今日から8月1日(月)までの4日間はジムは休館となる。駆け込み需要ではないが、昨日はいつもより多くの人が来ていた。休み前にしっかり運動をしておこうという思いからだろう。私もそうである。家ではできない器具を使ってのトレーニングを重点的に行なった。
猛暑が続く中、ジムで半日ほど過ごすことができるのはありがたい。家にいても9時をを過ぎると外での仕事はきつくなる。室内でも場所によっては外より暑さがこもり熱中症の危険度がアップする。
今日は、保育園のお迎えを急に頼まれたので夕方から夜にかけては退屈しないで済んだ。いつもより新聞をていねいに読むのも休館日のおかげ?
論説委員の小倉孝保さんの【金言】が興味深かった。
タイトルは「シェークスピアの信仰』である。橋爪大三郎さんや小室直樹さんの本をたよりに自分なりに宗教について勉強中の私にとって考えさせられる内容だった。
元々はカトリック教会の一部であった英国国教会が、16世紀のイングランド国王ヘンリー8世から女王エリザベス1世の時代にかけてローマ教皇庁から離別し、1534年に独立した教会となった。
そのそもそもの発端は、ヘンリー8世の離婚問題がこじれたことにあった。という。キャサリン・オブ・アラゴンを離婚しようとしたヘンリー8世が、教皇に婚姻の無効を宣言するよう求めたにもかかわらず、教皇クレメンス7世がこれを却下したことが引き金となった。しかしこれは単なる離婚問題というより、キャサリンの甥にあたる神聖ローマ皇帝カール5世の思惑なども絡んだ複雑な政治問題であった。とも言われている。
女王エリザベスⅠ世は1559年、カトリック信仰を禁じ国教会の礼拝を欠席する者に罰金を科した。1564年に生まれたシェークスピアが5歳の時だった。シェークスピアの信仰については自身も語らず確たるものはないが、最近では「カトリック教徒だった」という見方が強い。それが露呈して危害を加えられるリスクを避けるため、40代の若さで「引退」したという説もあるそうだ。
1616年にシェークスピアは亡くなったが、カトリック解放に待望久しかった市民的諸権利の回復を保障し、16世紀以来非合法化されてきたカトリック教会の再建が可能となったのは、彼の死後200年余り経った1829年のカトリック教解放法の成立後だった。
現職首相でカトリック信者であることを公言したのは、近々辞任するジョンソン氏が初めてだそうだ。辞任を表明した後次期首相に名乗りをあげたスナク前財務相はヒンズー教徒、ブレイバーマン法務長官は仏教徒、ベーデノック下院議員とトゥゲンハート下院外交委員長はともに、カトリック信者というように第二次世界大戦後、旧植民地から大量の移民を受け入れ多様化した社会の姿が政治指導者選びに反映されていると小倉さんは指摘する。そしてコラムを次のように締めくくっている。
「多様性は社会を強くする。シェークスピアも今なら、信仰を堂々と語り、より多くの名作を残していたかもしれない」
このコラムのおかげで、ジム休館日の1日目の午後、イギリスの独自の宗教改革について色々と調べて学ぶことができた。そして改めて「宗教」がわからないと世界の動きは理解できないと思った。
猛暑が続く中、ジムで半日ほど過ごすことができるのはありがたい。家にいても9時をを過ぎると外での仕事はきつくなる。室内でも場所によっては外より暑さがこもり熱中症の危険度がアップする。
今日は、保育園のお迎えを急に頼まれたので夕方から夜にかけては退屈しないで済んだ。いつもより新聞をていねいに読むのも休館日のおかげ?
論説委員の小倉孝保さんの【金言】が興味深かった。
タイトルは「シェークスピアの信仰』である。橋爪大三郎さんや小室直樹さんの本をたよりに自分なりに宗教について勉強中の私にとって考えさせられる内容だった。
元々はカトリック教会の一部であった英国国教会が、16世紀のイングランド国王ヘンリー8世から女王エリザベス1世の時代にかけてローマ教皇庁から離別し、1534年に独立した教会となった。
そのそもそもの発端は、ヘンリー8世の離婚問題がこじれたことにあった。という。キャサリン・オブ・アラゴンを離婚しようとしたヘンリー8世が、教皇に婚姻の無効を宣言するよう求めたにもかかわらず、教皇クレメンス7世がこれを却下したことが引き金となった。しかしこれは単なる離婚問題というより、キャサリンの甥にあたる神聖ローマ皇帝カール5世の思惑なども絡んだ複雑な政治問題であった。とも言われている。
女王エリザベスⅠ世は1559年、カトリック信仰を禁じ国教会の礼拝を欠席する者に罰金を科した。1564年に生まれたシェークスピアが5歳の時だった。シェークスピアの信仰については自身も語らず確たるものはないが、最近では「カトリック教徒だった」という見方が強い。それが露呈して危害を加えられるリスクを避けるため、40代の若さで「引退」したという説もあるそうだ。
1616年にシェークスピアは亡くなったが、カトリック解放に待望久しかった市民的諸権利の回復を保障し、16世紀以来非合法化されてきたカトリック教会の再建が可能となったのは、彼の死後200年余り経った1829年のカトリック教解放法の成立後だった。
現職首相でカトリック信者であることを公言したのは、近々辞任するジョンソン氏が初めてだそうだ。辞任を表明した後次期首相に名乗りをあげたスナク前財務相はヒンズー教徒、ブレイバーマン法務長官は仏教徒、ベーデノック下院議員とトゥゲンハート下院外交委員長はともに、カトリック信者というように第二次世界大戦後、旧植民地から大量の移民を受け入れ多様化した社会の姿が政治指導者選びに反映されていると小倉さんは指摘する。そしてコラムを次のように締めくくっている。
「多様性は社会を強くする。シェークスピアも今なら、信仰を堂々と語り、より多くの名作を残していたかもしれない」
このコラムのおかげで、ジム休館日の1日目の午後、イギリスの独自の宗教改革について色々と調べて学ぶことができた。そして改めて「宗教」がわからないと世界の動きは理解できないと思った。