syuの日記・気まま旅

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気ままに記録しています。

降りしきる雪の「大猷院」 徳川家光

2012-03-30 | 気まま旅
お休みの間、大勢の皆様にご訪問いただき有難うございました。パソコンも復活しました。日光の続きを掲載いたします。

大猷院は徳川三代将軍家光の廟所です。境内には、世界遺産に登録された22件の国宝・重要文化財が、杉木立の中にひっそりとたたずんでいます。
特に雪の舞う中、境内に林立する315基の灯籠と共に、美しくも印象的です。

先祖である家康公の廟所(東照宮)をしのいではならないという家光公の遺命によって、彩色や彫刻は、控え目に造られましたが、
かえってそれが重厚で落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

入り口の「仁王門」にはじまり、家光公墓所の入り口に当たる「皇嘉門」まで、意匠の異なる大小6つの門で、境内が立体的に仕切られており、
門をくぐるたびに景色が転換して、あたかも天上界に昇っていくような印象を受けます。



「徳川家光」1604-51 三代将軍、二代秀忠の長男、両親は弟忠長を偏愛、家康が裁定し二十歳で将軍に就任。
酒井忠世、土井利勝、松平信綱等の指導で強力な政治力を発揮した。家光は、幼少時から言語障害があったという。家康を終世敬愛した。



お清め所


仁王門
  











ご廟所


燈籠と扉
  

  






雪の東照宮

2012-03-22 | 気まま旅
いつもご訪問いただいてる皆様に、パソコンの故障によりお休みしていました。今後10日間ほど再度お休みします。どうぞよろしくお願いいたします。


日光東照宮は、元和3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神におまつりした神社。家康は、(1542)12月26日三河国岡崎城でご誕生、
幼少より苦労を重ね戦国乱世を平定され、幕藩体制を確立された。世の中に秩序と組織を形成し、学問を勧め産業を興し、江戸時代260年間に
わたる平和と文化の礎を築き、近代日本の発展に多大な貢献をされた。

家康は、元和2年4月17日駿府城で75歳の生涯を終えられ、直ちに久能山に神葬された。そして御遺言により、一年後の元和3年4月15日、
久能山より現在の地に移されおまつりされました。正遷宮は、同年4月17日二代将軍秀忠をはじめ公武参列のもと厳粛に行われ、ここに東照社として鎮座。
その後(1645)宮号を賜り、東照宮と呼ばれるようになった。
現在のおもな社殿群は、三代将軍家光によって、寛永13年(1636)に造替されたものです。

さすが東照宮 広い参道




五重塔


  


「天海」
~1643 東叡山寛永寺創建、家康の側近、天台宗僧、陸奥高田出身。比叡山、三井寺で修行、江戸崎不動院、仙波喜多院、後、
家康に召されて幕閣に、幕命で比叡山復興、家康の葬儀を司り、上野山に東叡山寛永寺を建て徳川家の廟所として自ら開山諡号は、慈眼大師。
天海の進言・政策は全て採用されている。家康は、天海を生きた仏で、出会いが遅すぎたと悔やんだ、家康死の6年前、家康の神号をめぐり、
金地院崇伝と争い勝って日光山を再興させ家康の改葬を行った。四柱推命を取り入れていた。

東武日光駅前119号線から神橋の見える位置に、天海の銅像






  

御神水                         鐘楼
  



有名な陽明門


「伊達正宗」1567-1636 独眼竜東北仙台の猛者、藩主。関ヶ原の戦いで東軍に与し62万石大名に、南蛮貿易を計画し支倉を
ヨーロッパへ派遣させ、
スペイン国王に同盟を求めた。天下を狙ったと云われている。自分の像には両目を添えるよう遺言していた。

                             伊達正宗(仙台藩)が寄進した燈籠
  

彫刻、金の細工が素晴らしい「陽明門」
日光東照宮の象徴的な建築である陽明門は(1635)に建てられもので、三間一戸、八脚楼門、入母屋、四方軒唐破風、銅瓦葺きの楼門建築です。
陽明門の名称の由来は京都御所にある十二門の東の正門が陽明門と呼ばれているところから授かったとされ、正面唐破風下には(
1617)に
後陽成天皇から賜った「東照宮大権現」の額が掲げられています。陽明門には当時の技術の最高峰がつぎ込まれ彫刻の数は508体にのぼり、
軒下には金と極彩色に彩られた麒麟、その下には白色の竜、さらに下が子供達の透かし彫りが施されている。
1層目には獅子や子供達が彫り込まれ、1日中見てても飽きない事から"日暮門"の別称。
柱は全部で12本あり胡粉が塗られ、グリ紋という渦巻状の地紋と鳥獣、草花が彫られてい。特に裏側の左手2番目の柱は"魔除けの逆柱"と呼ばれ
グリ紋の向きが逆で、"完成した瞬間から崩壊が始まる。"という古事からわざと未完成の部分を残しているそうです。日光東照宮陽明門は国宝。





家康は人徳者、武田勝頼の首を丁寧に供養した。これを知った武田の旧臣たちは、家康の態度に感謝し、後に奉公し抜群の働きをしたとある。鯛の天ぷらを食し食中りの死とあるが、一説では大阪の役ですでに死んでいたとも言われている。
家康6歳の時、物まねをする珍鳥を貰うが、「この鳥、自分がない、人間も器用な者知恵がない、己を持たぬ鳥、大将の玩具にふさわしくない」と云って突き返しと云う。




日光東照宮で有名な「眠り猫」の彫刻は、
陽明門をくぐり右に行くと奥社に通じる道にかかる門にある彫刻です。
この奥社に行くには別途で520円かかります。 神楽殿と祈祷殿の間の通路手前で料金を支払い奥社の手前にある坂下の回廊頭上のところで
上を見上げると有名な「眠り猫」の彫刻がある。小さな彫刻。なぜ眠り猫の彫刻があるのかと言うと日溜まりで気持ち良さそうに眠っている姿が
日光を象徴するものだとか、徳川家康の墓に行く手前にあるため、ネズミ1匹通さない・・という意味がある・・とか言われているそうです。

    


日光山輪王寺 三仏堂 

2012-03-18 | 気まま旅
輪王寺の本堂は日光山随一、東日本では最も大きな木造の建物で、平安時代に創建された、全国でも数少ない天台密教形式のお堂。
現在の建物は、正保2(1645)年、徳川三代将軍「家光」によって建て替えられた。



改装中の輪王寺

平成32年度までの予定で進行中の「本堂(三仏堂)平成大修理」の第一段階として、三仏堂の大伽藍を覆う「素屋根」が、無事完成し、
特設の「展望見学通路」オープンしていた。

この建物は、高さ約37mの鉄骨造、最上部には天井クレーンを備える近代的設備で、約10年にわたる解体修理の間、お堂と本尊様を護り続ける。
 
三仏堂


輪王寺 護摩堂 

日光山随一の護摩祈願所。 朝7:30、午前11:00、午後2:00 一日3回の護摩祈願が、毎日行われている。

                          境内に湧き出る水
  

日光山手前の大谷川 雪を被る山。 


大谷川の上小高い高原、宿の庭 大粒の雪が降っている。

世界遺産 日光 本宮神社から

2012-03-16 | 気まま旅
3月中旬、寒そうだったが日光へ出かけた。案の定その日から雪、気温も昼間でさえ5度以上上がらない。
2泊したが、どんどんふりだし、1日目の雪はそれでも降る後からとけてきたが、2日目はどんどんつもり、
宿から出る事が出来ず少し解けるのを待って、東京へ戻った。

でも雪の日光は初めて!神社も寺も最高に美しかった。

世界遺産 日光の社寺


神橋 

 


「勝道上人」
山林修行を行い、762年下野薬師寺の如意僧都に師事して得度受戒した。765年には出流山満願寺(栃木市)を開創している。
782年に日光二荒山、と男体山の開山を志し入山、輪王寺を建てる。二荒山神社や輪王寺などにつながる日光山繁栄の源を作った。

784年には中禅寺湖中禅寺をも開いた。782年-806年に上野国講師に任じられ、807年の旱魃に際しては日光山で祈雨を修法し、
その功により伝灯法師位を授けている。816年、日光山山頂に三社権現の社を建立し、その翌年、83歳で死去。

勝道上人           上人が休息した石               本宮神社
    

華厳渓谷. 敷地内に「磁気共鳴水」という水の分子構造が変化した不思議な 水が湧き出るという。 日光開山の「勝道上人」が、788年に発見したとされ、傷に良いと云う。
   
小玉堂は、
北方にある小さな祠で、弘仁11年(820)弘法大師が滝尾において修行したおり、池の中から大小2つの白玉が浮かび出た。
小の玉を虚空蔵菩薩本尊として、ここに小玉堂を建てて祀り、大の玉を妙見大菩薩本尊として、中禅寺妙見堂(明治の天災で失)を建てて祀った。





本宮神社は119号線が突き当たりの交差点に、参道入口がある。
(766)勝道上人が大谷川を渡って日光に入って四本龍寺を開き、翌(767)その傍ら、現在の本宮神社の場所に二荒山の神を祀った。
これが二荒山神社と輪王寺の開創であり、元は本宮神社の辺りが日光の中心であった。
(850)昌禅座主が現在の二荒山神社本社の地に社殿を造営し、元の社地には太郎山の神を祀った。これが本宮神社。

日光の入り口、大谷川にかかる神橋は日本三大奇橋の一つ、石段を上り、鳥居をくぐっていくと、朱塗りの社殿がみえる。

境内には、勝道上人が笈を掛けて休息したという笈掛石がある。また、本殿のすぐ裏には四本龍寺の三重塔が見える。
寂れた無人の神社という印象だが、社殿は国の重要文化財、端正な雰囲気を持った社殿である。
御朱印は本社においていただくことができる。また、神橋の御朱印は、神橋たもとの受付にていただける。



四本龍寺 三重塔


よく御存じの日光、以前にも掲載したが、雪の日光は珍しいので、6回に分けてUPします。

ゲートブリッジ 東京湾の変貌

2012-03-14 | syu散歩

「新木場」江東区の南東部、東京湾岸14号埋立地、隣が夢に島で、深川に有った木場の木材関係企業が1970年移転され、木材流通基地として整備された。
ゴミの人口島の「夢の島」は、緑の運動公園と木材の貯水場、へりーポート、水上バス、フエりーふ頭等で変貌している。水上バスは、運河と臨海コースがある。

   

「都立夢の島公園」新木場駅目の前、広大な43.3万m2。特徴は、ユーカリや桜などの樹木が植えられて、緑の多い公園である。

ユーカリはオーストラリアからコアラを誘致する際に条件を付けられたので、都内でユーカリを生産する必要があり当初はユーカリ畑があったが、
現在はその役目を終えている。
園内のユーカリ樹はそのときの名残で、日本でも最大のユーカリ林が楽しめる。園内には野球場などのスポーツ施設がある。
現在は野球場は区の管轄、公園の施設として、バーベキュー広場があり、宿泊機能を備えた総合スポーツ・文化施設、熱帯植物園等様々な人気施設がある。
また、夢の島の近くの最終処分場に遺棄されていた「第五福竜丸」の展示館があり、現在では反核の象徴にもなっており、多くの人が訪れる。

夢の島公園入口 歩道橋下は国道357号線
  

芝生の面積、5万平方メートルで、ユーカリ、フサアカシア、アキニレ、マテバシイ、クスノキ、カナリーヤシ、ヘデラ、クロマツ、
ナガミヒナゲシ、ハコベホウズキ、ハタケニラなど。
昭和6 3 年に熱帯植物館が開館され、館内は熱帯と亜熱帯の植物を集めたドーム型大温室を中心に、映像ホール、情報ギャラリー、
イベントホールなどから構成されている。温室の熱源は隣接する新江東清掃工場の余熱を利用。入館料 250円 65歳以上120円。

夢の島公園からスカイツリー   公園内
  

「第五福竜丸」展示
昭和51年オープン。第五福竜丸と付属品、資料5千点、入り口に久保山愛吉氏の記念碑があり、館内一杯に福竜丸が絞めていた。
昭和29年アメリカが南太平洋ビキニで水爆実験し、その海域で焼津の漁船第五福竜丸の乗組員全員が被災し、半年後久保山さんが死亡した。入館料無料。

                                              久保山さん
    

1996年、民間有志・和歌山県民・東京都民運動によって海底から引き揚げられ、展示館の脇に展示された。
総トン数 - 140.86t。全長 - 28.56m。幅 - 5.9m。馬力 - 250。速力 - 5ノット
福竜丸を主題とした作品で、事件の5年後の1959年に新藤兼人監督によって映画が作られ、事件の半年後に死亡した久保山愛吉を宇野重吉が演じている。

 
  

新名所「ゲートブリッジ」が完成した。今回の散歩の目的はゲートブリッジを見る事である。若洲と外側埋め立て地を結ぶ
海上橋やく2・6kmで、
大田区城南島の二期工事が繋がると約4.6kmになり羽田空港が近くなる。

ゲートブリッジ 右エレベーターで上階へ   橋から見た下界             ブリッジ     
    

高さはレインボーほどはないが橋の強度を増す構造になっているとか、それでもエレベターで上階に出ると木場の木材置場が小さく見え
大型貨物船も模型に見えた。

橋の上 車道                東京湾に入港している大型船                      
  

車も気持ちよさそうに走り、歩道もたっぷりして、完成した「東京スカイツリー」634mが良く見えた。木場を知らずして東京を
語れない。

橋の下 海に浮かぶ歩道     上から見た歩道          スカイツリー
    

恐竜が向かい合ったような形をしていることから「恐竜橋」とも呼ばれているらしい、東京湾の海上からの眺めも楽しむことができ、
天気の良い日には、富士山も見ることができ、夏の風物詩両国隅田と江戸川の花火のスポットになるだろう。

橋の下 若洲ゴルフ場



今回で下町深川・木場・ゲートブリッジは終わります。