをその資源とともに喪失するのであります。8,400万に及ぶ日本の人口は、残りの地域に閉じ込められしかも、その地域は、戦争のために荒廃し、主要都市は焼失しました。又、この平和条約は、莫大な在外資産を日本から取り去ります。条約第14条によれば戦争のために何の損害も受けなかつた国までが、日本人の個人財産を接収する権利を与えられます。斯くの如くにしてなお他の連合国に負担を生ぜしめないで特定の連合国に賠償を支払うことができるかどうか、甚だ懸念をもつものであります。
しかし、日本は既に条約を受諾した以上は、誠意を以て、これが義務を履行せんとする決意であります。私は、日本の困難な条件の下になお問題の円満な解決のためになさんとする努力に対して、関係諸国が理解と支持を与えられることを要請するものであります。
平和は繁栄を伴うものであります。
しかし、繁栄なくしては、平和はありえないのであります。根底から破壊された日本経済は、合衆国の甚大なる援助をえて救われ、回復の途に進むことができました。日本は、進んで国際通商上の慣行を遵奉しつつ世界経済の繁栄に寄与する覚悟であります。そのために既に国内法制を整備致しましたが、今後もその完成につとめ、且つ、各種関係国際条約にすみやかに加入して、国際貿易の健全なる発展に参与する覚悟であります。
この平和条約は、国際経済の面において、このような日本国民の念願を実現しうべき途を開いてはおります。しかし、この途は、連合国側で一方的に閉ざしうることにもなつています。これは、平和条約の本質上、やむを得ないことかも知れませんが、われわれ日本国民としては、すべての連合国が現実にこの途を最大限に開かれるよう希望してやまないのであります。
私の演説を用意してから、今朝インドネシア外相から私に3つの質問をされたことを承知しました。質問は、他の代表もていきされた疑問を解明しようとするものであります。答は「しかり」であります。けだし、それは条約第14条及び第9条の公正な解釈だと思うからであります。この答がこの条約の下における日本の善意に対する他の国の疑問を解決するにたることを希望します。
その3は、未引揚者の問題であります。この平和条約の締結は、34万に達する未引揚日本人の運命について、日本国民の憂慮を新にするものであります。
私は、すべての連合国が国際連合を介し、または他の方法によつて、これらなお抑留されている日本人のすみやかなる帰還を実現するために、あらゆる援助と協力を与えられるよう、人道のために切望してやまないのであります。引揚に関する規定が特に起草の最終段階において平和条約に挿入されたことは、日本国民の甚しく満足とするところであります。
上述のような憂慮すべき事由があるにもかかわらず、否、その故にこそ、日本は、いよいよもつて、この平和条約を締結することを希望しているのであります。日本国民は、日本が平等な主権国家として上述のような懸念を除去し、諸国の不満疑惑等を解消するために現在よりも大なる機会をもつことを期待するのであります。
ー吉田茂資料よりー
N君が、自転車屋に行こうと云いだした、なぜと聞くと割りばしで鉄砲をつくるという。
自転車の空気口の金具を貰いに行こうというのだ。
自転車屋へ行くと簡単に5~6個もらえた。私も彼の作るのを見よう見まねで作業した。
作り方は簡単で、割りばしをピストルの形に糸で組み固定させ、その上にゴムで金具を取り付け、ゴムでバネ仕掛けにしたもの。
すぐでき駄菓子屋で火薬(運動会で使うもの)を買って、空気銃の球を歯で噛み、火薬を詰め、板に打ち込んだ。
驚いた、板を貫通していた。
それが、だんだんエスカレートし、彼が、火薬をぎゅうぎゅう詰め込んだ。するとババンと大きな音と同時に彼の手から血が噴き出した。
数人の友達と彼を病院に連れていき、学校で大問題になった。当然この遊びは中止された。
「LPレコード発売」
シンホニー・ローヤル・アメリカン・ユニバーサル・グローブなどのレーベルによる片面盤(SPレコード)が。
大正に入り、片面盤レコードに代わり、両面盤レコードが一般化。
日本蓄音器商会・ビクターのレコードは「ニッポノホン」というレーベル名に統一され、価格は75銭に引き下げられたと云う。
女優・松井須磨子の「カチューシャの唄」が全国に流行しており、これが わが国の流行歌第1号・以後、SPレコードの時代が続くが、SPレコードは回転数が78回転で溝も太かったため、片面に約5分しか収録できなかった。
ビクターは、昭和26年、初のLPレコードを発売。第1号LPのコンテンツは「ブルノー・ワルター指揮=ベートーベン交響曲第9番」で、
価格は2300円の高値でも売れたと云う。ー資料よりー
ハーモニカ
2年生の初めころ、となりのY君のハーモニカが無くなったと大騒ぎに、その犯人にされたのだ。
Y君とは、仲良しであったが、大喧嘩に、彼から前歯1本折れてしまった。見覚えのない犯人にされ前歯まで折られ悔しくて悔しくてたまらない。
早速、仕返しのため、庭に棒を立て荒縄で空手の練習をした。
結果は、Y君の勘違いで謝ってきた。