先月から堀川の橋を紹介してきましたが、堀川の源流である庄内川の取水口にも明治期に造られた庄内用水元杁樋門が現存しています。
庄内用水元杁樋門は、明治10年の黒川開削により庄内川からの取水口として造られました。
水分橋の西側の庄内用水頭首工でせき止められた水は、庄内用水元杁樋門より取水され、矢田川の下を通り黒川分水池に貯めて庄内用水(農業用)と分岐、黒川樋門を経て黒川~堀川から伊勢湾に注ぎます。
明治19年、木曽川~新木津用水~八田川~庄内川~庄内用水~黒川~堀川~名古屋港を結ぶ運河が開通し、犬山から堀川までの船運により陸路と比べ大幅な輸送時間の短縮が可能になりました。犬山から名古屋港まで4~5時間の行程だったそうで、犬山在住の私にとっては、まさにご近所の用水から名古屋港まで船で行ける時代があったことに新鮮な驚きを感じました。
明治10年当時の樋門は木造でしたが、明治43年に人造石(たたき)工法により作り直され、昭和63年に新しい樋門ができるまで長い間使われました。
人造石工法は三河の服部長七が考案したもので、安価なこともあり明治時代の大規模な土木工事に良く用いられましたが、鉄筋コンクリート工法の普及とともに廃れていきました。
庄内用水元杁樋は名古屋で唯一現存する人造石の樋門で、平成5年市の都市景観重要建築物等に指定されています。
◆庄内用水元杁樋/名古屋市守山区瀬古2
竣工:明治9、10年(1876、1877)開削、明治43年(1910)改修
設計:愛知県土木工手 石黒亀吉
施工:栗田末松
構造:人造石・切石積
撮影:2012/03/20
■人造石の樋門が確認できる南側~舟の通行のためアーチの背が高くなっています
■明治43年5月改築時の銘板が埋め込まれています
■取水量の調整のためのゲート操作部
■大正3年にねじと歯車を使って船の舵輪状のもを回してゲートの上げ下げをする方式に改造されました