野性派でいこう!

日々の徒然です。子供四人。自然派。遺跡発掘事務所でお仕事。遺跡発掘調査で働き、やっぱり描いたり書いたりする日々。

己の性を、省みる候

2015-05-25 21:43:12 | 日記
小さな頃、絵描きさんになりたかった。

道端で写生をしている人の脇をウロウロして、ずっと見ていたり、
よく自分でもスケッチブックに風景画を描いた。
小学生の頃、夕焼け空の紫色に打たれたようになって、家にスケッチブックと絵の具を慌ててとりにいき、通りに腰をおろして、描いた。
どんどん空の色が濃くなるので、追いかけるのに必死だった。
そういう時は、いま思うと、いつも神様がおりてきたような感覚に襲われている。


ちょっと大きくなると、ストーリーも浮かんで、漫画家になりたくてたまらなくなる。
毎日毎日、よく描いた。話が完結しないうちに次の話が浮かぶので仕方ない。ノートに鉛筆描きで、どんどんどんどん書きなぐる。

ある日、父に、
「しょこちゃん。マンガばっかり描いていないで、ちゃんと食べて行ける道を考えないと。」

と、言われた。中学生だったろうか。

え!?マンガ家ダメなの?
びっくりして、だけど次第に、それもそうだと思うようになった。


普通に高校は遊び暮らして、大学に進むのを考えたとき、

マンガ家はダメだから、小説家ならいいかも。と、安易に文芸学科を受けたら受かった。

入学したら、美術学科や写真学科や演劇学科があって、おどろいた。

美術を勉強するものだとは、考えた事がなかった。
そっちのほうが面白そう。
文芸学科では、みんなが小説を書くので、なんだか気恥ずかしくなって、放送学科の授業に出たり、最後は評論コースを選択したりした。

就職、という頃に妊娠したので、卒業してそのまま結婚した。

赤ん坊を抱いて、実家の近所を歩いていたら、
馴染みの同級生のお母様にバッタリあった。

「ああ。しょこちゃん、結婚したんだってね。
才能あったのにねぇ。」

と、言われた。

このお母様は油絵をやる方で、地域の展覧会でもいつも作品が飾られていた。
なにかの拍子で同級生の家に、上がり込んだとき、
二階の一室に畳一畳くらいの大きさの描きかけの油絵があった。
夕焼けに打たれた時と同じように、わたしはしばらく打たれた。
赤く染まるすすきの原っぱの絵だった。


そういう色々をわたしはすっかり忘れていた。
4人もの子供に恵まれ、ひとしきりワーワー20年間もやれば、忘れてしまうのも無理はない。

しかし、不思議なもので才能あったのかないのかは全然わからないが、とにかく気づくと今も同じような事をやっている。

育児の会の原稿を描いている。

いろんなものを描いてきたけど、一回も上手く描けたと思ったためしがない。

それでも描いちゃう。
しつこい
という才能は、あるかもしれない。