syuの日記・気まま旅

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須崎の御影石

2012-02-25 | 気まま旅
「須崎」伊豆半島南端、下田港を包むように約3km南方に突出する半島。柿崎や外浦の砂浜のほかは、高さやく60mの海成段丘で
海食崖や岩磯性の海岸が周囲に発達する。
東方の爪木崎は灯台、冬季のスイセン、夏季のハマユウ、波食をうけた玄武岩の液状溶岩で知られている。
南端の須崎は、伊豆の民宿発祥の地で、テングサ採取から民宿村に変貌した。須崎の海岸には千畳敷、恵比寿島など観光地でもある。

石を引くための穴がある御影石 
  

御影石の説明がされていた。
土佐藩は、良質の石が取れる稲取に多くの人を派遣していた。山の石丁場で切り出された石は、稲取港へと運ばれ、そこから船に積まれて
江戸城へ向かっていた。この史実を今に伝えるのが 「御石曳まつり」。15トンある巨大な石を200人がかりで曳くと云う。

「佐土原藩 薩摩十六烈士の墓」
明暦大火後の江戸城復興と寺社建築を好んだ将軍綱吉に、江戸城西本丸の普請用として献上する高級建材栂を積載して、
遠州灘で難風にあい、船が沈没しかかったので、積荷の建材を海に捨てさせ、危うく沈没をまぬがれて下田港に漂着した。
不可抗力の事情とはいえ、大切な御用材を失わせた責任をとり、封建時代の思想では大切な藩主の御用材を投げ捨てた罪科はまぬがれぬとして、
16人が切腹し、市内「大安寺」に葬られた。船に残っていた建材は大安寺に寄進され,現在の本堂の柱となっている。

「爪木崎」半島の南東岬端で海岸は、海食崖。爪木島、田浦島など岩磯を持っている、俵磯海岸は、海食天然記念物。
近くには1971年から須崎御用邸が置かれ、皇族が静養に利用され、野水仙群落地、灯台で知られている。

須崎恵比寿島からの海
  

「須崎恵比寿島」
須崎半島の西側に位置する、恵比寿島。島と陸は橋で渡ることができ島の入り口には小さなお店があり、ちょっとした食べ物やトイレ、自販機がある。
全体的に足場が低く、磯の雰囲気の町。島の中には遊歩道があり、一周出来るが、今は私一人でトンビと目が合う。
釣り場となるポイントは、何処でもいいらしい。すべて低く満潮時やウネリがキツい時は波を被るという。場所によっては完全に水没する場所もある。
釣り好きには、位置的にも半島の先にあるため、潮通しがよく、メジナ・イシダイ・イサキ・アオリイカ・ヒラスズキなど釣れる魚種は豊富。

恵比寿島の灯台と弁天様
    

「柿崎町」
柿崎で知られているのが、弁天島。下田港奥、関東地震で起した跡がある。
吉田松陰が密航を企てた際、隠れと云う史跡でも知られている「柿崎弁財天社」がある。初代アメリカ領事館「玉泉寺」も近い。

「柿崎三島神社」鳥居をくぐり参道を進むと、境内左手に柿崎公民館、正面に社殿。拝殿の後方に本殿覆屋があり、覆屋の中に流造の本殿と、
一回り小さい境内社がある。境内左手に厄神社が、その後方の崖が、ちょっと味のある岩。岩の麓に小さな赤い小祠があるが、稲荷社が、
創祀年代や由緒は不明。吉田松陰の像があり気になった。

柿崎三島神社 鳥居                本殿
  

境内に 吉田松陰の石像
    

「下田まとが浜海遊公園」と「観光遊覧船」
港が一望できる憩いの公園、まどが浜海遊公園。国道135号線沿い、園内には芝生広場や海岸遊歩道、開国の町のシンボルとして
錨のモニュメントがある。無料開放の足湯や、休憩所もある。伊豆急下田駅より徒歩約15分と近い。

「遊覧船」幕末開港歴史の街・下田港を遊覧船「黒船」に乗って一周するコース。海岸沿いの街並・寝姿山・ペリー艦隊投錨の地など、運賃 大人千円。

  

下田湾、弁天島クルーズ乗り場、開国下田道の駅、まちが浜海遊公園、海の朝市、山の朝市などで賑わっている。

  

次回は吉田松陰。  

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