平安時代初期の歌人・藤原敏行が立秋の日に詠んだ歌、『秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる』は季節の変わり目の日常のちょっとした変化をシンプルにとらえたもので記憶に残っている歌である。
今朝新聞をとりに外へ出た時に空気のさわやかさを感じた時、夕方に「まだこんな時間なのに陽が落ちている」とふと思った時にこの歌が頭に出てくる。
朝食後、妻が「セミが静かになってきた」と言った途端に、ミンミンゼミやアブラゼミが鳴き出した。「ああうるさい。いやみなセミや聞くだけで暑くなるわ」とぼやく。「久しぶりに安定した天気になるみたいやからセミもがんばっているんやで」と私。「そういえばツクツクボウシはまだやな」と妻。
「そんなことないで久保池沿いの道を歩くとツクツクボウシが主になっている。」と返すと「体操教室は8月中休みやから、あちらの方へは行かへんからな」と妻。そこには本当かいなという?が含まれている。その時である。ものすごく近い場所で♪ツクツクボウ~シ ツクツクボウ~シ・・・♪という鳴き声が始まった、それこそ「セミ来ぬと 目にはさやかに見えねども ツクツクの声にぞ おどろかれぬる」である。どうやら窓のすぐ近くにあるムクゲの木にとまって鳴いているようである。おかげで妻は「ほんまやな」と納得した。私はたまたま近くにカメラがあったのでその姿を撮ろうと、そっと窓を開け、鳴き声のするムクゲの枝を見たが姿が見えない。声はすれども姿は見えずである。観察していると1サイクル鳴くと枝を少し移動してから鳴くということがわかってきた。5サイクル目になった時ようやく姿をはっきりとらえることができる位置になった。
存在を十分アピールできたと思ったのか写真を撮り終わった後の6サイクル目の鳴き声はなかった。
時間にするとわずか5分ほどの出来事であった。それもあって今日は一日中敏行の歌が頭の中でグルグルまわっていた。
今朝新聞をとりに外へ出た時に空気のさわやかさを感じた時、夕方に「まだこんな時間なのに陽が落ちている」とふと思った時にこの歌が頭に出てくる。
朝食後、妻が「セミが静かになってきた」と言った途端に、ミンミンゼミやアブラゼミが鳴き出した。「ああうるさい。いやみなセミや聞くだけで暑くなるわ」とぼやく。「久しぶりに安定した天気になるみたいやからセミもがんばっているんやで」と私。「そういえばツクツクボウシはまだやな」と妻。
「そんなことないで久保池沿いの道を歩くとツクツクボウシが主になっている。」と返すと「体操教室は8月中休みやから、あちらの方へは行かへんからな」と妻。そこには本当かいなという?が含まれている。その時である。ものすごく近い場所で♪ツクツクボウ~シ ツクツクボウ~シ・・・♪という鳴き声が始まった、それこそ「セミ来ぬと 目にはさやかに見えねども ツクツクの声にぞ おどろかれぬる」である。どうやら窓のすぐ近くにあるムクゲの木にとまって鳴いているようである。おかげで妻は「ほんまやな」と納得した。私はたまたま近くにカメラがあったのでその姿を撮ろうと、そっと窓を開け、鳴き声のするムクゲの枝を見たが姿が見えない。声はすれども姿は見えずである。観察していると1サイクル鳴くと枝を少し移動してから鳴くということがわかってきた。5サイクル目になった時ようやく姿をはっきりとらえることができる位置になった。
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時間にするとわずか5分ほどの出来事であった。それもあって今日は一日中敏行の歌が頭の中でグルグルまわっていた。