時代劇の殺陣指導で林邦史朗さんの名はよく見かける。今放映中の大河ドラマ「軍師官兵衛」でその名を見た時「おお!またか」と心にひかかって」いた。前回の「八重の桜」、その前の「平清盛」もそうだった。そうやって大河ドラマや時代劇などの記憶をたどっていくと林邦史朗という名前は地平線の彼方に消えていく鉄路のように私の頭の中には存在する。
声は知っているが姿は知らない声優と同じで、殺陣師の林さんの姿は浮かんでこない。私が高校の頃には林邦史朗という殺陣師の名前は出ていたように思う。こういう大河ドラマで抜擢されているのだから中年の方だろうとごく自然に思っていた。だから私の感覚では、林さんは今や100歳前後の方である。なのにまだ現役として大河ドラマのスタッフに名を連ねている。ここ数年は名前を見るたびにそのことに思いを馳せていた。
それでも瞬間的な思いで林さんについて調べてみようというところまでには至っていなかった。偶然、先日見た「男たちの旅路」の《シルバーシート》(昭和52年11月12日放映)で擬闘・林邦史朗というのを見た瞬間に今までふつふつと湧いていた疑問が凝縮して「林邦史朗は何歳なのだ!?」と調べずにはいられなくなった。Wikipediaによるとこうなっている。
林邦史朗さんは1939年1月1日生まれ。
東京都立向島工業高等学校卒業後に劇団ひまわりに入団。そのとき講師に来ていた殺陣師の大内竜生の影響を受け、劇団ひまわりを退団して大内の門下生となる。数年間門下生として殺陣の技能をマスターしていったが、そんな折、とあるディレクターに「斬られ役ばかりやっていると(そういう根性が染み付いて)役者として、見てもらえなくなる」というアドバイスを受け、大内剣友会を去り、フリーとなった。
フリーで仕事をしていくうちにNHKのプロデューサー・広江均から「今までの、歌舞伎のような舞踊めいた立ち廻りではなく、リアルな殺陣を林に付けてほしい」との依頼があり、その要望に応えるために1963年、日本初のスタントマングループ「若駒冒険グループ」(現・若駒)を創設。
1965年、大河ドラマ『太閤記』から殺陣師として林の名前が初めてクレジットされた。以降、NHKだけではなく、民放や映画に舞台でも殺陣を振り付けていき、弟子を大河ドラマなどでも殺陣師へと抜擢した。殺陣を教えた役者は100人以上に登り、80人以上の弟子がいるという[1]。その弟子には新実、岡本隆、小幡利城、國井正廣、車邦秀、竹田寿郎などがいる。また、幾つかの作品では殺陣指導だけでなく、ゲスト出演している(下記参照)。特に『竜馬がゆく』『花神』『翔ぶが如く』と、幕末を題材にした司馬遼太郎原作の大河ドラマでは3度にわたり坂本竜馬を暗殺する刺客を演じた(『竜馬がゆく』では、竜馬役の北大路欣也からリクエストされて抜擢された)。また、『峠の群像』のように殺陣指導をせず、出演のみ関わった作品も存在する。
1975年には、日本伝来の武道と殺陣を融合した「武劇」を創始した。沖縄海洋博を皮切りに、国外でも発表(アメリカやオランダなど)で、現在も公演を続けている。
また、『8時だョ!全員集合』の立ち廻り関係は全て手掛け、『俺たちは天使だ!』、『ジンギスカン』などの民放ドラマの立ち廻りも手掛けたが、基本的にはNHKの仕事がメインとなっている。
したがって現在75歳、まだ現役であっても不思議はない。20代から新しい殺陣の世界を開拓することを期待されての大抜擢にこたえて、およそ半世紀、第一線で活躍されてきたことにあらためて敬意を表する。
林邦史朗『武劇~侍の戦いから無刀取まで~』
声は知っているが姿は知らない声優と同じで、殺陣師の林さんの姿は浮かんでこない。私が高校の頃には林邦史朗という殺陣師の名前は出ていたように思う。こういう大河ドラマで抜擢されているのだから中年の方だろうとごく自然に思っていた。だから私の感覚では、林さんは今や100歳前後の方である。なのにまだ現役として大河ドラマのスタッフに名を連ねている。ここ数年は名前を見るたびにそのことに思いを馳せていた。
それでも瞬間的な思いで林さんについて調べてみようというところまでには至っていなかった。偶然、先日見た「男たちの旅路」の《シルバーシート》(昭和52年11月12日放映)で擬闘・林邦史朗というのを見た瞬間に今までふつふつと湧いていた疑問が凝縮して「林邦史朗は何歳なのだ!?」と調べずにはいられなくなった。Wikipediaによるとこうなっている。
林邦史朗さんは1939年1月1日生まれ。
東京都立向島工業高等学校卒業後に劇団ひまわりに入団。そのとき講師に来ていた殺陣師の大内竜生の影響を受け、劇団ひまわりを退団して大内の門下生となる。数年間門下生として殺陣の技能をマスターしていったが、そんな折、とあるディレクターに「斬られ役ばかりやっていると(そういう根性が染み付いて)役者として、見てもらえなくなる」というアドバイスを受け、大内剣友会を去り、フリーとなった。
フリーで仕事をしていくうちにNHKのプロデューサー・広江均から「今までの、歌舞伎のような舞踊めいた立ち廻りではなく、リアルな殺陣を林に付けてほしい」との依頼があり、その要望に応えるために1963年、日本初のスタントマングループ「若駒冒険グループ」(現・若駒)を創設。
1965年、大河ドラマ『太閤記』から殺陣師として林の名前が初めてクレジットされた。以降、NHKだけではなく、民放や映画に舞台でも殺陣を振り付けていき、弟子を大河ドラマなどでも殺陣師へと抜擢した。殺陣を教えた役者は100人以上に登り、80人以上の弟子がいるという[1]。その弟子には新実、岡本隆、小幡利城、國井正廣、車邦秀、竹田寿郎などがいる。また、幾つかの作品では殺陣指導だけでなく、ゲスト出演している(下記参照)。特に『竜馬がゆく』『花神』『翔ぶが如く』と、幕末を題材にした司馬遼太郎原作の大河ドラマでは3度にわたり坂本竜馬を暗殺する刺客を演じた(『竜馬がゆく』では、竜馬役の北大路欣也からリクエストされて抜擢された)。また、『峠の群像』のように殺陣指導をせず、出演のみ関わった作品も存在する。
1975年には、日本伝来の武道と殺陣を融合した「武劇」を創始した。沖縄海洋博を皮切りに、国外でも発表(アメリカやオランダなど)で、現在も公演を続けている。
また、『8時だョ!全員集合』の立ち廻り関係は全て手掛け、『俺たちは天使だ!』、『ジンギスカン』などの民放ドラマの立ち廻りも手掛けたが、基本的にはNHKの仕事がメインとなっている。
したがって現在75歳、まだ現役であっても不思議はない。20代から新しい殺陣の世界を開拓することを期待されての大抜擢にこたえて、およそ半世紀、第一線で活躍されてきたことにあらためて敬意を表する。
林邦史朗『武劇~侍の戦いから無刀取まで~』