素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

日が長くなってきた!と実感

2014年02月22日 | 日記
 冬至を過ぎれば毎日少しずつ日の入りが遅くなっていくのは自明の理であるが、そのことを実感するのはしばらく経ってからだろう。人によっていつ感じるかは違うだろうが、私にとってはそれが今日だった。

 立春を過ぎてから♪春は名のみの~♪の歌に合わせるかのように寒波到来。大雪による被害のニュースが毎日流れ、空模様もスッキリしない日が多かった。午前中は晴れていても午後からは雲が出てくることも多く夕方に日の光を見ることはほとんどなかったように思われる。

 16時30分過ぎに洗濯物を取り入れるために裏に出た。1ヶ月ほど前であれば隣家の屋根に隠れていた太陽が、まだ家と家の間にあり、洗濯物に日の光をあてていた。「ああ!日が長くなったなあ!」と思わずつぶやいた。

 季節を感じる瞬間はひょいと訪れる。顔にあたる風、空の雲、木の芽のふくらみ、花の匂い、鳥のさえずりなど。季節の移ろいを感じることのできる生活に感謝である。

 若い時に、文化祭のクラス展示で「戦争」をテーマにすることが決まった。どういう展示にしていくかという話し合いの中で、小学校で広島へ修学旅行に行っている生徒たちは「戦争の悲惨さ」を訴えていくということで多くのアイデアが出された。ごく自然なことだと思う。

 文化祭前日の夕方、その時一緒に手伝ってくれた副担任のNさんが、展示の準備が終わり生徒が下校して静かになった教室で「戦争の悲惨さだけを訴えるのが平和学習ではないのと違うか?」とポツリと言った。どういうことかピンとこない私はNさんの考えを聞かせてもらった。

 戦争の悲惨さを知らせることは必要だけど、それだけでは十分ではないと思う。と言った。今やっている平和学習は知識だけつまった頭でっかちな人間をつくっているのではないかという危惧を持つ。今、信州に修学旅行に行っているがそれも立派な平和学習だという。自然の美しさを体験して育むことがそれらを破壊する戦争というものを憎む心のベースになるのでは。また豊かな人間関係を結ぶことがお互いの生命を大切にするという心の素になる。

 要は、日常の当たり前が破壊されるのが戦争なのだから、日常の当たり前を大事に思う人間を育てていくということが平和教育を考えていく視点に必要だということ。

 自然の美しさ、不思議さにふれるたびにNさんの言ったことを思いだす。また、朝ドラの「ごちそうさん」も、日常の当たり前がどんどんなくなっていくことを丁寧に描いていると思う。Nさんの言っていた切り口に相通じるものがある。
コメント
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