私は総合学習を否定するものではない。教科を横断的にとらえる視点は重要である。戦後の論争ではこの2つの視点がAll or Nothingという極端な形で現場におろされてきたという経緯がある。今回でも昨日の新聞では全国各地の学校で、総合学習の素晴らしい実践がなされているようである。この火を消してほしくないと思う。学習指導要領の改定のたびにすぐれた実践が立ち消えになることが多い。「もったいない」と思う。
一方で、今日の朝刊には教育現場の深刻な課題も取り上げられていた。『中学校に警察 賛否~教師の胸ぐらつかみ逮捕~』である。埼玉県内の男子中学生6人が教諭への暴行や傷害の容疑で4月~6月に相次いで逮捕されていた事案についてである。新聞によると埼玉県は、2002年度に全国に先駆けて「スクールサポーター」制度を導入。県警の非常勤職員が要請を受けて校内をパトロールしたり、問題を起こす生徒とその保護者への始動を行なったりしてきた。2003年度には学校と警察が「必要に応じて協力する」と明記した協定が結ばれるなど積極的に学校と警察が連携してきた。
この是非については実態等がわからない中、軽々しく論じることはできないが、埼玉県の事案は氷山の一角で、教諭による生徒への抑止が利かなくなっている状況は全国各地の学校にあると考えられる。そのような所では総合学習どころか普通の授業を成立させるのに苦労していると思う。私の身の回りの学校でも、落ち着き具合にはずい分差がある。そういう中での実践である。画一的に実践、成果を要求するのではなく個々の実情に合した取り組みに委ねるという懐の深い教育行政側の構えが必要だと考える。
同じ中学校でも学年によって取り組める課題に差が出てくる。創造的な取り組みができる学年が率先して実践をしていくことが大切である。それを積み重ねていくと学校全体が変貌していくという経験をしてきた。ただ、その大前提が教諭による生徒への抑止が利いているということである。どういう風にしてコントロールするかは単純ではない。現状を分析することから始めなければいけない。
この問題に関して、「夜回り先生」こと水谷修さんは「もう学校だけでは対応できなくなっている」と現実的にとらえている。一方、尾木直樹さんは「生徒の評価権という絶対的権限を持つ教諭が、さらに警察権力を使うのは安易で、学校の自殺行為」だと論じている。この『評価権という絶対的権限を持つ』教諭という規定は少し時代錯誤であると思う。教諭には何の権限もない。その状態でいかにコントロールしていくかというのがせっぱつまったところであろう。ケースバイケースで学校の判断に委ねることだと思う。
朝、花に水をやっていると前の家の3人の小学生、朝から宿題の仕上げでお母さんから檄をとばされている。夏休みの終わりを実感。来週には長い2学期が始まる。つまらないことでエネルギーを使わうのは「もったいない」。いきいきとした実践が繰り広げられることを願っている。
一方で、今日の朝刊には教育現場の深刻な課題も取り上げられていた。『中学校に警察 賛否~教師の胸ぐらつかみ逮捕~』である。埼玉県内の男子中学生6人が教諭への暴行や傷害の容疑で4月~6月に相次いで逮捕されていた事案についてである。新聞によると埼玉県は、2002年度に全国に先駆けて「スクールサポーター」制度を導入。県警の非常勤職員が要請を受けて校内をパトロールしたり、問題を起こす生徒とその保護者への始動を行なったりしてきた。2003年度には学校と警察が「必要に応じて協力する」と明記した協定が結ばれるなど積極的に学校と警察が連携してきた。
この是非については実態等がわからない中、軽々しく論じることはできないが、埼玉県の事案は氷山の一角で、教諭による生徒への抑止が利かなくなっている状況は全国各地の学校にあると考えられる。そのような所では総合学習どころか普通の授業を成立させるのに苦労していると思う。私の身の回りの学校でも、落ち着き具合にはずい分差がある。そういう中での実践である。画一的に実践、成果を要求するのではなく個々の実情に合した取り組みに委ねるという懐の深い教育行政側の構えが必要だと考える。
同じ中学校でも学年によって取り組める課題に差が出てくる。創造的な取り組みができる学年が率先して実践をしていくことが大切である。それを積み重ねていくと学校全体が変貌していくという経験をしてきた。ただ、その大前提が教諭による生徒への抑止が利いているということである。どういう風にしてコントロールするかは単純ではない。現状を分析することから始めなければいけない。
この問題に関して、「夜回り先生」こと水谷修さんは「もう学校だけでは対応できなくなっている」と現実的にとらえている。一方、尾木直樹さんは「生徒の評価権という絶対的権限を持つ教諭が、さらに警察権力を使うのは安易で、学校の自殺行為」だと論じている。この『評価権という絶対的権限を持つ』教諭という規定は少し時代錯誤であると思う。教諭には何の権限もない。その状態でいかにコントロールしていくかというのがせっぱつまったところであろう。ケースバイケースで学校の判断に委ねることだと思う。
朝、花に水をやっていると前の家の3人の小学生、朝から宿題の仕上げでお母さんから檄をとばされている。夏休みの終わりを実感。来週には長い2学期が始まる。つまらないことでエネルギーを使わうのは「もったいない」。いきいきとした実践が繰り広げられることを願っている。