2011年4月30日、東京駒場東大前の日本
近代文学館ホールにて開催された「言葉
を信じる」という詩の朗読イベントに
行ってきた。「この大震災を前にして、
いま、それぞれの詩人が信じる言葉を
声にする」というものだった。
参加詩人は、天沢退二郎さん、稲葉真弓
さん、小池昌代さん、白石かずこさん、
高貝弘也さん、高橋睦郎さん、たなか
あきみつさん、田中庸介さん、天童大人
さん、田原さん、平田俊子さん、
四元康祐さん、和合亮一さん、そして
映像出演で石牟礼道子さん。
30年前に詩の朗読会には何度か行ったこと
のある私だが、最近の詩人の人はあまり知
らない。しかし、大学時の後輩でもある
四元康祐氏も出るということで、出かけて
いくことにした。彼とは卒業以来30年ぶり
の再会だった。
座席は約70。出演者が14人なので、観客を
出演者で割れば、一人あたり5人の観客と
いうことになる。これはかなり密なコミュ
ニケーションだ。肉声が届くためにはこん
な感じの規模がちょうどよいのだろうか。
でも、せっかくなので、こういうはもっと
沢山の人に聴いてほしいと思った。
「言葉を信じる」というタイトル。
最近マスコミではしらじらしい言葉が氾濫
している。政治家の言葉は全く信じられない。
言葉に対する不信感ばかりがつのる今日この
頃。こういう状況だからこそ、信じられる
言葉が求められているのだろう。
地震と津波と原発被害という未曾有の被災
状況の中で、言葉がどれだけ威力を持ちえ
るのだろうか。高橋睦郎さんは、「何を
書いても嘘っぽく聞こえてしまう」と
言っていた。他の方も同様の気持ちを持た
れているようだった。しかし、それぞれの
詩人は、まるで瓦礫の中から探し出して
きたかのようにして集めた言葉をそこに
持ち寄った。
言葉は強烈に響いてきた。福島で被災した
詩人の和合亮一さんの言葉は強烈だった。
悲惨なのに笑える部分もあった。笑える詩
というのは素晴らしい。和合亮一さんは
終わった後で、一番新聞記者たちに囲まれて
いた。
四元康裕さんが、ヒロシマで育ち、今ドイツ
に住んでいて、これまでの人生の中で断片的
に得てきた原発に関する記憶が、今回の原発
事故で一つの形に結晶したと語ったとき、
内容がこんなにも悲惨なのに言葉がこれほど
までも美しく輝けるのかと驚いた。
稲葉真弓さんが、生まれたばかりの魚の視点
で津波を描写した詩は印象的だった。宮城
の海で詩を朗読してきたという高貝弘也さん
も何か存在感があった。天童大人さんは言葉
が強烈に伝わってきた。とにかく迫力がある。
平田俊子さんの「カメラ」という詩も印象的
だった。ここでは語りつくせないが、この
イベントに参加してよかったと思った。
こういうことがあったことをもっとたくさん
の人に伝えないといけないと思って、この
ブログの記事に書いた。
ここで読まれた詩をもう一度文字の形で読ん
でみたい気がする。参加できなかった人たち
にも読んでもらいたい気もする。主催者の人
がもしこれを目にすることがあったのならば、
これを是非お願いしたく思う。
こんな文章では何も伝えられないかもしれな
いのだけれど、この日、こういうイベントが
あったという事実だけは伝えておきたいと
思う。この日、そこに集っていただいた詩人
の皆様に感謝です。
こちらもよろしくお願いいたします。
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