素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

『千日回復』

2013年11月25日 | 日記
左ひざの違和感はずい分改善されたが、あと少しがなかなか進まない。こういう時「すぐ治る~」「悩み、一発解消!」「驚くほど楽になれる~」などという言葉に引き寄せられる。定期購読をしている「新潮45」を受け取りにTSUTAYAに行った時、片っ端からその手の本を読んでみた。当然ながら、タイトル通りの即効性のある方法は見いだせなかった。

 一般論では個々の状況によって微妙に異なる原因を取り除くことはできないのである。わかっていながら甘いセリフに心が揺れる。これを煩悩と呼んでいる。

 この煩悩の最中にある時、出口へと導いてくれる‟お告げ”が朝の起きがけによくある。仕事をしている時もようあった。どうしようかと迷っている時やアイデアが浮かばずに悶々と過ごしている時、突如夢うつつの中で言葉が降りてくるのである。夜は思考の時間で、眠りはリセットの時間。その間に脳の中で過去のいろいろな体験などの知識が絡みあって‟お告げ”として出てくる、と思っている。だから思いあぐねた時はガバッと寝ることにしている。

 今朝は、起き掛けに『千日回復』という四文字が現れた。「千日回峰」の一日体験の時。千日という長さを意識したことがある。3年弱という長さも何かをする単位として大切なものではないかということを考えた。「石の上にも三年」という言葉もあるぐらいである。

 膝の回復も、即効に気を奪われるのではなく『千日』と心を決めろというお告げと解釈した。おかげで煩悩は消えた。

 このお告げ、脳の中でいかなる記憶が融合されたかは定かではないが、土曜日の夜にあった「SWITCHインタビュー達人達(たち)」の内田樹さんと観世清和さんの話が加わっていたことは間違いない。めったにテレビ取材を受けない内田さんなので、文字を通してしか知らなかった。話している内容は著作のどこかで目にしているものだったが映像を通して聞くとまた違った力があった。観世さんの処し方にも感じるものが多くあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山崎まで自転車で、行きはヨイヨイ帰りはバテバテ

2013年11月24日 | 日記
 山崎でマンション住まいの娘夫婦、一戸建てを探し始めた。小学校校区を変えたくないと思っているので手頃な物件がなかなか出てこない。先日、業者からすぐ近くでいい物件があるとの連絡が入り、今日の13時から内覧会があるので一緒に見てほしいと言ってきた。

 妻と息子がそれぞれ用事のため車を使うことになっていたのでサイクリングを兼ねて自転車で行くことにした。行きは前回同様、枚方大橋から淀川の堤防の道を走った。日曜日は交通規制されているので車の量も少なく快適に飛ばした。寄り道もせずひたすらペダルをこいだので1時間10分ほどで到着できた。

 家の売買はタイミングだと思う。扱う金額が大きいので怖さもあるが機を外してはいけないように思う。今の家に落ち着くまで2回売買をしてきたが、決断力が要求される。今回は自分が買うわけでも、住むわけでもないので気楽ではあったが、物件的には良いものだと思った。そのことだけ伝えて後は2人の決断に委ねて帰ることにした。

 ここで、いつもの「同じ道は帰りたくない病」を発症した。前回は、行きに自分の思っていた道を外してしまったので、なぜ?どこで?を確かめたくて同じ道を帰った。今日は日和も絶好で時間的にも余裕があったので帰りは八幡の御幸橋を渡って行くことにした。大好きな「ぐるり一周コース」が頭の中で出来上がった。

 御幸橋からの背割堤の桜の紅葉群は遠目にだが見応えがあった。古木だけにスケールが大きい。
  ここから2つの選択肢がある。御幸橋を渡って右折して淀川に沿って枚方市まで下り、天野川沿いに帰るコースと左折して木津川沿いにある木津と嵐山を結ぶ自転車専用道路を走り、第二京阪道路の側道で帰るコースである。

 前者をとると「ぐるり半周コース」みたいになりそうなので後者を選んだ。自転車専用道路は当然ながら多くの自転車愛好家が走っていた。ここで、若者の自転車について行こうなどという煩悩が生まれた。わが身を知らない浅はかな行いは、第二京阪の側道に入って孤独な走りとなった時に出てきた。この側道、松井山手、長尾、杉、津田を抜ける所で、ロング&ハードな坂がある。自動車ならトンネルで通過するが、自転車はトンネルの上を通過していかなければならない。1つ、2つと越えるに従って足は当然だが体全体に疲労感を感じるようになってきた。

 そして、最後の最後には我が家までの四段仕込みの坂が待ち受けている。慣れているのだがいつもの数倍きつく感じた。途中、銀杏の黄葉がきれいなのだがそれらを楽しむ余裕がない。ただ、不思議なことに頭の中に和歌が一首浮かんできた。「・・・・・?ちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕陽の岡に」学校で習ったと思うが、最初の五文字と誰の歌かがさっぱり消えていてモヤモヤ感一杯になり
 「ちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕陽の岡に??
    ちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕陽の岡に???
        ちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕陽の岡に????」と念仏のように頭の中で唱えながら最後の四つの坂をバテバテになって上がった。娘の家を出たのが13時50分、我が家に到着したのが16時30分。2時間40分と「倍帰り」になってしまった。ちょうど最後の坂を上り切った所に大きな銀杏の木があって、夕陽を浴びていた。
  気になるので、すぐに調べた。「金色の か!与謝野晶子 か!」と思わず叫んだ。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『亀蔵』が鳴く??

2013年11月23日 | 日記
 「日本の歳時記」を見ていると、春の季語に≪亀鳴く≫を見つけた。「え~亀って鳴くのか?」と思い解説をすぐに読んだ。わかったようなわからないような解説である。

「亀は鳴くのかどうか。それはわからないが、草陰で鳴く亀の声は春の深みから発する声でもある。お経を読む声に似ているというので「亀の看経(かんきん)」ともいう・・・」 実在の声なのかイメージの声なのかどちらだ?と問いたい。

 『亀蔵』と付き合い始めて以来、鳴き声らしきものは一度も聞いたことはない。ただ、秋になってからよく見かける姿には哀愁のようなものを感じ、声なき声が聞こえないでもない。
 『亀蔵』の目線から考えるとアクリルの透明な水槽は酷なところがある。目の前には広い空間が広がっていてどこまでも歩いて行けるように見えながら、いざ行こうとすると透明の壁にはばまれる。手足をいっぱい伸ばしてもどうしようもない壁である。秋になり活動が活発になるにつれ見えない壁と格闘している姿をよく見かけるようになった。

 そこで、段ボールの箱の余りがいくつかできたので、散歩部屋をためしにつくってみた。最初は戸惑い、かなり慎重に自分の置かれた状況を見定めていたが、しばらくするとごそごそと歩き出した。不自由な生活には変わりないが、一日中小さな水槽の中にいるよりましかと身勝手な自己満足をしている。
  それでも時々は段ボールの壁をよじ登ろうと試みている。目の前に立ちふさがる壁にチャレンジするというのは行動習性の一つなのか?とも思う。

 秋の陽だまりの中、カサコソと聞こえる『亀蔵』の足音を聞きながら、のんびりと読書をする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2つの展覧会をはしご

2013年11月22日 | 日記
今日は父が出展している展覧会まわりをする。まずは清崎博文楽アトリエでのアトリエクラブ絵画展
自分の絵を前に清崎さんと久しぶりの談笑。今年で18回目。感慨深いものがあると80歳になられた清崎さんが話されていた。

その後は阿児アリーナロビーでの退教互鳥羽志摩地区作品展に力作が揃っていた。

ここでも懐かしい人と会い、談笑。めっきり出歩くことの少なくなった両親にとっては出会いの展覧会でもある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

志摩の実家に年賀状を届けに

2013年11月21日 | 日記
父から頼まれていた年賀状ができたので届けがてら様子を見に帰った。天気も良さそうなので遷宮のなった外宮と内宮にお参りして行こうと思っていた。
ところが昨夜、母親から電話があった。伊勢の叔父が緊急入院したので午後から伊勢の日赤病院に連れて行って欲しいのでできるだけ早く来て欲しいとのこと。それで寄り道の計画は変更。最短時間で直行した。自動車道をフルに使って2時間30分余りで到着できた。第二伊勢道路の開通が大きい。
午後は両親を乗せて伊勢の日赤へ。新しく建て替えられたばかりで立派さに圧倒された。
叔父は思ったより元気で安心した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする