今、香山リカにはまっている。本棚を見ると、その時その時にはまった人がよくわかる。まとめ読みをするので同じ著者が陣取っているのだ。地層のようなものだ。星新一、島崎敏樹、山本周五郎、森本哲郎、小室直樹、高樹のぶ子、宮部みゆき、五木寛之、弘兼憲史などである。人生の各時代にはまった人達だ。
『悪いのは私じゃない症候群』は2009年8月20日が初版だから、できたてのホヤホヤである。9章からなっているが、第1章の《学校が悪い!》は自分が身近に経験してきただけに、ここ数年何となく感じてきたこととダブり、「そうなんだよな」と心でつぶやく。
一番面白かったのは第7章《「悪いのは私だ」の歴史》だった。田母神氏が支持される基盤への洞察は鋭いなと感じた。
第9章は《他罰は自己責任論の裏返し》とゆうタイトルだが、今はやりの『自己責任』という言葉の問題点を鋭くついている。その最後で、《「悪いのは私じゃない」という動きは、日本社会に突然、入り込んできた新自由主義、市場万能主義やそれに基づく成果主義、競争主義のひとつの帰結とも考えられる。》とまとめている。
エピローグで《悪いのは私じゃない症候群》の処方箋を2つあげている。
①「ピンチはチャンス」の自己責任論より、「ピンチはピンチ」の分かち合い精神を
②「悪いのは私じゃない」-そう言わない勇気
ただ、あとがきで香山さんも自戒をこめて《「ずいぶん高みから世の中のことを批判しているようだが、いったいおまえはどうなんだ?」ときかれたとき、私は胸を張って「私は自分で負うべき責任はきちんと負うて、人のせいにしたり自分は被害者だと主張しようとしたりはしない」といえるだろうか・・・・。
正直言って、自信はない。》と書いている。わたしも同様である。愚痴ったり、人のせいにしたりしたことは多々ある。これからもなくならないと思う。しかし、「本気に思ってはいけない」というところで一線は引いていたし、常に「自分はどうなんだ?」という問いかけもしていた。このことは忘れないでいきたい。
職場でも、クラブでも、クラスでもチームを創っていく時の基本となるスタンスはみんな 完璧ではない だから お互い助け合おうだと思う。蛇足だが、そういう観点からも『教職員の評価・育成システム』は即刻やめないといけない。
そして、五木寛之と香山リカの対談をまとめた『鬱の力』を読み始めている。
『悪いのは私じゃない症候群』は2009年8月20日が初版だから、できたてのホヤホヤである。9章からなっているが、第1章の《学校が悪い!》は自分が身近に経験してきただけに、ここ数年何となく感じてきたこととダブり、「そうなんだよな」と心でつぶやく。
一番面白かったのは第7章《「悪いのは私だ」の歴史》だった。田母神氏が支持される基盤への洞察は鋭いなと感じた。
第9章は《他罰は自己責任論の裏返し》とゆうタイトルだが、今はやりの『自己責任』という言葉の問題点を鋭くついている。その最後で、《「悪いのは私じゃない」という動きは、日本社会に突然、入り込んできた新自由主義、市場万能主義やそれに基づく成果主義、競争主義のひとつの帰結とも考えられる。》とまとめている。
エピローグで《悪いのは私じゃない症候群》の処方箋を2つあげている。
①「ピンチはチャンス」の自己責任論より、「ピンチはピンチ」の分かち合い精神を
②「悪いのは私じゃない」-そう言わない勇気
ただ、あとがきで香山さんも自戒をこめて《「ずいぶん高みから世の中のことを批判しているようだが、いったいおまえはどうなんだ?」ときかれたとき、私は胸を張って「私は自分で負うべき責任はきちんと負うて、人のせいにしたり自分は被害者だと主張しようとしたりはしない」といえるだろうか・・・・。
正直言って、自信はない。》と書いている。わたしも同様である。愚痴ったり、人のせいにしたりしたことは多々ある。これからもなくならないと思う。しかし、「本気に思ってはいけない」というところで一線は引いていたし、常に「自分はどうなんだ?」という問いかけもしていた。このことは忘れないでいきたい。
職場でも、クラブでも、クラスでもチームを創っていく時の基本となるスタンスはみんな 完璧ではない だから お互い助け合おうだと思う。蛇足だが、そういう観点からも『教職員の評価・育成システム』は即刻やめないといけない。
そして、五木寛之と香山リカの対談をまとめた『鬱の力』を読み始めている。