父親の故郷は浜島である。漁師町だけにお盆は丁寧に行う。小さい時は早朝日の出る前におこされ、ぼたもちを食べてみんなで墓地まで歩く。初盆を迎える家は正装である。他にも寺でダンボという行事にも参列する。
後になって早朝の墓参は暑さ対策ということがわかった。確かに浜島は三方海に囲まれていて独特の蒸し暑さがある。郊外の新しい墓地に移転してからは歩いての墓参はなくなった。新しく造成された墓地は斜面にひな壇状になっているので両親の脚力では厳しい。代表して私が墓参りすることにした。父親もすでに墓地の一画を購入していて墓碑を建てている。まず、そこの雑草とりをしてから本家の墓と養子として家を出た叔父の墓をお参りした。
フライパンの上で焼かれているような暑さを感じた。その後、家を継いでいる叔父の家でひとしきり話を聞いた。ほとんどの叔父、叔母は80歳以上となっている。合わせて9人いるが亡くなったのは1人だけで、8人は夫婦で健在である。
盆、正月には話を聞く機会が多いが、私自身がこれから歳を重ねていく時に気をつけなければいけないことを教えられる。
「自分がしてあげたことはよく覚えているが、してもらったことは忘れがちである」ということを自覚しないとボタンの掛け違いを起こすということ。「一人で大きくなったと思うなよ」と常に言い聞かせることである。
終戦記念日にはメディアには多くの戦争時の新しい事実が紹介される。70年近くの歳月が経った今でもと最初は思ったが、先の大戦に巻き込まれた人々の数から言えばまだまだ知られていない事実は数多く存在する。死者10万人と数字で表現してしまうと一人ひとりの人生が消えてしまう。事実の記録を掘り起すという作業は続けていかなければいけないし、今だからこそ明かされてくる事実もある。今朝の新聞を読みながらつくづく考えさせられた。
後になって早朝の墓参は暑さ対策ということがわかった。確かに浜島は三方海に囲まれていて独特の蒸し暑さがある。郊外の新しい墓地に移転してからは歩いての墓参はなくなった。新しく造成された墓地は斜面にひな壇状になっているので両親の脚力では厳しい。代表して私が墓参りすることにした。父親もすでに墓地の一画を購入していて墓碑を建てている。まず、そこの雑草とりをしてから本家の墓と養子として家を出た叔父の墓をお参りした。
フライパンの上で焼かれているような暑さを感じた。その後、家を継いでいる叔父の家でひとしきり話を聞いた。ほとんどの叔父、叔母は80歳以上となっている。合わせて9人いるが亡くなったのは1人だけで、8人は夫婦で健在である。
盆、正月には話を聞く機会が多いが、私自身がこれから歳を重ねていく時に気をつけなければいけないことを教えられる。
「自分がしてあげたことはよく覚えているが、してもらったことは忘れがちである」ということを自覚しないとボタンの掛け違いを起こすということ。「一人で大きくなったと思うなよ」と常に言い聞かせることである。
終戦記念日にはメディアには多くの戦争時の新しい事実が紹介される。70年近くの歳月が経った今でもと最初は思ったが、先の大戦に巻き込まれた人々の数から言えばまだまだ知られていない事実は数多く存在する。死者10万人と数字で表現してしまうと一人ひとりの人生が消えてしまう。事実の記録を掘り起すという作業は続けていかなければいけないし、今だからこそ明かされてくる事実もある。今朝の新聞を読みながらつくづく考えさせられた。