今日が誕生日の元同僚がいる。「誕生日おめでとうございます」とメールに入れることができなかった。娘達に対してもそうだ。いくつになった時を境目に、その言葉を使うことに、ためらいを感じるようになったかははっきりしない。
長女は9月30日に33回目の誕生日を迎える。「おめでとう」とメールをしたら「めでたくなんかないよ」と返事が返ってきそうだ。実際、私自身もそういう返しを子ども達にしていたように思う。いつしか「誕生日おめでとう」と言われなくなった。
そんなことを考えている時、机の上の『刻のかたち』とゆう本に目が留まった。3年前から11期生の幹事を引き受けてくれている中瀬くんが、ブログに書き溜めたものをまとめて本にしたものである。同窓会の会場で、記念に買ってきた。
その58ページに“誕生日”とゆう題のエッセイがある。同じようなことを考えているのだと苦笑いをしてしまった。
*子供の頃には誕生日が来るのが嬉しかった。(略)大人に近づいていくということが嬉しかった。(略)しかし、大人に近づき、ある時を過ぎるとだんだん焦りのようなものを感じ始める。「ああどんどん歳をとっていく」とか、「私は何をしているのだろう。何をしたらいいのか。」と、誕生日はそんなことを思う日になったりする。*
そう考えている人や、さらに肉体のおとろえを感じている人にむかって、能天気に「おめでとうございます」って言っていいのかと迷うのである。まさか、本人にどちらがいいか尋ねるわけにもいかず、迷うのである。
しかし、彼の文を読みすすめた結果、迷いが消えた。これからは「誕生日おめでとう」とためらうことなく言うことができる。
*誕生日というのは、その人がこの世に生まれた日であること。生命が誕生した日である。この世に生まれた大切な日である。だから毎年、そのことを忘れないように、祝うのである。歳をとっていくことを祝うのではない。*
そこで、「誕生日おめでとう」のメールをもう一度入れようと思っていた時、プレゼントがわりに歌をつくってほしいというメールが届いた。そこでできた三首が次のもの。
蝉の声 いつしか消えて 虫の音に きんもくせいの かおりかぐわしき
知らぬ間に 積み重ねたる 年月を ふと振り返る バースデーの朝
潮時を 黙って告げる 建て替えで ポプラ並木の 消えたグランド
メールで送った時と二ヶ所修正したが、それは本人しかわからない。
長女は9月30日に33回目の誕生日を迎える。「おめでとう」とメールをしたら「めでたくなんかないよ」と返事が返ってきそうだ。実際、私自身もそういう返しを子ども達にしていたように思う。いつしか「誕生日おめでとう」と言われなくなった。
そんなことを考えている時、机の上の『刻のかたち』とゆう本に目が留まった。3年前から11期生の幹事を引き受けてくれている中瀬くんが、ブログに書き溜めたものをまとめて本にしたものである。同窓会の会場で、記念に買ってきた。
その58ページに“誕生日”とゆう題のエッセイがある。同じようなことを考えているのだと苦笑いをしてしまった。
*子供の頃には誕生日が来るのが嬉しかった。(略)大人に近づいていくということが嬉しかった。(略)しかし、大人に近づき、ある時を過ぎるとだんだん焦りのようなものを感じ始める。「ああどんどん歳をとっていく」とか、「私は何をしているのだろう。何をしたらいいのか。」と、誕生日はそんなことを思う日になったりする。*
そう考えている人や、さらに肉体のおとろえを感じている人にむかって、能天気に「おめでとうございます」って言っていいのかと迷うのである。まさか、本人にどちらがいいか尋ねるわけにもいかず、迷うのである。
しかし、彼の文を読みすすめた結果、迷いが消えた。これからは「誕生日おめでとう」とためらうことなく言うことができる。
*誕生日というのは、その人がこの世に生まれた日であること。生命が誕生した日である。この世に生まれた大切な日である。だから毎年、そのことを忘れないように、祝うのである。歳をとっていくことを祝うのではない。*
そこで、「誕生日おめでとう」のメールをもう一度入れようと思っていた時、プレゼントがわりに歌をつくってほしいというメールが届いた。そこでできた三首が次のもの。
蝉の声 いつしか消えて 虫の音に きんもくせいの かおりかぐわしき
知らぬ間に 積み重ねたる 年月を ふと振り返る バースデーの朝
潮時を 黙って告げる 建て替えで ポプラ並木の 消えたグランド
メールで送った時と二ヶ所修正したが、それは本人しかわからない。