野性派でいこう!

日々の徒然です。子供四人。自然派。遺跡発掘事務所でお仕事。遺跡発掘調査で働き、やっぱり描いたり書いたりする日々。

あさのめいそう。

2015-05-22 21:40:32 | 日記
今日は、とてもびっくりした。

朝、通勤電車で、降り過ごした。

降りるべき駅で、目の前で扉が閉まって降りられなかった。

次の駅までいって、折り返して、走って走って、タイムカードにギリギリセーフ。

こんな事は産まれて初めてだ。

電車の中で、ぼーっとしていたというか、集中していたというか、
つまり、トリップしていた。


実は今朝は、いつもより早く目が覚めて、お風呂に入って、お弁当作って、朝ごはんたべて、全部順調にいった。

家をいつもより5分早くでた。

駅のベンチに座る。いつもの席。
一本電車を見送る。

瞑想をする。うまくいってるのかわからない。
真似事かもしれない。

家にはいつもワサワサ人がいる。職場にも人がいる。
頭の中はいつも思考でいっぱい。

とにかく、ちょっと、静かに。駅のベンチの朝の10分だけが、自分だけの時間。
大切にしている。

それが、今日は、うまくいった感じがした。

電車の中で、友達にメールをうった。
すごく集中していた。

そしたら、気づけば自分の降りるべき駅をすぎていた。

結局、今朝の瞑想は、うまくいかなかったという事なのか。
よくわからないが、駅から職場まで飛ぶように走った。あんなダッシュもしばらくぶり。

結果として、朝からすごい力をだしてしまったのは、瞑想のおかげなのか。なんなのか。

お母さんが、一番早寝

2015-05-21 22:01:27 | 日記
お風呂に入っていると、いつも子が追いかけてきて、なにかワーワー話す。

今日は、長女がお風呂に入ってきて、
「今日の文化人類学でね、
アングロサクソン系の国が支配した国とラテン系の国が支配した国のそのあとの違いをやったの。」

ほー。ほー。そーであるか。

わたしも、その手の話は大好きなので、うんうん聞くが、
リラックスタイムのお風呂である。

風呂から上がると末っ子が、宿題にうんうん言っている。

わからないらしく、長男がちゃんと教えてあげている。

「頑張って勉強しようね。」

はげましている。ちゃんとしている。

もう寝ちまおうと、二階に上がると、ついこないだまでギャーギャー言っていた次女までが、机に向かっている。高校に入ったら、ちょっと落ち着いてきて、毎日勉強なんぞしている。


子らがみんな勉強している。

わたしが学生の頃は勉強から逃げ回っていた。

なんだ。どうしたんだ。

勉強して、みんな大きくなったら何をしたいのかなぁ。

そのこと、忘れずに勉強してくれたまえ。

では、おやすみ。母は寝る。

うまい。うまい。う米。なみだが、ポロリ~。

2015-05-20 22:02:38 | 食いしん坊
何を食べるか。

毎日の課題だ。

ご飯を作る気力もない日もあるけれど、結局食べたいのは、なんてことない家でのご飯だったりする。

炊きたてのご飯で、ちょっとした佃煮や漬物で、
なんて最高。

だいぶ年をとってきたな、わたし。

でも、先日の日曜日。
エージくんのお兄ちゃんが、わたしのおにぎりをもらってくれた。
(わたしはエリカさんの作ってくれた炒飯に夢中だったので、自分で作っていったおにぎりを、誰か食べる?ときいたのだ。)

エージくんのお兄ちゃんは六年生。
見るからにペルーっ子。かっこいいルックスだ。
その子が
「オレおにぎりだいすき。おにぎり欲しい。あ!シャケだぁ!」
と、嬉しそうにしてくれた。

そういうことで、すごく仲良くなれた気分。


実はいま、冷蔵庫の中にシソの醤油着けがしこんである。
醤油、胡麻油、砂糖ちょっと。そこに、シソの葉を広げて漬ける。

職場で聞いてきたレシピ。
明日の朝、ご飯を巻いて食べるのだ。楽しみ。

小さなことがちょっと嬉しい。わたしたちのソウルフード、お米にまつわる日々雑感なり。

おげんきでしたね。

2015-05-19 21:06:50 | 日記
久しぶりのお友達に会った。

ファミレスでパフェを食べ、コーヒーを飲んだ。

近況報告をしまくる。

わたしが、
「こうで、こうで。」

と、話すと、
「やっと気づいた?そうだよー。そうだよー。」

おやや。わたしのこと、よくご存知あるね。

夕方の平日の、ポッと空いた時間に誘ったら、お友達は出てきてくれた。

子らが小さかった頃とは、違う付き合い方。

ゆっくりお茶したのも一年ぶりくらい。

大人のお友達っていいなぁ。時間と距離が、あんまり関係ない。

また、次のお茶を楽しみにしよう!

日曜日のアミーゴ!

2015-05-18 22:17:00 | 日記
日曜日。

末っ子と二人、電車に乗って、ちょっと離れた街の大きな公園へ。

ペルー出身のエージくんのお父さんが、イベントを開催するのに参加するのだ。
どうやら、日本で暮らす南米のコミュニティの集まりらしい。

スペイン語でみんな話しているので、よくわからないが、
メキシコの家族やコロンビアの家族。
お母さんがメキシコ人、お父さんがコロンビア人、子供がアメリカ国籍。この家族は6月からドイツで暮らすそうだ。

そんな方々の中に混じってきた。

例によって、スペイン語は全くわからない。

最初は、子供たちは凧をあげて遊ぶ。

ちょっと離れたところで、大人たちは心理学者の先生の話をきいている。

子供が一緒の生活は、子供中心になってしまうが、毎日コーヒーを一杯飲むのでもいいから、お母さんは自分の時間を持つように。
と、スペイン語で話しているらしい。

わたしにも解ればいいのに。おもしろそう。


それが終わると、ゲームゲームゲーム!

景品がなかなかすばらしいので、末っ子もわたしもハッスル!

そして、お昼ご飯。

エリカさんのつくる炒飯は美味しい。なにかが違う。
聞くと、材料も手順わたしと同じような感じ。
なぜだ。なぞだ。

お天気が最高によく、裸足で寝転んでいたら、眠ってしまった。

末っ子は全然わたしに近寄ってこない。
聞けばエージくんたちとおじさんおばさん一族と公園中を一回りしていたらしい。

人見知りしない様に育てた、うまくいったな。うふふ。

わたしは、寝ておきると、ソフトクリームをご馳走になった。

メキシコの辛いチキンもご馳走になった。
辛いはピカンデと言うらしい。

「ピカンデグランデ!」
と、言ったら、
みんなに笑われた。
「ピカンデムーチョス!」と言うらしい。

鶏肉のポジョをポニョと言って笑われる。

さよならの時に、
ムーチョグストと言って笑われる。はじめましての意味だそうだ。

笑われるけど、面白い。
そのたびに、言葉も覚える。


今日、なにかの話の時に、末っ子が、
「オレもガイジンから見たらガイジンだからな。」
と言って、面白いなと言う顔をした。でも、エージくんの家族や周りの人々の事を、ガイジンと見ている感じが全くしない。
ともだち。の前には、あまり、細かいことはどうでもよくなる質のようだ。

ふふふ。そうだね。
全く、同感。

20年間まちがえていた。

2015-05-17 21:52:08 | 日記
今日は末っ子と二人ででかけた。

最近、言うことが頼もしくなって、面白い末っ子である。


電車の中で、赤ちゃんが泣いている。

末っ子が
「おれがママならなだめるなぁ。」
と、こっそりいう。
「えっ!」
わたし。コラッと口を塞いだりしないのか。

「30秒なだめてから、だめだったら、ピシッという。」

「そうなの!?わたし間違えてたなぁ。」

「いきなり、ピシッとしないで、まずはなだめるよ。最初は話きいてあげるよ、普通。
ママ、20年間間違えちゃったね。」

ガーンッ!

どうりで、なんか小さな子と遊ぶのが上手だと思ったんだよね。そういうコツがあったとは。

へんてこりんな、夢。

2015-05-16 22:05:11 | 日記
彼はもういないんだ。

昨晩の夢。とても不思議だった。

箱根の頃の同級生が一つのテーブルに座っている。わたしたちは、多分、中学を卒業したばかり。
保育園、小学校、中学校とほとんど同じメンバーで育ってきた仲間が、いくつかの高校へ別れて進学するタイミング。
でも、たいていみんな小田原方面へバスで通うから、大丈夫。大した事じゃない。というムードの中で

一人の男の子が
オレだけ違うとこいくからやなんだよなぁ
と言っている。

見ると一人だけちょっと違う詰め襟の学ランをきている。

このあたりではみない制服。

かっこいいよ。
大丈夫。自分自身になるためにいくんだよ。

わたしは、励まして、そっとハグする。

へんなの。

あの頃のわたしだったら、男子にハグなんかしない。
でも、夢の中のわたしは中学校の制服来てるのに、行動は今のわたし。あの頃よりむしろ、自分の気持ちに素直に動いちゃうおばさん力全開のわたし。

そして、目を覚ました。

まだ、ゴワゴワした制服で、彼の厚い肩をギュッとした感触が残っている。

そして、思い出した。

ああ、彼は死んじゃったんだった。
そうだ、行っちゃったんだ。違うところに。

彼は24歳の頃、亡くなった。それは本当に突然の事で、みんながびっくりした。


突然に、彼が夢に来て、わたしが励ますなんて!
それにしても、時空間を越えて、大丈夫大丈夫と言っちゃう凄まじい自分のおばさん力。


今日は珍しくこのあたりでも霧が出ていた。昼なのに、夕方みたいな1日。
寒いのか、蒸し暑いのかもわからない。
箱根のお天気みたい。

いろんな事があいまいで、不思議な事が起こっても、全然不思議じゃないような日。

家庭訪問、終了!

2015-05-15 17:56:26 | 子育ての事
家庭訪問だったのだ。

昨日は、ちょっと鬱々とした気分で記事を書いたので、ご心配おかけしたかな、すみません。

先生と話したら、やっぱりとても良かったです。


ちょっと前に、末っ子がお友達たちにぎゅうぎゅう上に乗られて、それでも笑っているので、
先生が、上の友達をどけて、
末っ子に
嫌なら嫌と言わないと。

と、言った事件があったらしい。

それを末っ子は、笑うのがいけない事だと注意されたと思ったらしく、

わたしに、「笑ってたら怒られた。」
と、言ったもんだから、わたしもヤキモキしてしまったのだった。


しかしながら、勉強面では不安が残る事実を知ってしまって、アチャー!

確かに、4年生でカタカナと、「お」と「を」、「わ」と「は」がわからないのは、ちょっとヤバイか。

だから、算数の文章問題につまづいているらしい。

四人目ともなると、おもしろい子だなとしか思っていなかったのだが、興味を持って読める本でも探してやろうかな。


字が読めないより、ピアノの譜面が読めないほうに危機感を感じていた。

そんなお母さんの子だからね。先生、ありがとうございます。

親ってヤツは。

2015-05-14 21:17:51 | 子育ての事
どうしよう。

明日は、末っ子の家庭訪問。
先生が、こられる。

どうやら、末っ子と担任の先生はうまくいっていない様子。

4月の新学年が始まってから早々に、

席が一番前になったよ!

席替えだったの?

ううん。

え!?

どうやら、先生に目をつけられてしまったようである。

先入観というのは難しいもので、これを覆すのはなかなか大変だぞ。

いつもニコニコ笑って、声が大きく、友達に囲まれている末っ子。

ニコニコ笑って→不真面目。
声が大きく→うるさい。
友達に囲まれている→友達とつるむ。

あああ!

しかしながら、放課後をすごす学童の先生たちの人気は絶大だ。こちらは生活を見てくれている方々。
例えば、手のかかる一年生も末っ子の言うことは聞くらしい。
先生方の助けにもなっているのだろう。

しかし、狭い教室の中で、お勉強という評価になると、とたんにわたしも自信がない。

子供時代は脳の受け皿を大きくする時期。なので、平べったい雑事で脳ミソをいっぱいにして欲しくないのだ。
そういうスタンスなので、宿題や持ちものに、口を出したことが一度もない。

いや。学校には感謝していますよ。たくさんの友達。美味しい給食。憧れられる素敵な先生方。

しかし、はっきり言ってしまうと、学校でやるべきことは人間関係の訓練。それを軽くこなして、それからはきちんと自分の道をあるいて欲しい。

でも、明日はちゃんと向き合わないといけないな。
先生との人間関係がこじれているというのは、親はどうしてやるべきか。

今夜は、珍しくちょっとナイーブなわたしなのである。

縄文土器いろいろ。

2015-05-13 21:59:17 | お仕事話
縄文時代はすごい!と、みんな言う。確かにすごい。
なにがすごいのか、わたしも言ってみなくちゃいけないと、いう気になって書いてみる。

まず、縄文時代はすごく長い。
1万年くらい。

縄文時代が終わってからたったの2000年くらいで、今。

聖徳太子とか家康とか秀吉とか、有名な偉そうな人たちの前の、文字のない時代に名前の知られていない人々がたくさんいた。それも、すごい。

そして、縄文土器は世界でもかなり古い土器。


縄文というのは、土器の器面に、網目の縄模様がついているから。

ただの模様ではなく、熱効率を良くするための、当時の最新科学だとも言われている。

土器自体の形も丸っこいもの。
細長いもの。
装飾がゴテゴテのもの。シンプルなもの。

いろいろたくさん、すごくある。

きっと今より強く呪術的要素が生活の中に入り込んでいたから、
土器の装飾にはそういう意味合いも強いのかも知れない。

その土器の形の地域性という横の軸と、時代という縦の軸によって土器形式が分類されている。
(すごく細かく、すごくたくさん)

これが、なぜ面白いかというと、土器の形の変化から、人の流れが想像できるからだ。

人は、どんどん流れて交流して、変化していくのが本質なんだなぁ。


さて、
わたしたちのお仕事は、
土の中から出てきたばかりの、細かい土器の破片との格闘である。

つまり、小さな破片から、大きな形を推測して、分類に当てはめていかなくてはいけない!

これは、すごく難しい!

ゴテゴテと飾りたてるような土器。
一回つけた縄文の模様をわざわざこすって消す土器。
ちゃんと区切った中に縄文模様をつけるスタイリッシュな印象の土器。


でも、なんだこれは!
わからない!となると、先生がティッシュで縄文を撚って、粘土に転がして見せてくれる。

それで、いちいち感激して、次の土器の山に向かう。
先生の鞄には竹の棒や貝殻や籾殻も入っている。縄文土器が作られたであろう道具たちだ。

縄文土器を見て、縄文人は芸術家だ!とたいていみんな言う。

わたしからしたら、
縄文土器の研究に生活を捧げているかのような先生の生活自体がまるで芸術のようである。

もう、縄文土器にまつわるいろいろなことがすごい。圧倒的である。