syuの日記・気まま旅

気まま旅・syu散歩・富士山麓のこと、
気ままに記録しています。

今は梅が満開 神代植物公園 桜は4月

2019-02-28 | 季節だより

関東平野の南西に広がる「武蔵野台地」、南に多摩川・北東に荒川・北西に入間川に囲まれ、菱形の地形をしている。
これは、水系によって扇状地がつけれて、その後、地盤が隆起し、その表面に富士山の火山灰土の関東ローム・赤土が堆積した。
武蔵野には、「はけ・崖」と崖沿いに「湧水」に恵まれ、古くから水田が開けている。
大岡昇平の昭和25年に「はけ」を舞台にした「武蔵野婦人」有名である。大岡は、日本地質学会委員。
「月の入るべき山も無し」縄文時代は、照葉樹林のうっそうとした森林であった。クスギ・ケヤキ・アカマツなど雑木林、国木田独歩「武蔵野」で
・・・今の武蔵野は、「林」である。と書いている。

都立「神代植物園」は、
    昭和36年開園 面積 約40万m2 約4500種類10万株の草木を管理している。


2月中旬撮影
花達は、冬眠中だが、椿・マンサク・梅・カンヒザクラが。



マンサクは、沖縄を除く各地で自生する「我が国固有種」-黄色の花弁を。



ツツジ園・自然林・萩園・桜園・桃園・バラ園など28の花園が。「バラ園は、500種6000本・5月中旬」



「大温室」
熱帯花木室ーすいれん・ラン・小笠原植物・ベゴニア・サボテンが。
                          1300種以上


















うめ園では、7~8分咲き。













「カエデ」
おおよそ「128種存在」
その多くはアジアに自生している。他にヨーロッパ、北アフリカ、北アメリカ・1種類(Acer laurinum)のみが南半球に存在。

日本の「カエデ」として代表されるのは、イロハモミジ ・福島県以南の山野に自生しているほか、古くから栽培も行われている。
園芸種として複数の栽培品種があり、葉が緑色から赤に紅葉するものや最初から紫色に近い葉を持ったものもある。
一般に高木になる。
落葉樹が多く落葉広葉樹林の主要構成種であるが、沖縄に自生するクスノハカエデのように常緑樹もある。
葉は対生し、葉の形は掌状に切れ込んだものが多く、カエデの和名もこれに由来する。
しかし、三出複葉(メグスリノキ)や単葉(ヒトツバカエデ、チドリノキ、クスノハカエデ)のものもある。
花は、風媒花で、花弁は目立たなく小さい。
果実は、片翼の翼果が二つずつ(稀に三つのこともある)種子側で密着した姿でつく。
脱落するときは空気の抵抗を受けて回転し、滞空時間を稼いで風に運ばれやすくなっていると云う。







入園有料65歳以上は無料 休園 月曜  9.30~16.00

調布 深大寺 我が家の愛猫が眠る 

2019-02-25 | 季節だより

東京都調布市は、都のほぼ中央部・武蔵野台地南部で、古代朝廷に納める「調・税のカラムシを原料とした布」を生産しておいたことから地名に。
明治26年東京府に編入している。
段丘下の湧水は、深大寺湧き水と野川・仙川・入間川の水源となっている。
江戸時代は、甲州街道、布田5宿がおかれた。稲田堤の桜名所ー1940年から宅地造成が急速に進み「近郊住宅都市」に。
1964年東京オリンピックの選手村・軽飛行場などがある。

「深大寺蕎麦」
江戸時代、深大寺北の台地は、コメの生産に向かないため、小作人は、「そば」を作り、米の代わりに「そば粉」を寺に納め、寺はそばを打って来客をもてなしたので、深大寺蕎麦有名になった。



「深大寺蕎麦」を有名にしたのが、元禄年間総本山・上野寛永寺の公「辨法親王」献上し、賞賛され全国大名に広く推奨された。





「大正寺」新義真言宗寺院・三栄山と号す。
廣福山栄法寺と、紫雲山寶性寺、三栄山不動院の3ヶ寺が大正4年に合併、三栄山大正寺として創建、栄法寺は、当寺境内にもとよりあり、現在は墓域となっている。
布多天神社の別当寺を務めていたといい、現本堂は、栄法寺の本堂を、観音堂は不動院より移設したもの。

観音堂は多摩川三十三観音霊場8番札所、
寺の恵比寿神は調布七福神の恵比寿神となっている・多摩八十八ヶ所霊場5番札所に。



                       布多天神


                      瑠璃薬師如来


「深大寺」 天台宗の寺・本尊は、阿弥陀如来像・733年「満功上人」開基、当初は「法相宗」-859年「天台宗」改宗。
本堂西に「元三大師堂」は、開創時の本尊堂(重文)

重文の銅造釈迦如来像は、1909年発見された。



                         (国宝)仏像


                        深大寺元町 マップ


寺にある句・歌碑
 
高浜虚子句碑 遠山に 日のあたりたる 枯野哉       松尾芭蕉句碑 象潟や 阿免尓西施が 合歓能花
林光雄歌碑  この寺に 遊ぶ志者しを 清や可尓 あら志免むとや 梅さき澄免る     など多数ある。

                          参道


                          参道


深大寺の縁結び
733年、満功上人開山され、その寺名は、水神の深沙大王に由来し、満功上人父「福満と云う渡来人」で、この地の豪族「右近長者」の美しい娘と
恋に落ち、娘は両親の反対にあう。二人の仲はさかれ、娘は湖の小島に隔離。
「福満」は三蔵法師がインドに赴いたとき、福満は、「流沙河で救われたと云う故事を思い出し」 深沙大王に祈願したところ霊亀が現れ、島の娘の処へ連れて行ってくれたと云う。娘の両親は二人の仲を許し、生まれたのが「満功上人」と云う。
故郷の武蔵野に「深大寺」建立した。
                      桃山時代の遺構をとどめる 山門


                         深大寺本堂 大正時代再建


江戸時代、徳川家康から50石が与えられている。
                       国宝  釈迦如来像


                    動物霊園 我が家の「愛猫」が眠る




                         動物供養塔


次回は、隣接の「神代植物園」へ

綱吉側用人・柳沢吉保と六義園

2019-02-22 | 季節だより
千駄木「六義園」
江戸時代、この付近は、植木の産地として知られていた。
飲料水を引き庭園を造ったのが、5代将軍徳川綱吉の側用人「柳沢吉保」 吉保自身が撰した「六義園記」-日本風にむくさのそのーと読ませている。
文学趣味豊かであったようだ。園内の「藤代峠」からの眺めが絶景である。

「柳沢吉保」 1658-1714  5代将軍に仕えた側用人
綱吉館林藩主時小姓として仕え、綱吉将軍と共に幕臣に登用され、老中まで累進した。吉保の嫡男「吉里」の父は、綱吉だったと伝わる。
ここで、隠居生活を送っている。




本郷台地東斜面・東部に不忍通りが、JR駒込駅に近い。



豊島区の駒込地区、
江戸時代に園芸の里として発達し、染井通り一帯は植木屋が集まって住んでいた地域。
染井村は花の名所として都びとに知られた存在で、一瓢を肩にかけて遊ぶ者が多かったと云う。
江戸初期、津藩・藤堂家の下屋敷に仕えていた初代・伊藤伊兵衛が殿様の摘んで捨てた草木を拾って培養し、植木屋を始めたのが最初とされ、
明暦2年の1656年、薩摩から運ばれた「キリシマツツジ」の栽培に成功し、「ツツジは染井」、「キリシマ伊兵衛」と呼ばれるまでに。
柳沢家下屋敷・六義園、藤堂家・建部家下屋敷・染井霊園・前田家下屋敷・板橋区加賀町などがあり、植木屋の需要が高かったのが園芸が盛んになった要因とも言われている。
享保12年の1727年、伊藤伊兵衛政武の代には、八代将軍吉宗が伊兵衛の芸戸園(植木園)を訪ね、キリシマツツジなど二十九種の草木を買い求めたという記録が残されている。




「染井の桜」
江戸時代、豊島区駒込・巣鴨付近にあった「染井村」の植木職人によってつくられ、その淡い美しさから全国的に人気となり、いつしかその桜は、
染井村で生まれた桜ということから、
「ソメイヨシノ」と呼ばれる様になった。



六義園ーJR駒込駅南口 入園有料 毎週月曜休み


                    入口 赤レンガ塀が続く


「入口正面に 枝垂れ桜の巨木が」
枝が柳のように垂れ下がって生えている桜の総称。
エドヒガンの変種が多く、様々な品種があり、ソメイヨシノよりも1週間ほど早く、ピンクや赤、白の花を枝にたくさん付ける。
糸を垂らしたような花姿をすることから、別名イトザクラとも呼ばれる。


















「躑躅・ツツジ」
ツツジの名は、一般的には「サツキ」を除く、半常緑性の「ヤマツツジ」の仲間(ツツジ属ヤマツツジ節)の総称として使われるが、落葉性のレンゲツツジや常緑性で葉にうろこ状の毛があるヒカゲツツジなどを加える事も、ヤマツツジの仲間は、アジア東部に約90種が分布しており、日本には花の美しいヤマツツジやキシツツジ、モチツツジ、サツキなど17種ほどが自生する。
日本では、ツツジ属の中に含まれるツツジやサツキ、シャクナゲを分けて呼ぶ慣習があるが、学術的な分類とは異なっている。
日本に現存するツツジの中で最も古い古木は、樹齢800年を超え1000年に及ぶ。
名前の由来は、「羊この葉を食せば躑躅(てきちょく)として斃(たお)る」(和名抄)からきていると云う。
躑躅とは「あがく、あしずりする」という意味で、「羊がこの花を食べると倒れてしまう」という意味・ 有毒だと認識しやすいようにこの名が付いたと云われ、 最もツツジの中で毒を持つのはレンゲツツジのみであり、当初は同じツツジ科で毒を持つ馬酔木(アセビ)に「躑躅」の名が当てられ、次第にツツジ類全般を「躑躅」とするようになったと云う。
















赤ひげ診療譚で有名な小石川養成所 2

2019-02-20 | 季節だより
東京都文京区小石川は、区の中南部、小石川台地と旧千川上水にまたがる地域、1889年東京市に編入・昭和22年本郷区と合併し「文京区」に。
東に「白山通り」・南に「春日通り」・台地上に「伝通院」と寺が多い。
大正期の「太陽のない街」徳永直が描いた労働闘争の町が小石川・多くの文士・芸術家が移住している。出版印刷業の商工業地域でもある。
小石川植物園は白山で、元5代将軍「綱吉・館林藩主」時代の下屋敷で「白山御殿」とも呼ばれた。徳川綱吉死後、幕府の御薬園に1721年。
1722年小石川養成所が、1877年の明治10年現東大の植物実験地とな多。

徳川綱吉 1646-1709 5代将軍(家光の4男)35歳で将軍に  犬公方
就任当初は名将軍・「生類憐みの令」を出して陰口で犬公方、儒学に親しんだが自身の戌年で大事に扱えば後継ぎに恵まれると妄設を信じたが世継ぎは生まれなかった。兄の綱重の子を養子に迎えている。

青木昆陽 1698-1769 農民を飢えから救った甘藷の普及に尽力した。「甘藷先生」と呼ばれた。
江戸の魚問屋に生まれ、京都で儒学・本草学を学んだ。8代将軍吉宗の内旨を受けオランダ語の研究行った。学興隆の基礎を築いた。
関東地方の甘藷は盛んに栽培され、特に伊豆大島産は絶品と云う。


平瀬作五郎 1856-1925 明治・大正の植物学者
福井藩士の子、1996年ここ植物園で「イチョウ精子」を発見。



            昭和44年本郷構内の「旧東京医学校 本館」を移築。


                         日本庭園


山本周五郎著「赤ひげ診療譚」で有名な小石川養生所」。
その養成所は、長崎から江戸へ帰ったばかりの青年医師保本登。
小石川養生所へ呼び出され、そのまま養生所で働くことになる。
しかし登は、許嫁の天野ちぐさに裏切られたこと、御目見医師に任じられる約束を反故にされたこと、長崎で得た最新の医学知識を医長の新出去定に全て無条件で差し出すことなど、全てが不満だった。ささやかな抵抗として登は、養生所の規則やそれを決めた新出に逆らい続ける。
それでも飽き足らず、登は養生所で働く娘・お杉に愚痴をこぼし、次第に彼女と親しくなっていく。
お杉は養生所の一角に監禁された狂女・おゆみを世話する女中だった。
登は医師としておゆみに興味を持つが、殺人癖があり情事の最中に相手の男を殺すおゆみは、新出以外の者が診察できる状況ではなかった。
そんなある晩、お杉は「新出先生の見立ては間違っている」と、おゆみの身の上を語りだす、、、、。
























小石川植物園 300年前徳川幕府が小石川薬園として  1

2019-02-18 | 季節だより

正式名称は、「国立大学法人東京大学院理学系研究科付属植物園」ー植物学の研究・教育実習施設。
約300年前の1684年、徳川幕府が当地に設けた「小石川薬園」。
面積48.880坪で地形の変化に富んで、我が国近代植物学発祥地・今では、標本約70万点・図書約2万冊などいろいろ活用されている。
栃木県日光市に「日光分園」がある。「公開は4月15日から11月まで」

1735年ー青木昆陽、甘藷試作・1896年平瀬、イチョウの精子発見・1952年温室木造で復旧・・・。

ソテツ(精子発見)
生育は遅いが成長すれば樹高は8m以上にもなり、その際でも移植が可能なほどに強健である。
幹は太く、たまにしか枝分かれせず、細い枝は無い。幹の表面は一面に葉跡で埋まっている。
葉はその先端に輪生状につき、全体としては幹の先に杯状の葉の集団をつける。葉は多数の線状の小葉からなる羽状複葉で、葉先は鋭く尖り、刺さると痛い。
雌雄異株である。雄花は幹と同じくらいの太さの松かさを長くして、幹の先端に乗せたような形で、松傘の鱗片にあたるものの裏一面に葯がつく。
雌花は茎の先端に丸くドーム状に膨らみ、雌しべを個々に見ると、上半分は羽状複葉の葉が縮んだ形、下半分の軸には左右に胚珠が並ぶ。
種子は成熟すると朱色に色づく。
この種子は日本国外へも輸出され、主な出荷先は台湾、中米(コスタリカなど)取引がされる場合には主に幹の長さでその価値が決まる。
大島紬の泥染では染まりが悪いと蘇鉄の葉を入れて化学的作用を強くするなど。





「日本の樹木」
アカマツ・アサダ・ミズメ・ウワミズザクラ・エノキ・カシワ・カヤ・クロガネモチ・コウヤマキ・コナラ・コブシ・シナノキ・シラカシ・杉
タブノキ・ホオノキ・マテバシイ・ミズキ・モッコク・ヤマモモ。

















ボダイジュ
中国原産の落葉高木。
高さは10mほどに、花期は、6-7月頃で淡黄色の花を咲かせる。
日本へは、臨済宗の開祖栄西が中国から持ち帰ったと伝えられる。仏教寺院によく植えられている。

釈迦は、菩提樹の下で悟りを開いたとして知られるが、釈迦の菩提樹は本種ではなくクワ科のインドボダイジュ(印度菩提樹)のこと。
中国では熱帯産のインドボタイジュの生育には適さないため、葉の形が似ているシナノキ科の本種を菩提樹としたと言われる。





ヒノキ科
約130-140種からなる、裸子植物で最大の科。
木本で、多くは雌雄異株、高さは1m足らず(ハイネズなど)から大きいものでは100m以上になるもの(セコイアなど)もある。
成木の樹皮は橙色から赤褐色で、縦に筋が入りむけるものが多い(屋根をふくのに使うヒノキの皮のように)が、滑らかなもの、鱗状になるものもある。葉はらせん状に配置、または対生で放射状に出る。
多くの種で、幼樹では針状だが成熟すると小さい鱗状になるが、針状のままの種もある。
古い葉はふつう個別に脱落するのでなく小枝ごと脱落する。
ただし大きい枝・幹についた葉は樹皮がはがれ始めるとともに個別に脱落する。
多くは常緑で葉は2から10年残るが、スイショウ、メタセコイア、ラクウショウ(ヌマスギ)の3属には落葉性のものもある。
球果は木質または革状、またビャクシン属では液果状になり、鱗片1つに胚珠1個から数個がつく。
球果の鱗片は葉と同じようにらせん状あるいは対生に配置する。
子葉はふつう2つだが、6つあるものもある。



フジ科
フジは、マメ科フジ属のつる性落葉木本。
一般名称としての藤には、つるが右巻きと左巻きの二種類がある。
右巻きの藤の標準和名は「フジ」または「ノダフジ」、左巻きの藤の標準和名は「ヤマフジ」または「ノフジ」である。





ツツジとはツツジ科の植物であり、学術的にはツツジ属の植物の総称である。
ただしドウダンツツジのようにツツジ属に属さないツツジ科の植物にもツツジと呼ばれるものがある。
主に、アジアに広く分布し、ネパールでは国花となっている。



クスノキークスノキ科ニッケイ属の常緑高木。
一般的にクスノキに使われる「楠」という字は本来は中国のタブノキを指す字である。
別名クス、ナンジャモンジャ。 暖地で栽培される変種としてホウショウがある。





次回は、日本庭園へ