中東欧の古都プラハ① -プラハ- 1995.09.25~09.28
1618年5月23日、ボヘミア王国の首都プラハは、静かな朝を迎えていた。午前9時を過ぎた頃プラハ城の王宮に集まっていた顧問官達は時ならぬ騒ぎに気づいた。200人ほどの武装したプロテスタント達がいきなり王宮に侵入してきたのだ。侵入者達は、時のボヘミア国王の宗教政策に抗議して、顧問官達に激しく詰めより、押し問答の末、激昂したプロテスタント達は突然、執務室の窓から二人の顧問官を外に放り出した。抗議した秘書官も同様に放り出され「プラハの窓外投出事件」として知られるこの出来事は、17世紀の欧州史上最も有名なエピソードである。これが欧州全域を巻き込んだ30年戦争の発端である。(世界の歴史17巻、ヨーロッパ近世の開花、中央公論社より)
午後1時前、あこがれの初秋のプラハにロンドンからの英国航空機が着陸した。Vltava River(ブルタバ川)の湖畔に立つインターコンチネンタル・ホテルが今回のIGU理事会の公式ホテルである。対岸の小高い丘の上に「窓外投出事件」のプラハ城が見える。
会議登録を済ませ、同行者とCedok(チェコの交通公社)の事務所に向かう。IGU理事会の後、ドレスデン経由ベルリンに行く予定で、列車のチケットを先に買おうというわけ。英語がなかなか通じないが、何とか目的の列車の指定席乗車券を確保し、夕刻のレセプションまで街を散策する。
会議のオフィシャルホテル 通称「インターコンチ」
チェコ共和国の首都プラハは、ブルタバ川沿いの斜面と丘に広がる人口120万人の小さな街である。しかし、そこにはゴシック、ルネッサンス、バロック等、数々の歴史的・文化的建造物が中世の面影を今日に伝え、街の中心部750haが1971年ユネスコによって世界最大の世界遺産に指定されている。ゴシック建築は14世紀、チャールズⅣ世(1346-1378)がチェコ国王(後にローマ皇帝)の時代、30年間でそのピークを迎える。プラハ大学やチャールズ橋の建設、Karlstejn城等がその代表作である。
一方、バロック建築は17世紀、厳格なカトリック王朝であるハプスブルク家とその大部分がプロテスタントである臣民との間の数々の緊張関係(窓外投出事件や、その後神聖ローマ皇帝に即位したフェルディナントⅡ世とプロテスタントとの間の「白山の戦い(1620年11月)」)があり「ボヘミアの暗黒時代」の中でドイツ系領主の支配のもと再カトリック化が進み、修道院が再興ないし新設されている。
夕闇迫るプラハの街角 客待ちの馬車
夕刻の街の中心部にあるゴシック様式の教会と旧市庁舎に囲まれた広場は、西日に建物が黄金色に輝き、多くの観光客が旧市庁舎の仕掛け時計のパフォーマンスを待っている。広場からの帰路、日本では品薄で外国旅行する人のお土産定番、塗るだけで痩せると専ら評判のスベルトを化粧品屋で手に入れる。当地でも品薄状態らしく何とか2ヶゲット。
西日を浴びる広場とゴシック建築
夕刻7時からホテル・プレジデントでチェコ・ガス石油協会の主催による歓迎レセプションが始まった。理事会記録を制作するビデオ班が入り、何故か小生もターゲットになっているようで、他国の出席者と話をしている所を撮りに来る。チェコの協会事務局長オルガ女史の差し金かも知れない。何せ海外では日本ガス協会(JGA)の事務局次長は偉いようだ。
ライトアップされた幻想的なプラハ城
小楽団がチェコ民謡の演奏を始め、レセプションもいよいよ佳境に。テラスに出ると、川向こうにライトアップされたプラハ城の見事なシルエットが浮き彫りに。中世の古都プラハはJGA会長が珍しく自ら行きたがっていた街。今回は残念ながら国内の戦没者慰霊祭と重なり不参加となった。
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1618年5月23日、ボヘミア王国の首都プラハは、静かな朝を迎えていた。午前9時を過ぎた頃プラハ城の王宮に集まっていた顧問官達は時ならぬ騒ぎに気づいた。200人ほどの武装したプロテスタント達がいきなり王宮に侵入してきたのだ。侵入者達は、時のボヘミア国王の宗教政策に抗議して、顧問官達に激しく詰めより、押し問答の末、激昂したプロテスタント達は突然、執務室の窓から二人の顧問官を外に放り出した。抗議した秘書官も同様に放り出され「プラハの窓外投出事件」として知られるこの出来事は、17世紀の欧州史上最も有名なエピソードである。これが欧州全域を巻き込んだ30年戦争の発端である。(世界の歴史17巻、ヨーロッパ近世の開花、中央公論社より)
午後1時前、あこがれの初秋のプラハにロンドンからの英国航空機が着陸した。Vltava River(ブルタバ川)の湖畔に立つインターコンチネンタル・ホテルが今回のIGU理事会の公式ホテルである。対岸の小高い丘の上に「窓外投出事件」のプラハ城が見える。
会議登録を済ませ、同行者とCedok(チェコの交通公社)の事務所に向かう。IGU理事会の後、ドレスデン経由ベルリンに行く予定で、列車のチケットを先に買おうというわけ。英語がなかなか通じないが、何とか目的の列車の指定席乗車券を確保し、夕刻のレセプションまで街を散策する。
会議のオフィシャルホテル 通称「インターコンチ」
チェコ共和国の首都プラハは、ブルタバ川沿いの斜面と丘に広がる人口120万人の小さな街である。しかし、そこにはゴシック、ルネッサンス、バロック等、数々の歴史的・文化的建造物が中世の面影を今日に伝え、街の中心部750haが1971年ユネスコによって世界最大の世界遺産に指定されている。ゴシック建築は14世紀、チャールズⅣ世(1346-1378)がチェコ国王(後にローマ皇帝)の時代、30年間でそのピークを迎える。プラハ大学やチャールズ橋の建設、Karlstejn城等がその代表作である。
一方、バロック建築は17世紀、厳格なカトリック王朝であるハプスブルク家とその大部分がプロテスタントである臣民との間の数々の緊張関係(窓外投出事件や、その後神聖ローマ皇帝に即位したフェルディナントⅡ世とプロテスタントとの間の「白山の戦い(1620年11月)」)があり「ボヘミアの暗黒時代」の中でドイツ系領主の支配のもと再カトリック化が進み、修道院が再興ないし新設されている。
夕闇迫るプラハの街角 客待ちの馬車
夕刻の街の中心部にあるゴシック様式の教会と旧市庁舎に囲まれた広場は、西日に建物が黄金色に輝き、多くの観光客が旧市庁舎の仕掛け時計のパフォーマンスを待っている。広場からの帰路、日本では品薄で外国旅行する人のお土産定番、塗るだけで痩せると専ら評判のスベルトを化粧品屋で手に入れる。当地でも品薄状態らしく何とか2ヶゲット。
西日を浴びる広場とゴシック建築
夕刻7時からホテル・プレジデントでチェコ・ガス石油協会の主催による歓迎レセプションが始まった。理事会記録を制作するビデオ班が入り、何故か小生もターゲットになっているようで、他国の出席者と話をしている所を撮りに来る。チェコの協会事務局長オルガ女史の差し金かも知れない。何せ海外では日本ガス協会(JGA)の事務局次長は偉いようだ。
ライトアップされた幻想的なプラハ城
小楽団がチェコ民謡の演奏を始め、レセプションもいよいよ佳境に。テラスに出ると、川向こうにライトアップされたプラハ城の見事なシルエットが浮き彫りに。中世の古都プラハはJGA会長が珍しく自ら行きたがっていた街。今回は残念ながら国内の戦没者慰霊祭と重なり不参加となった。
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