素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「人間体験」ということ

2013年08月12日 | 日記
夏休みに入るとジムのあちこちで孫を預かって苦労している話を聞く。持続力、回復力が衰えてきて体力的にしんどくなってきたこととゲームなどのIT機器へついていけないという文化のギャップによる精神的ストレスによる疲労も重なり大変みたいである。

 機器への順応が進歩か否かということである。学校の授業の様変わりぶりも話題にのぼる。そういう話を聞くとはなしに聞くと、止めることのできない時代の流れを感じるとともに先のシンポジウムでの講師であった成田さんのブログに思いが行く。

 2013年05月20日 の『やっぱり「人間体験」させましょうよ・・』というタイトルのものである。幼い我が子の機器への順応の早さに満足している母親の感覚に疑問を呈した後にこう書いている。

 二次元の物体と三次元の物体の脳の捉え方は違います。
赤ちゃんにテレビモニター越しに実の母親が語りかける画像を見せてもあまり脳は活性化しませんが、実際に目の前に母親が立ち、語りかけると強烈に反応します。
人間の脳は、人間が刺激するから育つのです。
赤ちゃんをみれば人は声をかけ、笑いかけます。泣いていればおむつを替え抱っこをします。
有史以前からそうやって人は育ってきたはずなのに、そんな当たり前のことすら現代人は忘れかけてしまっているのでしょうか?

 聞けば、「小食なのでなんとか食べさせようと」子どもの視線を目の前に置いたipadの動画で引き付けておいて、その間に口にご飯を押し込んでいる家庭もあるようです。多様化し汎用化されたメディアは今、様々な形で育児を変態させていっているようで、私は恐ろしく感じます。

 先日、「レ・ミゼラブル」のミュージカルを観に行きました。
もう何度目?というくらいストーリーも曲も全部わかっているのに、やっぱり胸に押し迫る感動で泣けてしまいます。
舞台やライブの場に身を置くと、その時その場所にのみある「気」が五感すら越えたところから脳に刺激として入ってくるような気がいつもします。
この、「人間体験」を超える脳育てツールはないんじゃないかと私は思っています。


 便利なものは便利だと認めるし毛嫌いする必要はないと思っている。ただ、便利さによって失われるものもあるということも一方で考えておく必要もある。プラスとマイナスをふまえつつバランスのとり方に注意をはらっていくことが大切ではないか。 
コメント
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