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イースターになるとホットクロスバンが街のパン屋に急に出回ることの理由

2021-04-02 12:12:09 | 食べ物
シンガポールは欧米系のパン屋で、十字模様のついたホットクロスバンを日常的によく見かけるのですが、イースター(復活祭)が近づくにつれて、その販売量が増えるということを知ったのはつい最近のことでした。実は、イースターの直前のグッドフライデーという金曜日に、ホットクロスバンを食べるというのがイギリスの伝統のようなのです。

日本ではイースターは有名ですが、グッドフライデーはあまり知られていません。イエス・キリストが磔になった日がこの金曜日で、その三日後に蘇るのですが、それがイースターです。欧米ではグッドフライデーは祝日となり、イースターの翌日のイースターマンデーまで長期連休となるところも多いそうです。ちなみにシンガポールはグッドフライデーのみ祝日になっています。

春分の日の直後の満月の後の金曜日がグッドフライデー、日曜日がイースターとなりますので、カレンダー上では日にちが一定していません。



シンガポールのBakery Breraというパン屋は、エンプレスマーケットというローカルマーケットの奥にある美味しいパン屋で、たまにパンを買いに寄るのですが、昨日は大量のホットクロスバンを焼いていました。



インスタグラムを見ると、近くの複数の教会から大量のオーダーを受けていて、そこに納品するためのもののようです。教会では、グッドフライデーにこれを配るようですね。こちらのSt George’sという教会では、朝の8時から10時15分の間に配ったようです。



ホットクロスバンの歴史は、700年前に遡ります。イギリスのハートフォードシャーにあるSt. Albans Cathedralという大聖堂にトーマス・ロクリフ(Thomas Rocliffe)という修道士がいました。この人が、1361年のグッドフライデーに、十字架の印のついたパンを焼き、それを貧しい信者たちに振る舞ったというのがホットクロスバンの起源と言われています。



小麦粉と、卵、イーストに、カランツや穀物を混ぜ、カルダモンなどのスパイスを入れて焼いたパンの上部に十字の切り込みを入れたり、十字模様をつけたりしますが、ドライフルーツや、シナモンを入れたり、様々なフレーバーのものが作られているようです。

14世紀のヨーロッパといえば、英国とフランスは100年戦争の最中でしたが、ヨーロッパ大陸は黒死病(ペスト)が蔓延していました。1347年にイタリアの港から欧州に広がった黒死病で、1351年までの5年間にヨーロッパの人口の三分の一が失われたと言われています。

イタリアのベニスでは、東方から来た船は、感染予防のため一定期間沖で隔離をするという決まりだったようです。最初は30日の隔離期間だったようですが、それでは短すぎるということで40日となったようです。これが「隔離」の始まりで、英語の”quarantine”(隔離)の語源は、イタリア語の「40日」に由来するのだとか。イタリア語で40は”quaranta”(クアランタ)と言います。

1361年にトーマス・ロクリフ修道士がホットクロスバンをグッドフライデーに配った頃は、そんな疲弊した時代から立ち上がろうとしていた頃かもしれません。このパンをもらって、明日への希望を見出した人々が沢山いたことでしょう。

このホットクロスバンは、その後どんどん人気商品となっていきます。1592年、エリザベス一世の時代に、London Clerk of Marketsは、あまりに日常的になってしまったホットクロスバンに対して、イースターと、クリスマス、および葬儀のみに限定するという法令を出すのです。この法律は次のジェームズ一世の時代にも引き継がれることになります。

この影響で、ホットクロスバンは、各家庭でこっそりと焼かれるようになっていったのだとか。こういう歴史を経て、ホットクロスバンは世界に広がっていきます。

マザーグースの童謡にもホットクロスバンの歌があるので、ご紹介しておきましょう。



メロディはバリエーションがありますが、歌詞は同じす。「一つでも1ペニー、二つでも1ペニー」と歌われていますが、もともとは無料で配布されるためのパンだったので、儲けは度外視したものだったのでしょう。シンガポールのBakery Breraのホットクロスバンは4個で8ドル(650円くらい)しますが…

さて、これからホットクロスバンを食してみることとしますか。
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