昨日、知人から「明日で終わりだが、大阪市立美術館の福澤諭吉展の招待券が余っているので、よかったらどうぞ」というメールをもらった。9月に入ってジムをがんばったので、少々張り気味の筋肉を休める必要もあり、行くことにした。
天王寺公園では、タイフェスティバルが開催されていて、すごく賑わっていた。日射しが強く暑かったので、テントの立ち並ぶ中をざっと見ながら、美術館に直行した。諭吉展も最終日で、日曜なのでまずまずの入りだった。
福澤諭吉については、適塾出身、「学問のすすめ」、慶応義塾ぐらいしか知識がなかったので、興味深く廻ることができた。大きく7つのセクションに分けられていた。
第1部《あゆみだす身体》では文武両道や精神修養といった古い尺度ではなく、人間活動すべての基盤に『身体』を位置づけ、その身体観にそった日常生活が再現されていた。私が一番、オッと思ったのは、塾生の中に散歩党なるものつくり、毎朝、夏は4:30、冬は5:30に銅鑼を鳴らして起こし、6kmの散歩を日課としていたことである。
第2部《かたりあう人間(じんかん)》では独立した個人と個人の交際によって、はじめて社会は生まれると考え、男女、家族から社交まで、福澤が『人間交際』と呼んだ思想と実践が紹介されていた。
第3部《ふかめゆく智徳》では福澤の目指したのは、智性に気品の涵養をともなう教育で、その考えを『独立自尊』という言葉に集約させている。福澤自身の知の形成と実践の場としての慶応義塾の展開が紹介されていた。
緒方洪庵の適塾に入ったのが20歳。江戸に蘭学塾を開いたのが23歳(1858年、安政5年)の時。黒船来航で横浜に行き、オランダ語より英語だと切り替え、慶応義塾に発展させていく歩みを見ると、学校というものは、最初からあったのではなく、紆余曲折を経ながら創られていくものだということを改めて思った。
第4部《きりひらく実業》では一身の独立を支えるものとしての経済的自立、また一国の独立のための実業の発展を重視した福澤の門下生から多数生まれた実業人に光があてられています。
第5部《わかちあう公(こう)》では「民」の立場を貫いた福澤が、明治政府ととの関係を築く上で活用した新しいメディア、「演説」と日刊新聞「時事新報」を通した活動が紹介されてます。先見の明あり。
第6部《ひろげゆく世界》では福澤の人生を大きく変えた海外体験、アジアへの視点など国際社会との取り組みを検証しています。
第7部《たしかめる共感》は福澤門下生による美術コレクションなので、実質は第6部がさいごです。その出口に、福澤が亡くなる3年程前にした3つの問いかけを今流に表現したものがありました。現代にも通じる示唆深いものです。
展示とゆう受身の形で出口まで来て、最後に、100年余り前の福澤からの「問いかけ」に対して能動的に答えを出さないといけない。憎い演出です。
「気品」は何だと思いますか?あなたが「気品」を感じる人物は誰ですか。
あなたに宗教は必要ですか?人間を超えた存在に救われたと感じたことありますか。
学問はなぜ必要だと思いますか?今、何か一つのことを自由に研究することができるなら、何を研究しますか。
天王寺公園では、タイフェスティバルが開催されていて、すごく賑わっていた。日射しが強く暑かったので、テントの立ち並ぶ中をざっと見ながら、美術館に直行した。諭吉展も最終日で、日曜なのでまずまずの入りだった。
福澤諭吉については、適塾出身、「学問のすすめ」、慶応義塾ぐらいしか知識がなかったので、興味深く廻ることができた。大きく7つのセクションに分けられていた。
第1部《あゆみだす身体》では文武両道や精神修養といった古い尺度ではなく、人間活動すべての基盤に『身体』を位置づけ、その身体観にそった日常生活が再現されていた。私が一番、オッと思ったのは、塾生の中に散歩党なるものつくり、毎朝、夏は4:30、冬は5:30に銅鑼を鳴らして起こし、6kmの散歩を日課としていたことである。
第2部《かたりあう人間(じんかん)》では独立した個人と個人の交際によって、はじめて社会は生まれると考え、男女、家族から社交まで、福澤が『人間交際』と呼んだ思想と実践が紹介されていた。
第3部《ふかめゆく智徳》では福澤の目指したのは、智性に気品の涵養をともなう教育で、その考えを『独立自尊』という言葉に集約させている。福澤自身の知の形成と実践の場としての慶応義塾の展開が紹介されていた。
緒方洪庵の適塾に入ったのが20歳。江戸に蘭学塾を開いたのが23歳(1858年、安政5年)の時。黒船来航で横浜に行き、オランダ語より英語だと切り替え、慶応義塾に発展させていく歩みを見ると、学校というものは、最初からあったのではなく、紆余曲折を経ながら創られていくものだということを改めて思った。
第4部《きりひらく実業》では一身の独立を支えるものとしての経済的自立、また一国の独立のための実業の発展を重視した福澤の門下生から多数生まれた実業人に光があてられています。
第5部《わかちあう公(こう)》では「民」の立場を貫いた福澤が、明治政府ととの関係を築く上で活用した新しいメディア、「演説」と日刊新聞「時事新報」を通した活動が紹介されてます。先見の明あり。
第6部《ひろげゆく世界》では福澤の人生を大きく変えた海外体験、アジアへの視点など国際社会との取り組みを検証しています。
第7部《たしかめる共感》は福澤門下生による美術コレクションなので、実質は第6部がさいごです。その出口に、福澤が亡くなる3年程前にした3つの問いかけを今流に表現したものがありました。現代にも通じる示唆深いものです。
展示とゆう受身の形で出口まで来て、最後に、100年余り前の福澤からの「問いかけ」に対して能動的に答えを出さないといけない。憎い演出です。
「気品」は何だと思いますか?あなたが「気品」を感じる人物は誰ですか。
あなたに宗教は必要ですか?人間を超えた存在に救われたと感じたことありますか。
学問はなぜ必要だと思いますか?今、何か一つのことを自由に研究することができるなら、何を研究しますか。